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自分だけ時空がズレたかと思った日

今日はちょっとしたタイミングでうまいこといかないことが何度もあり、自分だけ時空がズレたのかと思った。
最初はバスの遅れ。いつも乗る時間のバスを見送り、次のバスを待って座っていこうと思ったが、その後アクシデントがあり次のバスは20分来なかった。「最初のバスに乗っておけばよかった」と思いながら寒い中ひたすらバスを待った。

やっと来たバスはギューギュー詰め。最初の方に並んでいたから座れた。いつも降りるバス停で数人が下車した。私は座っていたから降りるのが最後だった。交差点の信号が点滅。私が渡ろうとしたところで信号が赤になり、私だけが渡れなかった。

勤めからの帰り、バス停に向かっていた。あと10メートルというところで、すでにバス停についていたバスが扉をしめて出発してしまった。

あとちょっとのタイミングの違いでスムーズにいかない、いつもより時間がかかるってことが何度か重なり、おかしいなと考え始めた。

なにか意味があるのだろうか? 
自分だけ時空がズレてしまったのか?
時空のズレってあるのならどうしてそうなったのか?

1日の出来事を振り返ってみたら、ズレばかりではなかった。勤め先のエレベーターはいつも混んでいてなかなかこない。ようやく乗っても各階止まり。最上階まで行く私はあとから乗り込んでは降りていく人たちを最後まで見送る。そんなエレベーターが私を待っていたかのようにスーと扉が開き、誰も乗り込むことなく最上階まで運んでくれた。こんなこと初めて。
帰りはバスと電車を乗り継ぐ。バスには乗り遅れたのに、電車が少し遅れていたのか、スムーズに乗り継ぐことができた。
ということは、時空のズレも何かの前兆もなかったのか。

大切なことを思い出した。
起きる出来事自体に意味はない。良い・悪いを決めているのは自分だってこと。
そして自分の思い癖にも気づいた。
「いつもと違う」ことが度々起きると、不安のようなものが芽生えるのだとすれば、「いつもと同じ」ことをよしとしているからかもしれない。それはいわば「いつも」への執着。その執着を手放さなければ変化を受け入れることはできない。

バスを待ったけど座れてよかった。
道路を渡れなかったけど、あわてて転ばなくてよかった。
バスに乗り遅れたけど、スムーズに乗り継げてよかった。
後付けだけど、時空のズレと思ったことを結果としてよかった出来事だと書き換えて1日を終えることにしよう。

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