ハンドラの箱に残っていた希望の正体
子供の頃、ギリシャ神話の“パンドラの箱”の話が大好きだった。
最高神ゼウスの命でつくられた人類初の女性パンドラ。その名の意味は「すべての贈り物を与えられた女」
パンドラが開けてはいけないという箱(元々は壺だったともいわれている)を開けてしまったことで、あらゆる病気や災いがこの世に解き放たれてしまった。最後に箱に残っていたのが希望、というお話。
神は人間に好奇心を与えた。箱の中身が気になって、開けてしまうことはお見通しだったのではないだろうか。
開けたらどんな恐ろしいことが起きるかちゃんと言っておいてくれたらよかったのに。人間の力では絶対に箱を開けられないようにしておいてくれたらよかったのに。
神は人間に、すべての禍とともに生きることを望んだということなのだろうか。解けないなぞなぞを考えたあと、どんなつらいことがあってもエルピス=希望があるということになぐさめられ、ハッピーエンドとは言い切れないような最後が深く心に残った。
聖書のアダムとイブの話では
「食べてはいけない」
日本神話のイザナギとイザナミの話では「見てはいけない」
「~してはいけない」話を読んだ後には「私なら絶対開けない、絶対見ないって誓える」と子供の頃よく思ったものだ。
本や映画はその時によって感じ方が違うのがおもしろい。昔はわからなかったことを「そういうことか」と合点がいったり、新たな感じ方ができたりする。そして、子供の時になぞだったことが解けたり、なぞはななぞのままだとしても自分なりの解釈ができるようになることもある。
パンドラの箱の話で最後に残った「希望」の正体を今ではこう思う。
希望は、失望や絶望と隣りあわせだということ。使いようによっては自分を苦しめるものにもなりうる。
神が箱の中に詰め込んだあらゆる禍を背負って生きていくのが人間で、人間がその道を選んだ(箱を開けた)ということなのかもしれない。やはりハッピーエンドといえないやるせなさが残る。
ただ、救いはある。
胸に抱いた希望が絶望に変わるか、
希望を現実のものにするか、
どちらを選ぶかは自分次第。
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