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ちっちゃい私と仏の心

高校の修学旅行で買った仏像とは長い付き合いになる。
そもそも仏像に興味をもったこともないのになぜ買ったのか。どこかの寺を拝観して、歩いている時にどこかの店か露店で躊躇することなく買った、それだけの記憶しかない。ただ、その時に”ひとめぼれ”をしたことだけは確かだ。その仏像は仏壇の中の隅に置いて、毎朝手を合わせるのが日課になった。

ある日、有名な霊能者に霊視鑑定してもらった時に言われた。
「お宅の仏壇には入れてはいけないものがはいっているようにみえるが・・・」
「修学旅行で買った仏像を入れてますが・・・」
「それは悪いものではないが仏壇から出しなさい」

それからは仏壇の脇に、”悪いものではない仏像”を置き、毎朝欠かすことなく手を合わせていた。

採用が決まった職場へ初出勤の日もいつものように仏像に手を合わせて家を出た。出社後、まずは面接をしてくれた担当者に挨拶しに行くと第一声が
「名前なんでしたっけ?」
目が点になった。驚き、あきれた。つい数日前に話したばかりだし、今日から働くスタッフの名前も覚えていないなんて…。

それから数年後、実家を出て、ひとり暮らしを始めた。仏像は実家の仏壇の脇に置いたまま。たまに実家に帰ると挨拶して手を合わせた。

実家の建て替えを機に、仏像は私の家にお連れすることにした。何年もの間、ろくに手を合わせることもなかったので、これからは大切にしようと思い、部屋の中で一番居心地がよさそうな場所へ置くことにした。パソコンで作業をする時に、仏像の視線は私の横顔を見つめる位置だ。

いつものようにパソコンに向かっている時にふと思った。
「この仏像ってどんな仏様なんだろう? どんなご利益があるんだろう?」
早速ネットで調べてみた。手掛かりになりそうなワードを並べたら、意外にもすんなり答えが見つかった。

”月光遍照菩薩”っていうんだ。
月の光のように優しく包み込み、慈しみの心で煩悩を消し去ってくださるという。
長いお付き合いだったのに、いまさらお名前がわかるとは。

思い返すと、月光菩薩像へはいままで数々の無礼を働いてきた。
ご先祖様の家ともいえる仏壇の中に居候のように置いてしまったこと、実家を出てからはめったに思い出すこともなく、年数回しか手を合わせなかったこと、そして、何十年もどんな仏様か、お名前さえも知らずにいたこと。
”前に職場で自分の名前忘れられて怒ったことあったな” と思い出すとよけいに申し訳ない気持ちで月光菩薩像を見た。
私の無礼など気にする様子もなく、いつもと変わらぬ優しい笑みがあった。


#買ってよかったもの

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