誰かの評価のためじゃなく。
20代ラストのころ、文章を書くことにいろいろな葛藤をかかえていた。
当時のわたしは、ライティングまわりのことを広く仕事としはじめて数年が経っていた。それぞれ期間は短いけれど、フリーペーパー編集部内でのライター、ベンチャー企業内でのライター、その後紆余曲折を経てフリーランスとなり、とりあえず毎日何かしら「書いて」はいた。
けれど、なんだかいつも、心のなかには空虚感があった。
毎日ぎりぎりの状態でことばをしぼりだして、そのコンテンツがデイリーに次々と消費されていくことに疲れていた。
「ほんとうに書きたいものって、なんだっけ」。
* * *
締切に追われて深夜に作業をしていたとき、ふと、衝動的に自分の文章が書きたくなって、Evernoteにつらつらと自分の気持ちを吐き出したりもした。
ふしぎなことに、そういうときの文章はしぜんと、内からあふれでてくる。
あふれでて、あふれでて、ただただ、自分の内にあるものをひっぱりだしてきて、手がそれを紡いでゆく。自分のこころの内の、奥底の、自分すらちゃんとわかっていなかった気持ちを、そっと、ことばという形で画面に落としてゆく。
ああ、と思う。そうだ、この感覚が大好きだったのだ。
そして同時に思う。最近、こういう文章を書けていない。これだけ毎日、テキストをつくっているのに、うわっつらの文章しか書けていないんじゃないかと。
* * *
そしてさらにふしぎなことに、そうして内からあふれでて、衝動的に紡がれた文章こそ、第三者が読んでいてもおもしろい。
「だれかの評価のために書く文章は、なんてつまらないんだろう」。
当時のメモに残っている一文。
深夜、目の前に締切がせまっている原稿は全然筆が進まないのに、Evernoteにつづりはじめてしまった自分の気持ちを吐き出しているだけの文章のほうは、手が止まらなかった。
書きたい、書きたい、書きたい。自分の脳内に、心の奥底にあるものを、もっと解放してあげたい。書きたい。書きたい。
あふれでてくるその気持ちに泣きそうになって、自分で驚く。こんなにも毎日、書いているのに。書いていると、思っていたはずなのに。
なのにほんとうは、自分の書きたいものなんて、なにも書けちゃいなかったのだ。
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ひとは、信頼されるとうれしい。
特にフリーランスなど、会社という盾がなく個人で仕事をする立場になると、信頼してもらえるというのはとても嬉しいことだ。
「◯◯さんなら、安心してお願いできるから」とか、「こんなこと◯◯さんじゃないと頼めない」とか、「◯◯さんみたいにできるひと、なかなかいなくて」とか。言われると嬉しい。そりゃ嬉しい。ありがたいなぁと思う。ひとの、素直な感情だ。
けれど、気をつけないといけない。
それはほんとうに、自分がこころからやりたいことなのか。その問いをしないまま、ほいほいとすべてを受けていると、それはただただ、気持ちと体力をすり減らしてゆくばかりになってしまう。
気づいたときにはがんじがらめになって、身動きがとれなくなっている。あれ、ほんとうはもっとこういうことしたかったはずなのに。あれ、でもいまは目の前のことをやらないと……そして、ループは続いてしまう。
自分のリソースは有限だ。自分が、自分のためにつかえる時間も有限だ。
それをまもってあげられるのは、自分だけなのだ。
そして時間だけでなく、自分のなかにある「ことば」も有限なのだと思った。
誰かのために、毎日ことばをしぼり出してしぼり出して、確かにだれかのお役にたてていたかもしれないけれど、自分のなかにある「ことば」はすり減ってゆくばかりだったのだ。
「ほんとうに書きたいものって、なんだっけ」。
だから空虚だった。学生のころや、旅をしていたころは、何も考えずともわいて出るように書けていたはずのいきいきした文章が、書けなくなっていた。
苦しかった。これだけ毎日文章を書いているのに、自分が自分のことばを失っていくようで、怖かった。
* * *
poconenというふざけた名前でtwitterに登録しなおし、積極的にだれのフォローもせずに、つぶやきを書き溜めはじめたのはそのころだ。
「誰かの評価のためじゃなくて、日々ぽこぽことあふれる、とるにたらないことばたちを、ひっそりと紡ぎたい」。確か当時、プロフィール文にはそれだけを書いていた。ぽこぽこ、がぽこねんの由来。
ほんとうに、だれかのためじゃなかった。自分が、自分のことばを失わないための場所が、ただただ必要だったのだ。
それから数ヶ月して、noteという存在を知り、好きなときに気まぐれにここで文章を書いたり、写真を投稿したりするようになった。それから数年が経ち、いまではすっかりnoteがメインになっている。
だからここは、わたしにとってとてもたいせつな場所だ。
文章を書く頻度が増えても、わたしがここで書く文章は、つねに自分の「書きたいもの」だけにしようと強く思っている。
noteでは、自分が書きたいものだけを書く。
誰かの評価のためではなくて、自分のこころの内にあるものを、落としてゆく。
数年前、クライアントワークだけを追い求めていたあの時代に、どうしてもできなかったこと。いまはバランスをとりながら、続けてゆこうと思っている。
* * *
どうして今日こんなことを書こうと思ったかというと、昨日の記事を思いがけず公式のおすすめにとりあげていただき、たくさんの方がスキやフォローをしてくださり、サポートまでしてくださる方もいらっしゃったからである。
過去の自分であればここで調子にのって、「そうかこういう方向に寄せていけばおすすめされるのかも」とか、「こういうトピックで人が来てくれたってことはこういうことを書いていかないと」とか、「フォロワーさんに逃げられないためにはどうしたらいいか」とか、考えてしまったかもしれない。
けれど年月がたったいま、自分の気持ちはおどろくほど静かである。
昨日も、今日も、これからも、ここではわたしが書きたいものだけを書いてゆく。
それがいちばん、書いていて楽しいからだ。
書いていて本人が楽しいものは、読んでいて読者も楽しい。
それに、万人受けするようなものを書こうという思いは微塵もないのだ。
文章との相性なんてひととの相性みたいなもんで、好きなひともいれば嫌いなひともいるだろう。それでいい。
ひとつだけいえることは、わたしの文章をここまで根気よく読み続けてくださっているあなたは、リアルの私の知人より、はるかにわたしのことを知っている。
興味をもってくださり、ありがとう。
だれかの評価の「ため」ではないが、書きたいものを書いて、結果としてもらえる評価ほどうれしいものはありません。
「衝動的に書く」ことはひとりでもできるけれど、「つづける」ことができるのは、間違いなく、noteで反応を返してくださる方々のおかげ。ほんとうに感謝しています。
これからもこの場所を、たいせつにしていきたい。
どうかまた気まぐれに、遊びにきてやってください。
自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。