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いやいや期、でカテゴライズしすぎずにGo.

朝、娘が保育園に行くのをいやだと主張する日がちょこちょこと出てきた。

少し前までは、「保育園行く?」と声をかけると、自らリュックを引きずってきて、ふんふんしながら、玄関へよちよち歩いていっていたのになあ。

* * *

ある日の朝も「保育園行く?」と聞いたら、首をブンブンと横にふって「いや」を主張していた。

私は、前日に先生から聞いた「園でのようす」を引用しながら、「楽しさ思い出し作戦」で交渉を開始する。

私「昨日、公園で落ち葉いっぱいひろったり、シャボン玉追いかけたりしたんだよね?」

娘「う!(←うん)」

私「今日もいいお天気だから、きっと公園行くよー。落ち葉、ひろうの楽しいよ。保育園、行こっか?」

娘「(首をブンブンと横にふる)」

私「昨日、すっごく集中してお絵かきもしたんだって? 絵、持って帰ってきたもんね。上手だったねえ!」

娘「う!(←うん)」

私「今日もお絵かきするんじゃない? 保育園、行こっか?」

娘、ブンブン。

* * *

そんな朝、いつもとはいかなくても、せめて時間に余裕があるときはできるかぎり、娘の気持ちに寄り添ってみたい。私も夫も、そう思っている。

今週はアレルギーの負荷試験が2日もあって、小児科にカンヅメになっていたりして変則的な登園だから、親に甘えたい気持ちが強くなっているかもしれない。そんな背景もあったから、その朝はしばらく自由に遊ばせてみたり、夫が爪を切ってあげたりして、触れ合いながらいっしょに過ごしていた。

わたしも甘える娘に「かわいいヤツめ!」と朝からテンション高く、「好き好き〜!」とハグしまくる。うれしそうに「ぐふふふふ」と笑う娘。いつの間にか夫も一緒になって娘とじゃれている。猫みたい。「ぐふふふふ!ふふふふ!」の笑顔と笑い声の連続に、こりゃたまらん、と甘い父母。

そんなスイートタイムを経て、時間をおいて再度本人の意向を聞いてみるも、「保育園、行こっか?」の提案は「ブンブン」の首振りによってあっさり却下。

* * *

しかたがないので私もちゃちゃっと朝の家事を終え、ようやくしっかりと娘に向き合う。抱っこしてゆらゆらしながら、しっかり目を見て娘に話しかける。そろそろ夫もさすがに出勤しなければなかろう、という時間帯だ。

しばらく抱っこして、もういちど、「そろそろ保育園、行く?」と聞いてみたら、気持ちに整理がついたのか、「う!」と言って、自ら玄関の方角を指さした。Goサイン。

ああ、家事の片手間に、じゃなくて、しっかり自分だけに向き合ってくれる時間を、この子は待っていたのかな。そう思ってちょっぴり反省する。ごめんよ娘。でも向き合ったことで、ようやくもらえたGoサインだ。遅ればせながら、気づけてよかった。

「よし!」

思わず夫とふたりでそう言って、玄関で上着を着せ(いやがっているときは上着を着るのすら暴れて拒否するので、ここで落ち着いているのは心の準備がある程度できていると思われる)、靴下と靴をはかせて、夫と娘を見送る。

結局最後には、にっこり笑顔で「いってきます」のバイバイとタッチをしてくれた。

* * *

あと数ヵ月で、2歳を迎える娘。

「いわゆる“いやいや期”の芽が出てきたかなあ」なんてことを言ったりもするのだけれど、そういうことを話すとき、夫と気をつけていることがある。

それは、「いやいや期だからね」を根本的な理由にしないようにしよう、ということだ。

自我が芽生えて、いやいや!という主張が出やすい時期がここからはじまる。それ自体は確かにそうだと思うのだけれど、なんでもかんでもすべての事象を「いやいや期だから」で片付けないようにしようねと。

たとえば自分たちも、思春期に、「思春期だからね」と言われたり、20代前半くらいにもやもやしているときに「まあ、20代ってそういう年頃だからね」と言われて、イラッとしたことはないだろうか。まあいまだって、「小さい子を育てているうちはみんなそうよ」とか言われると、イラッとはしなくとも、なんだかなあ、と思うときはあったりする。

そうじゃなくて、目の前のひとり、の状況をちゃんと見られるようでありたいなと。

何か気に食わないことがあるのか、実は寂しいだけなのを「イヤ」であらわしているのか、生理的に不快なのか、体調不良がひそんでいるのか、ただ注目を集めたいのか、遊びに飽きたのか、疲れたのか、眠いのか、自分でもよくわからないのか、なんなのか。

もちろんはっきりと原因が特定できる場合ばかりじゃないのは重々承知のうえだけれど、少なくともそこで想像力をはたらかせる努力ぐらいは、忘れないようにしたいなと思うのだ。

もちろん、にっちもさっちもいかないときに、「まあ、いやいや期だからしかたないか!」と、親の気持ちを楽にするための呪文としてつかうとか、そういう活用のしかたはどんどんしたらいいと思うのだけど。つらくなったら全然ハッピーじゃないし。ただ、それはそういう呪文だと自覚していたい。

「思春期だから」「20代だから」「育児中だから」とカテゴライズされて決めつけられるもやもやを自分が感じてきたほうだから、その感覚を忘れずに。自分の子どもに対しても「そういう時期でしょ」とカテゴライズで話すのではなくて、個として敬意をもって接したいと思うのだよなあ。

頑なに首を振り続けていた娘が、笑顔で「いってきます」のバイバイをする姿を見送りながら、あらためてそんなことを思っていた。

自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。