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行き当たりばったりでもだいじょうぶ

書きたいことはやまほどあるのに、何からことばにしていけばいいかわからない。

書きたいような気持ちはたくさんあるのに、何を書きたいのかすらまとめきれていない。

主旨や目的のはっきりした記事ではなく、自分の気持ちを文章にしようとするとき、そんな壁を感じて一歩ふみだせないひとは、もしかしたら思っているよりも多いのかもしれないと思った。

* * *

書きたいことはやまほどあるのに、何からことばにしていけばいいかわからない。

いまこれを書いている今日のわたしがまさにそんな状態なのだけれど、そういうときにわたしがすることは、とりあえず書きはじめてしまうことだ。

……というと、きっと「いやいや、構成からでしょう」「ライティングは書きはじめるまでが9割ですよ」と首をふる方もいらっしゃると思う。

それもわかる。とくに書籍や、主旨や目的のはっきりした記事ならば、構成から考えるのが必須だし、わかりやすい成果物を生むと理解している。

けれどいまここで話題にしているのは、noteで日々流れゆく記事のように、自分の気持ちや、自分のなかにあるストーリーを外に出す、その「はじめの一歩」をふみだすときの話だ。

すでにnoteをたくさん更新されている方は、自分もふくめて息を吸って吐くように自然にやっているその感覚が、もしかしたらこれから「はじめのいーっぽ」したい方にはつかみづらいのかもしれない。

そう感じる機会があって、とりあえず地味にある程度記事を書いてきたnoteユーザーのひとりとして、なにか参考になることもあるのかもしれないな、といまこれを書いている。

* * *

そう、それで話は戻るのだけれど。

自分の気持ちや、自分のなかにあるストーリーを書いてみたいけれど、なにから書いたらいいかわからない。そんなときにわたしがすることは、とりあえず書きはじめてしまうことだ。

むずかしいことは考えず、文脈さえ無視していいから、頭のなかに浮かぶものをぽつりぽつりと画面に落としてゆく。

たとえばきのう、

「2年くらい世界一周をしていて、一眼レフでたくさん写真も撮りためていて、一枚一枚の写真の背景にあるストーリーも覚えている。でも何をどこからどう書いたらいいかわからない」

という方に会ったのだけれど。

いや、わかる。長い旅から帰国したあとの旅行記、わたしも昔書いたことがあるから、その感覚の一部くらいはわかるほうだと思う。

でも、たとえばnoteなら、前置きも何もいらないから、とりあえず写真とともに、その背景にある「ある日のストーリー」を書いてみればいいのにな、と話を聞いていて思ったのだ。

内容は完全にいまわたしの妄想ベースで適当に書いているけれど、たとえばこんな感じの書き出しで(※あくまで、たとえばです)。

“デリーの片隅で、その少年に出会った。道を歩いていて……”
“あの夜、タイの屋台で食べたカオマンガイの味が忘れられない。その日は……”
“息を呑むような星空、というのはこういう空を言うのだと思った。その夜僕はテカポという、ニュージーランドの湖にいた。……”

どれも何の前置きもなく、「ある日、ある国でのワンシーン」についていきなり話がはじまって、終わるイメージ。

え、「こんにちは。世界一周していた◯◯です!このnoteでは……」とかから初めなくていいのかと、noteを知らない方は思うかもしれない。そしてそういうのがあるから、書くのが億劫なんですと。

いいのだ。そういうわかりやすい経歴はプロフィール欄にしっかり書いておけばいい。毎回の記事にそんな前置きはなくていい。語りたいことそのものだけを書いていい。ある程度そのひとのnote、つまりそのひとのストーリーがたまっていけば、それが壮大な自己紹介になるのだから。

特にきのう会ったその方でいえば、写真にとても力のある方なので、その写真と、ある日の日記を抜き取ったような短文だけでも、わたしは十分、読まれるコンテンツになると思うのだけれど。

自分のなかにある「ある日のストーリー」を、そのままぽつりぽつり、断片でいいからつづってゆく。はじめから、整ったものを書こうなんて思わなくていいのだと、noteの優しさにふれているひとりとしては思う。

* * *

ほらこの文章も、結局あっちへいったりこっちへきたり。

それでも書きはじめる前には、ほとんど何も見えていなかった「自分のなかに実は(潜在的に)あったもの」が、ちょっとは可視化できた。

一気に全部を消化しようとしなくて、いいんだと思う。

そうしてまだまだ心のなかでくすぶっているものを、また、書けばいい。全然うまく伝えられないなあと思うなら、その葛藤さえもまた、書いてみればいいのだ。

たぶんnoteには、自分も含めてそれを繰り返しているひとが山のようにいるし、だからこそ他のひとがそうやって悩みながらもなにかを発信しつづけていることを、笑うひとが少ない(一部には見ることもあるけれど、インターネット社会全般からみると、あきらかに少ないと感じている)。

結局今日のnoteだって、書きはじめたときはそんなつもりまったくなかったのに、書き終えるいまになってはなぜかnoteのよさについて語るものになっている。罪なやつだぜnote。

でもほかの場所にはないものが、ここにはあるんだもんなあ。

だから何が言いたいかというと。

「自分の気持ちや自分のストーリーを胸にひめていて、何から書いたらいいかわからない」というひとも、ここでなら、きっとぽつりぽつり、書いてみたらいいんじゃないかと思うのだけれど、どうだろう?

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