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『育児短歌』という提案

わたしは娘が1歳を過ぎてからときどき『育児短歌』なるものをnoteにアップしているのだけれど、これがなかなか、育児中の「表現欲」や「発信欲」を満たして心の平穏を保つのに使える方法だな、と気づいた。

自分自身、「特に0歳児の育児中、PCで長文を書くまとまった時間も体力もなかったけど、これならできたかも。やっておけばよかった!」と思ったので、いま0歳児育児中のnoteユーザーさん(もしくは表現するのが好きな人)がいたら読んでもらえたら嬉しいなあなんて思いながら、いまこのnoteを書いている。

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先にいっておくと、わたしは短歌に関して素人だ。何のバックグラウンドもない。だからこのnoteは短歌の知識について語るものでは決してない。

そんな自分が、「育児中ってさ、短歌詠むといいんじゃない?」ということを、友だちにでも話すような軽い気持ちで提案している。もし専門にやられている方でご気分を害された方がいたら大変申し訳ない。ここは違うよ、なんてところがあったらどうか(やさしく)ご教示ください。

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さっそくだけれど、なぜ「育児中に短歌」がおすすめだと思うのか。思いつくのはこんな感じの理由だ。

いくつかあるけれど、比重としては「1」がほぼ8割くらい。育児中に取り組める表現活動としては、「1」を満たしていることが何より重要だからだ。1が前提としてあってこそ、他の理由にも目を向けられる。

■ 1.まとまった時間がなくても「作品」として表現できる
■ 2.自分の「視線」や「気持ち」を鮮明に記録できる
■ 3.ネガティブな感情も、違った角度から捉えなおせる
■ 4.気づいたら壮大な育児記録になる
■ 5.(俳句や川柳より)ルールの制限がちょうどよい


■ 1.まとまった時間がなくても「作品」として表現できる

短歌をおすすめする理由の8割はこれだ。育児中はとにかく、「ひとつのことにじっくりと取り組む」ことができない。料理や洗濯という毎日の家事すら途切れ途切れでなかなか完遂できないというのに、PCに向かってじっくりとnoteを書くなんてもってのほか。この理由なくして、他の理由だけがあってもおすすめはできない。

お昼寝中にできる? いや、たしかにわたしも生まれる前まではそう思っていた。でも実際は、0歳児育児中は本気で昼夜を問わず授乳するし、毎日が徹夜勤務のような状態なので、すきあらば自分だって寝たいのだ。とにかく睡眠を欲している。マズローのピラミッドでいえば最下層の、生理的欲求を満たすことに必死で、社会的欲求や自己実現欲求なんてとても到達できない。

わたしだって今でこそほぼ毎日のようにnoteを書いているが、0歳児を抱えてるときは数ヵ月に一度note更新できればものすごい偉業を成し遂げた気分であった。でも書きたいことがないわけじゃない。毎日変化し続ける0歳児との日々なんて、時間と体力があれば書きたいことだらけだ。ネタの宝庫なのだ。だからこそ「表現したいひと」は、表現したいことがあるのに表現できなくて、つらい。

その変化を書きのこそうと、なんとかひどい文字で記録用に手書きの日記は書きなぐっていたけれども、それは外へ出すものではない。将来娘には見せてもいいなと思うし、家族愛の記録にはなるかもしれないが、「表現欲」や「発信欲」は満たされていない。そして、もともとある程度そこに欲求があるような自分みたいな方には、この状況は、じわじわとつらく、心が不健康になってゆくのだ。

そして自分の社会的欲求や自己実現欲求なんて考えることもできないまま、毎日生理的欲求を満たすことだけで必死で、自分が何者かわからなくなり、不満がつのり、かつてならばなんでもなかった「ささいなこと」で爆発したりするようになる……。というのがよくあるストーリーだと思う(少なくとも私はそうだった)。

さあ、そこへ、短歌である。

短歌の「5・7・5・7・7」の世界が、この状況にぴたりとはまるんじゃないだろうか。

長文を書くのとは違い、短いフレーズを考えるだけなら、抱っこしながらでも、授乳しながらでもできる。まとまった時間が確保できなくても、短時間でメモしていて、細切れの時間で「作品」が完成できる。PCにがっつり向かえなくても、スマホ片手にこれならできたかも。もっと早く気づけばよかったな、とちょっとだけ後悔してる。


■2.自分の「視線」や「気持ち」を鮮明に記録できる

文章が動画的な記録なら、短歌は字数制限という「枠」があってそのシーンだけを切りとる、写真みたいな存在だと感じている。

情報量が限られているぶん、逆にそのシーンについては鮮明に思い出すことができるという面もあるのではないだろうか。

同じシーンを体験していても、そのシーンから何を抽出するかはひとりひとり違う。たとえば子が眠っている姿を「いいなあ」と思ったとして、その「いいなあ」はどんな「いいなあ」なのか、もっと具体的に言葉にしようとするとみんな違うのだ。だからその人の視線や気持ちが出る。

眠る子のそのまつげなのか、パカーンとひらいたがに股の足なのか、むちむちした太ももなのか、はたまた視覚じゃなくて、乳くさい甘ったるい匂いなのか、ふわふわの産毛をなでたときの感触なのか、息をしているか心配で耳を近づけたときに聞こえる、小さな寝息の音なのか。

五感をフル騒動して、自分の心がもっとも動く源をさぐる。

短歌を詠もうとすると、「枠」で切り取ろうとする分、自分の心がどの点に感動しているのか、より具体的に自分の感情を分解しようとするようになる気がする。

あっとういうまに過ぎ去ってゆく日々のなかで、今しかないその感動ポイントをはっきりと認識することは、大切な気づきになると思うし、何年も経って読み返したとき、そのときの気持ちをよりリアルに思い出せるのではないかと思う。

「いつかこの短歌を読み返して、泣きたいくらいなつかしくなるんだろうな」。短歌を考えながら、そんな未来の自分を想像して、ことばを選んでいるときがある。


■3. ネガティブな感情も、違った角度から捉えなおせる

「かわいい」「おもしろい」「うれしい」というポジティブな感情を詠むのもとても好きだが、ときにはイライラしてしかたないときだって、ある。

短歌は「形式」が決まっている分、「長文」や「つぶやき」のように感情のままに書きなぐる、ということがしづらいと思う。

いったん、枠に合わせて「考える」。そのステップが、できごとを客観的に見つめ直す時間を与えてくれる。

その過程で、もうむしゃくしゃしてしかたのなかったことも、ちょっと違った角度から「ああそうか」と気づいたりすることもあるのだ。

たとえば、食事中に拭いても拭いても牛乳やらスープやら次々こぼされて、もうなんでやねん!とぶち切れそうになった日も。その瞬間は無理でも、あとから振り返って短歌にしてみようと思うと、考える中で、自分でも予想しなかったことに、思いを馳せることになったりとか。今ぱっと思いついたのだと、たとえばこんなのとか。

「どうしてよ 拭いても拭いてもこぼすのよ 私が母に拭かせてきた分」

短歌にしようと思ったら、ちょっと一歩引いて、その事象を噛みくだくことになるのだよな。その過程でイライラしていたことに新しい視点をもらったりして(あー、自分も子どものころそうだったんだよなあとか)、次同じようなことがあったとき、その視点がふと降りてきたりすることもある。

溜め込みつづけていく一方だと爆発してしまうから、ネガティブなことも、ちょこちょこ「吟味したことば」にしておくのを試みるって、精神的にいいんじゃないかなと思うのだ。たとえ長文を書いて推敲するような余裕がなくてもね。


■4.気づいたら壮大な育児記録作品集になる

これは写真など別の手段でもそうなので、短歌だけにかぎったことではない。でも短歌の場合、1つ1つは「たった31文字」という短さで、色も形もなく、画像や映像に比べて圧倒的に情報量が少なく軽いデータなのに、それでも続ければ、とても気持ちの精度の高い育児記録になるなあと思った。

「そのシーンで感じた気持ち」の精度でいえば、へたしたら動画や写真より鮮明かもしれない。1日1短歌読めば、1年で365の気持ちを、鮮明に振り返られるようになるんじゃないかな。

■5.(俳句や川柳より)ルールの制限がちょうどよい

「枠がある」メリットは上で述べてきたとおりだが、短歌はその「枠」の制限具合がちょうどいいな、と個人的には感じている。

たとえば育児の内容は季節を問わず繰り広げられていることが多いので、俳句のように必ず「季語」を入れるという一段上のルールがあると、毎日詠もうとしたとき、どうしてもハードルがあがってしまう。

じゃあ「川柳」かというと、必ずしもおもしろかったり、滑稽なところを詠みたいわけじゃなくて、純粋に美しい気持ちをとどめたいときもあったりするので、ちょっとしっくりこないこともある。育児中はポジティブもネガティブも気持ちが多方面に揺さぶられる毎日だから、多方面の感情をあまり制限なく扱えたほうが、無理なくつづけられる気がしている。

いやたぶん、センスのある方が詠む「育児川柳」は読ませていただいたら育児をくすっと笑えてとても楽しいと思うのだけれど、わたしにはちょっと高度で難しい、というだけだろうな。いろいろと閉じ込めたい気持ちがあるとき、短い文字数で詠むほうが高度だと感じているから。

だから継続するならば、文字数以外に細かいしばりがなく、その文字数もある程度の要素を盛り込みやすい長さがある「短歌」という枠の形が、自分も含め、初めてのひとにとりくみやすいんじゃないかな、と思っている。気軽さは、大切だ。

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まだ言語化できていないものもあるかもしれないが、今思いつくのはそんなところだ。

ちなみに育児短歌、すでに他にもやっている方いるんじゃないかな。

そう思ってtwitterで検索してみたらいろいろと出てきて、やっぱりやっている方いるなあ、と眺めていた。でもとりあえずnoteでは、少なくともハッシュタグで「#育児短歌」として何度も投稿しているのは自分くらいだった。noteみたいに、もともと文字やことばに親しみのある、表現することが好きなユーザーさんなら、もっと普及してもいいのになあ。そんなことを思ったので、勝手ながらこのnoteを書いてみた。

note内の「#育児短歌」が、ちょっとでも盛り上がりをみせたら、楽しいだろうなあ。あの人とか、あの人とか、絶対いいの詠むと思うんだけどな、なんて、育児中のユーザーさんのアイコンを勝手に思い浮かべてる(笑)。

もちろん興味は人それぞれだから、無理強いする気はまったくないけれど、もしいいなと思う方がいたら、ちょっとやってみませんか。とりあえず、今日子を見ていて感じた何気ない気持ちから。非公式勝手にハッシュタグ「#育児短歌」、地味に募集してます(笑)。

最後にこれまで投稿してきた育児短歌の一部をはりつけて、今日はおしまい。他の歌も見てみたいと思ってくださる方はマガジン「たんたか短歌」をどうぞ。

それではみなさん、よい週末を〜!


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