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「どうだった?」の回答にあらわれる男女差(なのか教えて)

たとえば初めての美容院へ行き、家族から「お店、どうだったー?」と聞かれたら、あなたはなんと答えるだろうか。

これについて、我が家では夫婦で確実に回答がわかれる。なので今日はそのようすをここに書いてみる。

もしできたら、これが男女差なのか、男女関係なく単に個人の性格の差なのか検証してみたい(興味本位だ)。

だからもし、あなたの貴重な1分を提供いただけるのなら、以下のnoteを読んで、「わたしの周りではこうだよ〜」とコメントをいただけたら、とても嬉しい。暑さ吹っ飛ぶ。

せっかくなので、もし10件以上コメントをいただけるようなことがあったら、別記事でその結果をまとめてみたいと思う(その件数に満たない場合も、個人的に夫にシェアして楽しませていただこうと思うので、楽しんでご協力いただけたら嬉しい笑)。

※ちなみにここではわかりやすく「男女差」という表現を使っていますが、LGBTの方を批判するような意図は一切ありません。あえていうなら、どんな方でも気持ちの上では男女どちらか寄り、というものをお持ちかと思うので、そんな「思考」のうえでの性別の話と捉えていただければ幸いです。

* * *

では、我が家の場合を書いてみる。

先日書いた、リニューアルしたばかりの近所の美容院へは、実は夫が先に行った。

家に帰ってきて、「あ、さっぱりしたねー、いいじゃん」と髪型に対する感想もさらりと述べ、「お店、どうだった?」と聞いてみる。我が家の場合、その後に繰り広げられる会話はこんな感じだ。

私「お店、どうだった?」

夫「……。どうだった? どうって……。普通」

私「え。それだけ?!」

夫「だって…どうって、何?」

私「いや、なんかいろいろあるじゃん。お店の内装変わったかとか、スタッフさんの印象こうだったとか」

夫「あぁ。そうねぇ……。うーん。まあよかったよ」

この会話において、わたしは一切自分が得たいと思う情報を得られていない。なにより、初めての場所に行って、それについての印象が具体的に言葉として出てこないことが驚きなのである。あめーじんぐ。当たり前だが彼とは別の生き物であると痛感する。

* * *

そして後日、私が同じ美容室へ初めて来訪。

帰ってきて、あえて夫が同じ質問をする。

夫「で、お店どうだった?」

私「いや、いろいろ話すことあるじゃんて思ったよ(笑)。まずスタッフさんが全然印象違うよね。前は男性が多くて落ち着いてたけど今回はキャピキャピ元気系の若い女性になってた。でもカウンセリングとかはわりと丁寧だったし、カットも時間のない中けっこう上手にやってくれたよー。腕はよさそう。あ、内装はあんまり変わってなかった。あと若いアシスタントさんが、商売上手で、お待たせしたからってこっそりトリートメントサービスしてくれて、やるなぁ〜!と思った」

夫「ほー。あるねぇ……(笑)。『どうだった?』ってそういうこと答えるのか

私「そういうことが聞きたいと思って聞くね、わたしは(笑)」

夫「おれたぶん、そういうの苦手なんだよね。あんまり、そういう解像度で見てないんだと思う」

* * *

また、別の日の話をしよう。

そのときはふたりとも体調不良になり、近所の内科を初診で受診した。ちょっと古めかしい外観の、昔ながらの小さな内科医院で、公式のホームページなどはない。やや不安もあるが、まあ近いし行ってみるかと話していた。

このときは交代で家で娘を見ていたので、先に夫がひとりで行ってきた。ちゃんと診てもらえるのかという不安もあり、帰宅した夫にさっそく聞く。

私「おかえりー。なんだって?」

夫「うん、風邪かなぁ?という感じで、これこれこういう薬がでたよ」

私「ふんふん、そっか。病院自体はどうだった?」

夫「…………。よいところでした

私「おう。ってまた、それだけなの(笑)」

夫「うーん。どうって……何?(笑)」

こんな調子だ。

別にこれはもう、物事を見る視点の違いの話だと思うのでべつに怒る気にはならない。むしろお互い笑ってしまう。つくづく、「違う」んだなぁ、と。

その上で、私の言い分だけをここで言わせてもらうと。だってまず前提として、ホームページもなく事前情報がないわけだし、先に現地へ行ってきたなら何かしらそれよりは具体的に情報が増えるだろうと思って聞いているわけですよ。なのになぜ情報が増えないのだ。シンジラレナーイ。のである。

* * *

交代して、私がその内科に行ってきた。

帰宅すると、あえて夫が聞く。

夫「おかえりー。なんだって?」

私「うん、こちらも風邪かなぁという感じで、これこれこういう薬が出た」

夫「で、どうだった(笑)?」

私「うん、やっぱりいろいろ語ることあるじゃんて思ったよ!まず古いわりになか入ったらわりと小奇麗で印象はよかった。クーラーじゃなくて窓開けてたのも個人的には自然志向なのかなと思って好き(当時は5月末)。あと、看護師さんとか受付のひとがすごく優しくて、おっとりしてて、落ち着ける距離感でよかった。他の混雑してるところだと冷たくてギスギスしてるところ多いのに。あとね、先生もよかったよ。なんていうか、ちゃんと話を聞いて、追加でもいろいろと質問してくれて、じっくり考えて薬を処方してくれている感じだった。病気にあてはめるんじゃなくて、人として個別に診てくれてる感じ? いいなぁと思ったよ。待ち時間も少なかったし、今度からここでいいじゃん!て思った」

夫「あー。そういえば(医者は)そういう印象あったかも。言われてみれば」

私「じゃあ教えてよ(笑)。そういうことが聞きたかったんだよー」

* * *

いや、もうさすがに何度かこのくだりはいろいろなシーンでやっているので、わかってはいるのだ。

単に、このふたりの間では、どんなシーンでどんな情報を重要視しているのかが違うだけなのだと。

彼の言葉を借りるなら、「解像度が違う」のだろう。

彼はよく「自分にとって重要じゃないことは覚えてないことが多いんだよね(または覚えてはいるけれど引き出すのにものすごく労力がかかる)」と言う。

逆に必要な情報は、超高解像度で記憶しているのだろう。仕事の話とか。確かにその傾向はある気がする。だから重要度の低い記憶は瞬時に奥底にアーカイブされてゆくのかなぁ。

書いていて思ったが、じゃあ逆にいうと、わたしはなんというか、「日常」とか「生活者」として見るものの解像度がやたら高いタイプなのかもしれない。

難しい話は、がんばって聞いているつもりでもポロポロ抜け落ちてしまって記憶に残らないもの。

* * *

これはもう、男女差というよりは単なる個人の性格の差のような気がしてきたぞ。

けれど、いろんな夫婦や恋人のなかで、こういう会話があったりするのか、しないのか、ちょっとのぞいてみたいという興味はまだある。むしろ同性の友人の中でもあるよ、とかそういう話が聞けるとさらに「個人差」理論が強まってそれもおもしろいし。

なのでよかったら、「こんなときにあるある、共感〜」なのか、「いや、別に誰との間でもないなぁ…」などなど、なんでもいいのでひとこと教えてもらえたらとても嬉しいです。

今日はまとまらないまま、おわり。

自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。