入学祝いに、おくるもの
この春、夫方の甥っ子が小学校に入学した。
遅ればせながらと1冊の本を添えて入学祝いを送ったら、とても気に入ってくれたらしい。
夫の実家、つまり甥っ子くんのじいじばあばのお家にお泊まりしたときにも、その本を大事そうに抱えて「これ、だれにもらったとおもう?」と玄関を入ってきたそうだ。
「とても気に入っていて、寝る前にも読んでと頼まれた」と、おかあさんが教えてくれた。
本を手にしている甥っ子の、底抜けにあかるい、はじけんばかりの笑顔を想像して、思わずこちらもにっこりしてしまう。
* * *
そうかぁ、そんなに喜んでくれたのかぁ、吟味してよかったなぁ。そうしみじみしていて、なんだかふと、自分がこどもだったころのことを思い出した。
ああ、そういえば、そうだったなぁ。
自分が小学校へ入学したときのことはよく覚えていないが、こどものころはよく、親戚や、ご近所さんが、「△△くんと◯◯ちゃんに」、と兄と私宛てにプレゼントをくれたものだった。
そして、なんというか、そういう “for you” を受けとる感覚は、特別なのだ。
その感覚はむしろ、おとなよりもこどものほうが敏感なのではないかと思う。
もちろん自分にとって新しいものをもらえばそれだけで嬉しいけれど、誰かのお下がりでもなくて、みんなでどうぞ、でもなくて。
君のために、これを選んだんだ、さあどうぞ!というものを受けとるのは、いつもとても嬉しかったように思う。
* * *
ちょっと話は変わるが、こどものころの私は、こどもだからという理由でひとりの「人」として扱われないと不満を抱く、おとな側からみればめんどうな子だったなぁと思う。
あれは小学校高学年のときだっただろうか。視力が低下してメガネをつくりにいったのだが、実際にメガネをかけるのは私なのに、店員は親の目ばかりを見て話をしていて、おおいに不満であった。
その場でキレることはなかったが、家に帰ってから、購入時にもらったお客様アンケートはがきに、記入欄をはみ出して欄外までびっしりと、なぜ嫌な気持ちになったのかをつらつら綴って説明して、投函した……ら、数日後に会社からお詫びの電話がかかってきていたなぁ(笑)。
確かアンケートはがきの最後の方には「もう二度とこのお店でメガネは買わないし、友だちにも絶対にすすめません」みたいなことまで淡々と書いたような気がするから、少しは怒りのボルテージが伝わったのだろうか。小学生、甘くないのだ。
電話には親が出て、先方は私へひとことお詫びをしようとしてくれたらしいが、私はムカムカしていて電話を替わらなかった。母が、「すみません、出たくないと言っていて……」と対応している姿が記憶に残っている。ああ、うん、おとな側から見ればつくづく面倒くさい子であることは間違いない。
まあ自分がおとなになってしまえば、そりゃあ財布のヒモを握ってるのは親だしね、とか、未成年の責任は保護者にあるしね、とか、もちろん店員の気持ちや事情はわかる。わかるのだけれど。
ただ、それがわかってもなお、あのときの店員さんは、決済や安全上の注意は親の目でもいいから、フレーム選びやかけ方の話なんかは、小学生の私の目をみてすべきだった、と思っている。
* * *
こんな古いエピソードを持ち出してなにを言いたかったのかというと、たぶん、小学生ってもう立派な「ひとり」の人間なのだ、ということだと思う。
ざっくりいうとそれは“一人前感”みたいなものだ。
もう赤ちゃんでもないし、お母さんやお父さんがいなくたって楽しいし、ひとりだってなんでもできるし、電車料金だってひとりぶん払ってるし。わたしは、わたしだ。もう、一人前だ。
自分が子育てをする立場になった今でこそ、「ああ、自分はなんとたくさんの人に育てて支えてもらっていたのか……」と思うようになったけれど、そんなのはおとなの都合で。
できることが増えて、「じぶんの」友だちと遊んで、「じぶんの」好きな服を着て、「じぶんの」学校に行って、「じぶんの」鉛筆で「じぶんの」ノートに文字を書く。
親の手を離れて、じぶんを中心に、世界を再構成してゆく。
それはとても楽しい時期だ。
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そんなこんなで、自分のこども時代の記憶がわりと鮮明に残っているので、わたしはこどもという存在に畏敬の念に近い感情を抱いている。
1歳の娘にも、いやむしろ0歳のころから、突然スッ……と無表情で見つめられたりしようものなら、「ああ、すべてを見透かされている……」と思ったりしていた(笑)。
一般的におとなはこどもと接するときに「こどもだから……」と甘く見ている節があるけれど、もうほんと、小学生くらいになるとこっちのごまかしなんて簡単に見破って、どんどんすきをついてくるし、むしろ柔らかい頭で固定観念にとらわれない発想をするし、すごいなぁと。
映画『ホームアローン』じゃないが、こどもだから、と油断していると、簡単に痛い目を見るのだ。
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入学祝いを送るとき、本人宛の手紙は中身に同封したけれど、宅配便自体の宛名はどうしようかな、と実はちょっと迷った。うーん、連名か?とか。今は親の立場も、こどもの立場も、わかるようになってしまったからだと思う。
でも結局は、本人の名前だけを書いた。
そうだそうだ、そうだよな。自分が彼だったら、絶対にその方が嬉しい。それを思い出したからだ。
まして3人兄弟の真ん中で、きっと普段は兄弟と共有するものも多い。だからこそ、特別な門出にはしっかりと、“for you”を贈りたい。
大事そうに本を抱える彼の笑顔をまた妄想して、なんとなく、伝わったのかもなぁ、なんて、おばさんは勝手に思っている。
自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。