ひさしぶりだね、超熟。
日常のなかに溶け込んでいて、ほとんど意識すらしないもの。失って初めて、その存在の大きさに気づくもの。
「好きなものは?」と聞かれて、あえて名前をあげるような対象ではないんだ。わかる?わかるよね。そういうのとは違う、無意識の階層で、君はわたしの暮らしのなかにいた。ずっと。
……いてくれて、当然だと思っていたんだ。まさかサヨナラも言えずにお別れすることになるなんて、考えてもみなかった。
あの日、何の覚悟もないまま、君と別れて引っ越して、3年以上の月日が過ぎた。いつしかわたしも、君のいない毎日に慣れてしまった。
1年目はまだ、新しいスーパーを訪れるたび、もしかしたら君に会えるかもしれないなんて、食パン売り場をくまなくのぞいてみたりもしていた。けれどある日、ああ、この場所にいるかぎり、もう君には会えないのだと悟ってからは、もうそんなこともしなくなった。
だって、期待すると、つらいもの。あきらめてしまったほうが、楽になれる。そう思ったんだ。責めないでね。
そう、君の名前は、超熟。
*
君との別れは突然だった。
だって、九州には君がいないなんて、だれも教えてくれなかったんだ。
だから、君に会えなくなるだなんて、微塵も思っちゃいなかった。
よく、海外へ行く前に「しばらく食べられなくなるねえ」って寿司やら蕎麦やらをしみじみ食す、なんてシーンがあるけれど。あれとはわけが違う。
だってあれは、いまからしばしの間でも別れがくることを「予期」して「覚悟」しているんだから。
そんな予期も覚悟もまったくなく、フッとある日、君はわたしの生活から消えた。
あんなにも毎日、いっしょにいたのに。
*
それは例えるなら、恋人でも親友でもない、でもずっと長く暮らしていたルームメイトが、何の前触れもなく出ていってしまったみたいなこと。
べつだん「好き」の対象ではないと思っていたのに、いざいなくなると、その存在の大きさを初めて認識するんだよ。
ほら、毎日いっしょにいると、見えにくくなるものってあるでしょう?
空気みたいな存在、ってよく言うけど。
たぶん君のことも、当時のわたしはそんなふうに思ってしまっていたと思うんだ。傲慢な言い方でごめん。ねえ、怒らないで聞いて。
でも実際は、思いのほか、君との思い出は多かった。
初めてイングリッシュマフィンが朝食に出てきたのはいつだっけ。高校生くらいのときだったかな。焼き加減がうちのトースターでは難しかったけど、軽くトーストしてハムやチーズをはさんだりしてさ。そのままバター塗って食べるのも、もちっとして好きだったなあ。
表面にまぶしてある細かい粉が、食べるときにテーブルや床に散らばって、「ほらあ〜!」って母によく言われたっけ。最近は自分が母の口調によく似てきてしまっているのを感じるよ(笑)。血は争えない。
ロールパンは、実家のときはもちろん、ひとり暮らしのときも扱いやすくて引き続き、お世話になったなあ。ウインナーを縦に2つ並べてさ。レタスとかキャベツと、チーズを一緒に挟むだけで、なんとなく朝食とか軽いランチになったりして。ちょっと小腹が空いたとき、そのままレンジで数十秒チンして、もっちもちのそれをそのまま食べるのも好きだったよ。
食パンとの思い出は、もうあまりに積み重ねてきた日々が多すぎて、とてもじゃないけれどまとめきれない。
20代にひとり暮らしをしていたとき、節約したいからと他の食パンを買って、でもなかなか相性があわなくて。いろいろ試したあげく、結局「ごめん」って、君のところに戻ってきたりもしたよね。
一番安いわけでもないけれど、高級というわけでもない。日常の中でわたしの手がとどく、ちょうどよい幸せだった。安心感があった。やっぱりパン屋さんの焼き立てパンもたまには食べたくなるけど、毎日はとても買えないわたしに、君は日々のささやかな幸せを安定的に供給してくれた。
君との思い出、ひとつひとつが、たいして意識されることもなく、流れていった。でもそうして埋もれているだけで、確かにそこには、君と積み重ねてきた日々があったんだ。
*
だから昨日、twitterを眺めていて流れてきたつぶやきに、わたしは目を疑った。
なんと、君が九州に来たというじゃないか!!!
言うなれば、3年前に関東で何の前触れもなく家を出ていった音信不通のルームメイトが、3年ぶりのメッセージをくれて、しかもその内容が「実は今日、福岡に来たんだけど(笑)」だったようなものだ。
「えっ!」と、衝撃が全身をかけめぐった。
正直に言おう。君のことは、もはや日々の暮らしの中では忘れていた。でも、君との日々のことを忘れたわけじゃない。思い出すとちょっとだけ寂しいから、現状に慣れようとしていただけだ。
だから君が九州へ来るという、そのニュースを目にしたとき、わたしの中に抑え込んできた3年間の君への思いが思わずほとばしった。
あまりに興奮しすぎて、Pascoさんのtwitterアカウントに勢い余って「販売店舗一覧はどこから見られますか?」と聞く。店舗一覧はなくて、お客様相談室で案内していると聞き、そのリプライをみた手でそのままTELした。
運良く最寄りのスーパーにも納品していると、電話口の男性はおだやかに案内してくれた。ありがとうございます、そう言って電話をきろうとすると。
「ただ、まだ数が少ないので……ご不安な場合はスーパーにお取り置き等をお願いされたりするとよろしいかと……」と、控えめな口調で付け加える。
なるほど。話はわかった。
つまり、冷凍庫にはまだ食パンのストックが十分あるし、昨日夕飯の食材もまとめ買いしたから今日は買い物へ行かなくていい日なんだけど、今日スーパーへ行けということだな。しかも、夕飯前の混雑時では売り切れるかもしれないから、今すぐに行けというわけだな。
話の意図を勝手にカスタマイズしたわたしは、電話を切り、そのまま財布とスマホだけを抱えて家を出た。高鳴る鼓動。スーパーへと続く道、自然と早足になる。
“会える、会える、もうすぐ、会える……!”
早足で歩いている間は、そんなドキドキとわくわくでいっぱいだったけれど、信号待ちで足をとめると、ふと冷静になった。
“あ……どうしよう。3年ぶりに会うのに、すごい普段着で来ちゃった……。”
ボーダーTシャツに、ラフなパンツ。近所に出るくらいならOKの、ただ決してお洒落とはいえない、カジュアルすぎる格好。
でも、続けてこう思う。
“だいじょうぶ。だって君のことだもの。中高生のときも大学生のときも、大人になってからも、さんざん、朝の寝ぼけた姿を見せてきた仲だもん。そんなこと気にする間柄じゃ、ないよね”。
なかなか変わらない信号をじっと見つめながら、わたしはいたって真剣に、そんなことを考えていた。
*
スーパーに足を踏み入れる。脇目も振らず、そのまま食パン売り場へ向かう。
いつも、売れ行きのいい食パンたちが並べられているメインの棚を見る。
さあ、どこだどこだ……。
……あ、あれ??
ない、ないのだ。おかしい。超熟が並べられるとしたら、絶対にここでしょう?! ないってことはやっぱり、もう売り切れちゃったのかな。それとも、まだ棚出ししてないとか。うーん、お店のひとに聞いてみるかな。
そこまで思いをめぐらせてから、いや待て念のため、と横へ曲がり、ロールパンなどまで網羅されている棚へと移動してみる。
……と、その上段に。あった!あった!
懐かしい、青と白のパッケージが……!!!数えるほど、少しだけ。
”そうか、ここなんだなあ。まだ、食パンのメイン棚には、入らない、ここなんだなあ、そうか、そうか……”。
あんたPascoの何なのさと自分でも頭をよぎりつつ、でもその「はじめの一歩」感がとてつもなく胸にぐっときて、思わず目頭が熱くなった。さすがに理性が働いて、すうはあと深呼吸をする。
感動のあまり、とりあえず記念撮影をした。
夢にまで見た、「超熟 in 福岡」。
うう……。超ロングセラー商品が、「新商品」って貼られてるよ……。がんばった、がんばったねえ(涙目)。
数は俄然、他の食パン銘柄に比べると少なかったけれど、そこはまあ、しかたない。あせらずゆこうよ、じわじわと(ほんと誰)。
ちなみにその時点でその店舗でのラインナップは食パン(5枚、6枚)、イングリッシュマフィン、フォカッチャの3点。ロールパンや山型がなかったのは個人的に残念だったけれど、Atoさんがおいしいと言っていたフォカッチャも入っていたのは嬉しかった。
昨日の昼過ぎ、棚の前で大きく肩で息をしながら、泣き笑いのような表情でニヘニヘしていた女を見かけたひとがいたなら、それはきっとわたしだ。
超熟食パンとフォカッチャを迷いなく手にとって、セルフレジて軽快に会計をすませ、意気揚々と家に帰った。
*
せっかくなら家族で開封を、と思ったのだが、耐えきれず、フォカッチャだけフライングで、ひとりで開けてしまった。
昼ごはんを食べてしまったことを後悔したけれど、そんなことはもはや、ちっぽけな問題である。炭水化物どんとこい。
ふふ、ふふ、ふふ……。トースターで軽くあたため、はむ、と噛じる。
パンの繊維といったら伝わるだろうか、あの、噛じったところで細く糸をひくような感じを目にして、思わずにやにやとしてしまう。うう、この値段でこのクオリティ。
うん、ほんとうはシチューとかスープとか、肉や魚のソースとかと一緒に食べたらよりおいしいんだろうな。わかるわかる。大丈夫、今のわたしは脳内補正でそこまで味わえるもの。
気どらない普段着の、日常の幸せ。
会いたかった、やっぱり会いたかったよ、超熟。
*
一夜開けて、食パンは翌朝、家族そろって開封した。
フォカッチャとともに、トースターで軽く焼いて、バターを塗って……から、娘にエプロンをつけて口の周りにワセリンを塗り、しかも椅子に座らずわたしの膝で食べると主張する彼女を「はいはいー」と言いながら膝によいしょと載せる……間に、食パンはすっかり冷めた。
焼き立て、サクッ!のあの瞬間はいずこへ。ああ、一口でも先にかじっておくべきだった。
そんな背景もあり、正直にいうと、残念ながら思っていたよりも、「ああ、これだよこれ!」という”感動の再会”感はうすかった。いや、でもそういうもんだよね。日常生活でのおつきあいだもの。でもいつも食べているパンより、ほんのりと甘みがあって、しっとりしているのは感じられた。
ただ、近年はどのメーカーも努力して品質をあげてきているように感じるし、個人的には、市販の食パンのクオリティはもう、価格帯が同じならどれもほぼ近しいような気もしてる。それにやっぱり、パン屋さんや自宅で焼き立ての手作りパンを食べたほうが、「おいしい!」とは、なるし。
でもいいんだ、君との関係は、そういうんじゃないから。
ちなみにフォカッチャは、冷めても結構おいしかった。最近は途中でパンを投げ出し気味の娘も、フォカッチャはけっこうな勢いで一気に食べていた。
*
いま、初めてこの家の食卓に置かれた青と白の君をみると、実はものすごく違和感がある。このテーブルに、この家族のなかにやってくるのは、初めてだもんね。
こどものころから見知った存在だった君が、結婚してからのわたしの新しい人生のなかに、ぽっ、と入ってきたみたいなさ。
なんだか実家で暮らしていたときの母の声とか、トースターでパンを焼く父の姿とかを、同時に運んできてくれたみたいで。不思議な心持ち。
ねえ超熟、「はじめまして」なんて、そんな寂しいこと言わないで。
中学生のころからの付き合いじゃんか。たかが3年やそこら、会わなかったからって、そんなよそよそしい顔しないでよ。
「ひさしぶりじゃん。元気してた?」って、そのくらいがちょうどいい。
そして君は、またわたしの日常のなかに。まだちょっとぎこちなさもあるけれど、今度は新しい家族との、新しい日常のなかに、じわじわってさ。
ようこそ。おかえり。会いにきてくれてありがとう。
自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。