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世界一周完遂記#2 道中で出逢えた初めての"想い"を紡ぐ


私は先日、「余命10年」という映画を初めて観た。
ずっと観たいなと思いながらも、時は経ち…。
今回Amazonプライムを無料で入会する機会に恵まれたため、観てみた。

案の定というか物語の半分以上は号泣しながら、観ていて。笑
その中で「生と死」について考え、今自分に在るものの豊かさを感じ、「生きる」ことを大切に紡ごう、などと、ありきたりな感想を抱いた。

でも残念ながら、人って忘れる。
どんなにも大切なことを感じても、日常に溢れる「当たり前」に呑まれ、結局忘れてしまう。
そんなようなこと、世界一周中に感じた大切な想いの中にも沢山あったな、とふと思った。

道中では初めての経験が多かったが、同じく初めての ”想い” にも多く出逢えた。その中で色々なことを考えさせられて、この想いを忘れたくないな、と思った。


だけど正直、日常の中で忘れつつある想いがほとんど。
このままではいけない!と思い、この記事を綴ることとした。

前置きが長くなったが、私が世界一周する中で出逢った「初めての想い」を、私の人生に紡ぐために、綴る。

1.こんなにもワクワクする瞬間って人生に何度もあるのかな!!!


不覚にも、そう思ってしまった瞬間を鮮明に覚えている。

それはアフリカのボツワナで、サファリに向かっている時のことだった。
朝5時半泊まっていたロッジに送迎の車が来たのだが、その車がまた粋でTHE サファリカー!!!って感じ!眠気も覚め、ウキウキしながら乗車。


明かりもないガッタンゴトンの道を通りながら、私のワクワクは最高潮。
大切な仲間と、有限の若さ、お金も時間も最大限に活かした大冒険に、「こんなにもワクワクする瞬間って人生の中で何度もあるのか!!!??(いや、ない)」と思わずにはいられなかった。

普段から「えりって子供心を忘れてないよね、そんなとこが良い」と人に言って頂くくらいには、普段から小さなことでワクワクして、精神年齢低めの人生歩んでいるけれど、あんなにもワクワクが最高潮に達したのは今までの人生の中でなかったのではないか、と思った。

あの瞬間はきっと忘れない、私にとって宝物のようにキラキラしていた。
だからなにって感じであるけれど、私にとって大切な、初めての想い。


2.嬉し涙をたくさん流した一年だったな


世界放浪中は日々、漠然とした不安に襲われていた。
日本に帰ってから、やっぱあの不安は異常だったなと回顧するくらいには常に何もかもが不安だった。


……だからこそ、人の優しさがとにかく沁みた。

世界一周中はとにかく優しさに触れるたびに大号泣。笑
交通機関内でも、人目も憚らずに、人の優しさに涙を流していた。

日本から励ましてくれる大切な人たちの想いに触れて泣いたかと思えば、不安な時に誰かが優しい笑顔を向けてくれただけで泣いたこともあったっけな。大なり小なり、人の優しさに触れては、安堵したり、感激したり、嬉しかったり、プラスな感情にて涙を流した。

こんなに嬉し涙を流すほど人の優しさを感じた年は、初めてであった。
嬉し涙なんて、日本では年単位で数えても片手で収まるくらいだったのに。
この深くて、多くの優しさを受け取ったことを忘れないでいたい、そう思った。

と同時に、自分も沢山の御恩を周りの人に返し続けたい、と思う。
いわば恩送り。
例えそれが道端で出逢った赤の他人であっても、優しさを分けることで、優しさの輪が広がっていけたら良いな、と、そう思う。


3.こんなにも多くの人に応援されることって後にも先にもないんじゃないかな


世界一周中は本当~~~~に多くの人に応援を頂いた。

いつもドバドバの愛を私に投げつけてくれる周りの大切な人たちからはもちろんのこと、プライベートで自己満がてらあげていたInstagramから昔の友人が声かけてくれたり、世界中で出逢った方々に「貴方みたいに若くして世界一周するなんて凄すぎる!!!」と絶賛されたり…。本当に行った先々で応援して頂けた。

このnoteでも本当に多数の方から温かいコメントやメッセージ、スキを頂けて、道中はどれだけ励まされたことか…。

なにかに長けている訳ではない私にとって、ここまで応援されることって後にも先にもないと思う。
そのくらい応援された一年であった。

辛いことの方が多かったこの一年に、これらの励ましの一つ一つがどれだけ心の支えであったかは、多分私にしか分からない。
応援してくれた人が思っている軽く数倍は励まされてきた。

こんなにも多く深く応援された経験を決して忘れたくはないし、忘れてはいけないと思っている。
そしてこの一年を通して同時に思ったことは、これからは(も?)自分も誰かのことを心の底から応援できる人で在りたいということ。
この一年で特に自分のやりたいことを諦めずにやり遂げて、その過程で幾度となく応援された私なら出来るのではないか、と思っている。


そしてこれから自分は長年の夢であった、児童福祉の世界に飛び込む訳であるけれど、子ども達が抱く大切な夢も、誰よりも応援できる私で在り続けることをここに誓う。


4.生きて帰りたい

これも人生で初めての想い。

南米直前での出来事。
南米といえば治安の心配がアフリカと同じかそれ以上に大きくて、流石に死ぬ可能性あるかな、とか思った瞬間があった。


ネガティブなことを言うけれど、自分にとって死ぬことなど本望であって、首都直下地震が来たときには、人を三人救ってから瓦礫の下に自ら入って死のうとアホなことを本気で考えているわけなのだけど…。

そんな時にいつも通り、従兄弟たちの写真を見ていたらもう恋しくって恋しくて。(私には歳の離れた従兄弟がいるのだが、自分でも引くほど溺愛してる)

「私この子達が成長するのを見るまで死にたくない、絶対生きて帰るんだ」

と堅く心に決めた。
特に下の子は私が出国した後に徐々に歩けるようになったらしく、どうしてもその子が歩く姿をこの目で見たかった。

そんな大した事ないようなことに思えるけれど、小学一年生の頃には既に「おばけが怖いから死にたい」と母親に溢し、小学校六年で不登校になってからは波があれど常に希死念慮を抱えている私にとって、初めて「生きたい」と心の底から思えた出来事であった。

後日談としては、もちろん帰ってからは何度も会い、莫大な愛を満足いくまで伝えた!!!!
相変わらず上の子とは両思いでした❤️❤️❤️
(お姉ちゃんが外国行っている間寂しかった、会いたかったと言われた)
(お姉ちゃん日本語忘れてたら教えてあげようと思っていたらしい)
(可愛いカワイイかわいいkawaiiiiiii)

そして下の子の歩いている姿を見れた😭❤️❤️❤️

初めて「生きたい」と思わせてくれた二人には、本当に感謝していて、大きくなるまで大きくなってからも溢れんばかりの愛情を伝え続けたい😢


そして今は彼らにとって近所のおばちゃんのような温かい居場所になるのが密かな目標。これから大人になるにつれて多感にもがくこともあるだろうけれども、彼らにとって都合よく甘やかしてくれて、親や友達にいえないような悩みをスッと吐き出せるような居場所で在り続けたい。叶うと良いな。

5.親への感謝

親への感謝も道中で初めて湧いた。

私はずっと親に感謝したことがなかった。むしろ憎んでいた。
それは何故かというと、私をこの世に産んだから。

この人たちのせいで私はこの世に産まれてしまった。
人生が良いとか悪いとか、楽しいとか辛いとかどうでも良くて私はこの世に産まれてきたくなかった。そのくらい私にとってこの世は綺麗で残酷。
確かに両親の手の元、ここまで大きくなれたのは理解している。だけど、勝手にこの世に産んで、迷惑をかけた所で、自業自得でしょとしか思えなかった。ひねくれているのは自分でも分かっている、だけど、そう思わずにはいられなかった。

だけど、そんな私が親に感謝を抱くことができたのもこの道中が初めてだった。

それは世界中で出逢った人によく、こんなことを聞かれたことがきっかけだった。
「貴方が一年間も世界中を旅していることに対して、両親はなんて言っているの?心配だとか怒っていたりしない?」
と。

私はびっくりした。
海外はギャップイヤーが日本と比べて遥かに浸透しているのに、そんな海外の人でも不思議に思うような、心配するようなことを、私はしているのか、と。

勉強できなくて私立の(しかも超適当に選んだ滑り止めの)大学しか受からなくて、それでも行かせて貰ったのに、大学卒業して旅に出るなんてふざけたこと言って、実際に旅に出ている。

冷静になって考えてみると、それを許してくれた両親の器は凄く大きいし、結局は応援してくれて、何か嬉しいことがあると一緒に喜んでくれて。

そこまでしてくれて、感謝が湧かずにはいられなかった。
それは自分にとって、大きな成長でもあった。

……



沢山の”想い”に出逢った。
そこには、プラスな想いもマイナスな想いもあった。

でも今回綴った5つの”想い”は自分の人生でなかなか抱いたことのなかった気持ちで、本当に嬉しかったし、この感情を抱いたことを忘れたくない、とも思った。

これからも旅ではなくとも、人生の中で、色んな "想い” に出逢って行くのは確かなのだけれども、出逢ってもただ忘れるだけではもったいない。
これからも大切に紡いでいけたらと思う。

今回も読んでくださりありがとうございました~!
😉💐


世界放浪記、節約術、自分のこと。
色々と綴っております。
良かったら読んでくださいな 🫶
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