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心配した…

今日は午後から出かける用事があったので、休暇届を出していた。

ところが昨晩、静岡に住む叔母からの電話で、いっぺんに状況が変わった。

岐阜の叔父の家に夜になっても明かりがつかないのを心配したご近所さんが、市役所に連絡をし、そこから緊急連絡先(になっていたらしい)叔母のところへ連絡が入ったというのだ。

その叔母も、この春にくも膜下出血で緊急入院し、最近退院したばかりで、叔父の話はいつのことなのかはっきりしない。
ただ、すぐに様子を見に行けるのは兄か私しかいないのは確かだ。

叔父の近くに住む兄に電話してみたのだが、携帯も家の電話も出ない。
もしかして、すでに叔父のところに行っていて、大変なことになってる最中なのか!?

子どものいない叔父夫婦のことは気にしつつも、何かあったら電話してと携帯番号のメモを渡してあるだけだった。

母の一周忌以来だから、もう2年以上会っていない。

とりあえず朝になるのを待ち、夕方見てくるという兄からのLINEをスルーしたまま、ひとり車を走らせた。

〇〇が丘と言われる昭和の住宅地は、同じころに建てられた家が並び、明らかに空き家という家も目立つ。

カーナビが示した叔父宅の前に車を停め、昔の記憶をたどりながら表札を確認した。
インターホンを押そうとすると「故障中」と紙が貼ってある。

鍵のかかっているドアをドンドンドンとノックして「おじさん、育です!」と呼びかけるのだが、気配が感じられない。

勝手口はどこだっけ?
思いのほか庭の手入れは行き届いていて、生垣に沿って入っていくと表の庭に出た。

手前は叔母の茶室、続いて居間、その次は…、間取りの記憶が曖昧だ。

よく見ると、どこも網戸になっている。

このサッシ、いつから開いたままなんだろう。

一番奥の部屋に「おじさん!育ですー!」と声をかけると、「おぉ」と声がした。

あー、生きてた。

身体から力が抜けそうになりながら、部屋の奥を覗き込むと、ヒゲが伸び放題の叔父が現れた。

続いて後ろから少し小さくなった叔母も。

「どうぞどうぞ、玄関にまわって」と言われ、またさっきの玄関に戻って待った。

前に会った時に比べ、また少し年を取ったように見える叔父と叔母。

叔母はまあまあ小綺麗だけれど、上半身裸の叔父は、仙人のようだ。

開いたドア越しに、「民生委員さんですか?」と尋ねられた。

私とわかるまでに、
兄貴の?
〇〇市の?
育か?
そしてようやくわかってもらえた。
認知症の傾向がある叔父だったが、以前より会話は確かで安心した。

「何か買ってこようか」と言ったけれど、宅配弁当を頼んでいるから、何も要らないと言う。
もしもに備えて持っていた飲み物も、お茶しか飲まないと言うので持ち帰ることにした。

毎日元気で、二人とも(身体は)どこも悪くないと言う。

しかし、身の回りのことはちゃんと出来ているのかどうか、心配を残したままで帰ってきた。
灯りがつかなかったのは、ブレーカーが飛んだからだった。

静岡の叔母からは「施設に入るよう説得してきて」と言われていたが、さすがに久しぶりに訪問して「施設に入りましょう」はないし、その前にクリアすることがいくつかある。

叔父と叔母の様子を見て、介護サービスを受ければ自宅で暮らすことはできるだろうと感じた。
でも一緒に暮らしたことのない叔父夫婦のことに、どこまで入っていけるか戸惑いもある。

車で10分ほどのところに住んでいる兄は、こういうことはあまり頼りにはならない。
かと言って、私が事を進めるのも…。

親も身内も高齢になり、別の叔父は昨日救急搬送されて、心筋梗塞で入院となった。
そちらは従弟がいるから安心だけれど。

子どものころお世話になった叔父叔母のことを、できる範囲で支えていくしかない。


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