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休日の朝、庭の芝生に水をまいていると、小さなトカゲが顔を出した。 突然のシャワーに驚いたのか、ガニ股で走って逃げていく。 「そんな慌てんでいいよ。もう誰も取って食わんから」と話しかけると、急に涙がこぼれそうになった。 暑い暑いと言っている間はよかったが、秋の気配にふと寂しい気持ちになる。 この夏の初め、可愛がっていた8歳のラブラドール犬「なな」が、病気で死んだ。 わが子同様のなながいなくなった寂しさは、まだ日々の生活のあちこちに忘れ物のように落ちている。 子どもにねだられ
ラグビーWカップが始まった。 昨夜の開幕戦がニュージーランド対フランスということで、寝ないで見るぞーと頑張っていたのに、ハカの声を聞いた後の記憶がない。 今回まさかの負けとなってしまったが、日本チームと同じくらいオールブラックスを応援したいと思っている。 そこで、15年ほど前に書いたエッセイを思い出し、発掘してきた。 自分でもこんなこと書いていたんだと驚き、恥ずかしく、懐かしい思いが少し。 エッセイ仲間と自費出版した本に載せた一つ、転載します(恥ずー!)。 《男は黙
新聞配達のバイクの音が、夢うつつの私にそろそろ朝だよと教えてくれる。 関西の私大に通う息子は、いま二回生だ。夏に帰省したとき、大学のことや将来のことで悩んでいる様子だった。家計をやりくりして仕送りし、勉学に集中する環境があるのに、何がだめなの?と説教をすることもあった。 そして、電話をしても出ないことが増えた。 先日、用事ができて帰省した息子が、驚いたことに「俺さ、新聞配達始めたよ」と言った。塾のバイトの方がいいのに、と言いかけて言葉を飲み込んだ。息子が朝刊の配達の様子を
※※※10年ほど前に書いたエッセイ。ガラケーにカメラが付いたころのお話です※※※ ある調査によると、2,30代の既婚女性の6割が、夫の携帯を内緒でチェックしたことがあるという。意外に多い。 私は40代だが夫の携帯に興味はないので、頼まれない限り開くことはない。開けてみても業務連絡のメールか、取引先からの着信だけに決まっている。夫の方も私の携帯を開けたことはないだろう。ただこちらにはお宝がザクザク入っている。 携帯にカメラがついた時は、誰が何のために使うんだろうと思ったが
夏の暑さもやわらいだ九月の朝、風を通そうと屋根裏の物置を開けると、子どものおもちゃ箱が目に入った。 ピーピー音の出るボール、電話に積み木、子どもが幼い頃のおもちゃがギュウギュウに詰まっている。もういいかげん捨てなくちゃなぁと中を見ると、水色のアヒルがこっちを見ていた。何度片付けをしてもこれだけは捨てられない。たぶんこれからも…。 あれはもう二十数年前のこと。結婚三年目にようやく赤ちゃんを授かった私と夫は、嬉しさと不安の中で毎日を過ごしていた。お腹も大きくなり始めた頃、夫が
娘が中三の秋、志望校を聞いた夫と私は、少々反対だった。遠くに行かなくても近くの学校でいいと思ったからだ。それでも最後は本人の意思を尊重し、娘は志望校に合格した。 入学式でのこと。吹奏楽の演奏にあわせて一年生が入場してきた。この曲、何て歌だったかなぁと思い出そうとしていると、娘の姿が目に入った。真っ直ぐ前を見て歩くその横顔を見た途端、胸にこみ上げるものがあった。周りに知り合いはおらず、とめどなくあふれる涙が恥ずかしかった。 二人の子どもを育ててきて、入学式に泣いたのはあの日
大学に進学のため、息子は今春から一人暮らしを始めた。周りの人は「寂しいでしょう」と私のことを気遣ってくれるのだが、どうもピンとこない。寂しくないといえば嘘になるが、受験生を抱えた暗くて長い毎日が終わり、ホッとしていると言った方がしっくりする。それどころか、気の合う友人と食事をしたり旅行に出かけたりと、寂しいと思っている暇がない。息子から便りのないのも、元気な証拠と思って過ごしている。 そんなことを話していたら、年上の知人が「上手に子離れできたってことだよ」と言う。なんだ
社会人になった娘が、夏に帰省したときのことだ。荷物を置くなり、四畳半の茶の間で足を投げ出し、「あー、ウチは落ち着くねぇ」と伸びをした。 娘が帰ってくる前に、小綺麗にしておこうと思っていたのに、仕事で忙しい毎日が続くうち、片付けることができないままだった。テーブルの上には、ノートパソコンや読みかけの雑誌、リモコンやボールペンなど、定位置に戻していないものが載ったままだ。 しかし、娘はさほど気にする様子はない。「この雑多な感じが、実家に来たって気がするわ」と、笑っている
行きつけの美容院の向かいに「山猫軒」というカフェがある。ずっと気になっていたが、小さな窓からは中の様子を窺うことはできず、入るタイミングもなかった。 先日、美容院でカットをしてもらい、店を出ようと時計を見ると午後一時過ぎだった。お腹もちょうど空いている。思い切ってそのカフェに入ってみることにした。 ドアの横にはイーゼルがあり、置かれた黒板には「お一人様もお気軽にどうぞ」と書かれている。まさか……と一瞬立ち止まった。 あれは息子が小学校6年のときの、参観日だった。国
「どう思う?」と言う友人に勧められ、村上春樹の短編小説、「バースデイ・ガール」を読んだ。 主人公の女の子はその日、二十歳の誕生日だった。ボーイフレンドはいるが、彼とは最近修復不可能な喧嘩をしたばかりだ。おまけに熱を出した仲間に代わって、バイト先のレストランで仕事をすることになった。 さて、私は二十歳の誕生日を、どうやって過ごしていただろうか。多くの人は、正々堂々とお酒を飲んだとか、彼と食事をしたとか、記憶に残る一日なのだろうが、何も覚えていない。もうずいぶん昔のことで、忘
自分の子育てが間違っていたのだろうか。大学生になっても娘は反抗期のままで、自由奔放な性格に手を焼いていた。 そんな娘が、去年の今頃「私、カナダに行く」と宣言した。ワーキングホリデーのビザを取り、休学届けを用意し、アルバイト代も貯めていた。「長年の夢」を止(と)めることはできなかった。 心配をしたらキリがないが、Webで見る写真や、短いメールで無事を確認する日々だ。仲間と肩を組んだ笑顔に、ほっと胸をなで下ろしている。 しかし、渡航前に思い描いていたようにいかないこと
夫の運転する車で、母と娘、私の4人で墓参りに出かけた。 山間の墓苑にも真夏の太陽が容赦なく照りつけている。それぞれが手分けしたように手桶の水を注ぎ、花を手向け、ろうそくと線香に火を灯した。 「じいちゃん、水いっぱい飲んでね」と言う私に、「おじいちゃんビール飲めなかったの?」と娘が驚いている。父が他界して20年、当時3歳だった娘におじいちゃんの記憶はほとんどない。 墓前に手を合わせると、娘の就活や息子の進路のことなど、話したいことがたくさんあった。一言でいいから、父の言葉
夫は着る物には無頓着だが、仕事用のスーツだけは大切にしている。「俺のはKクリーニングに出してくれ」と言う。近所の取り次ぎ店より少々値段が高いが、それぐらいなら夫の希望を叶えてあげようと、年に二回の衣替えはKクリーニング店と決めている。もう二〇年以上のお付き合いだ。 六十代のご主人は、いつも作務衣を着て窓際でアイロンをかけている。話し好きで、景気や年金の話から政治談義になることもある。それでも仕事の手はいつも休まず動き、一枚のワイシャツが仕上がる様子はまさに職人芸だ。 店先