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息子の小さな手

 大学に進学のため、息子は今春から一人暮らしを始めた。周りの人は「寂しいでしょう」と私のことを気遣ってくれるのだが、どうもピンとこない。寂しくないといえば嘘になるが、受験生を抱えた暗くて長い毎日が終わり、ホッとしていると言った方がしっくりする。それどころか、気の合う友人と食事をしたり旅行に出かけたりと、寂しいと思っている暇がない。息子から便りのないのも、元気な証拠と思って過ごしている。

 そんなことを話していたら、年上の知人が「上手に子離れできたってことだよ」と言う。なんだか母親業の卒業証書でももらったようで、誇らしくなった。

 先日、珍しく息子のことが気になって、電話をした。変わりがないことを確認し電話を切ろうとすると、息子が「あのさ」と言った。ちょっと都合が悪いときの声だ。

 部屋の鍵をなくしたという。それも夜釣りに出かけた琵琶湖で。警察に遺失物届けを出し、昨晩は友達の部屋に泊めてもらったのだとか。朝一番で不動産屋に行き、合い鍵で部屋に入ったという息子に、もう一度しっかり探すように言って電話を切った。

 帰宅した夫に話すと、不機嫌そうな顔をしている。相変わらずのおっちょこちょいぶりに腹が立つのだろう。「気をつけろ!って電話すれば?」と言うと、「別にいいんだけどさ」とポツリ。

 そんな親のやりとりも知らない息子は、少し反省したのか、翌日メールをしてきた。「鍵は琵琶湖の藻屑となったのかもしれん」と。勉強になったならいいけどと、ため息をついた。

 そんなことがあった数日後、名古屋市美術館へひとり、「絵本原画の世界」展を見に出かけた。新聞に出ていた一枚の絵が見たくなったからだ。

 「ぞうくんのさんぽ」は息子の大好きな絵本だった。心優しいぞうくんは、散歩に出かける途中で出会うかばくんや、わにくんを背中に乗せてやる。そしてかめくんが乗ったところで、とうとうぞうくんは限界になる。
 その場面になると、次が気になってしかたがない息子は身を乗り出し、私の手をつかんで、早くめくるよう急かすのだった。みんなが池の中に落ちることはもう知ってるはずなのに、何度読んでもそうだった。

 展示室でぞうくんの顔を見ていたら、あのとき力一杯私の手をつかんだ息子の手を思い出した。しっとりとくっついてくるような小さな手のひら。不意に涙が出そうになり、慌ててハンカチを取り出した。

 あの可愛い手もすっかり大きくなってしまった。でも、子離れするのはもう少し先にしたいなと思いながら、美術館を出た。夕方の白川公園は散歩をする人も多く、噴水の方からお父さんと遊ぶ男の子の歓声が聞こえた。






※その息子も今は社会人2年生。いろいろありましたが大人になりました。

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