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これほど広大な庭を持つお屋敷に住んでいたら ── 大田黒公園(街で★深読み)

学生時代、杉並区内には2か所、4年間住んでいました。
2度目の1年から2年間は下高井戸(駅は京王線上北沢)、工学部に進学した3,4年は方南町(駅は笹塚)。
井の頭線・京王線界隈はかなり隈なく歩いたけれど、中央線の特に新宿と吉祥寺の間は結構死角だったな、と最近になって思います。

中央線のこのゾーン、駅前商店街はやはり京王線の駅前とは規模が違う。広さや高さだけじゃなく、職域の幅が違う。保育園から学習塾、居酒屋からピンクサロン系店舗まで共存しています。このゾーンは駅前ごとにひとつの小都市機能を持っているかのようです。

さて、荻窪から富士山を見た翌日、朝一番で杉並区立の大田黒公園の中を散策しました。この公園はそれまで存在も知らず、もちろん初めての訪問です。

さ、開門ですよ!

広大な公園敷地は、音楽評論家の草分け、大田黒元雄さんの屋敷跡なんだそうです。屋敷跡? ── すごい広さなんですけど。
調べてみたら、大田黒元雄さんの父、重五郎さんという方が、明治末期に現在の東芝を再建し、さらに水力発電の会社をいくつも興し財を成した大実業家なんだとか。
── うん、それならわかります。

門から続く並木道

とにかく広い。門から続く銀杏並木の威容は、その辺りの大学キャンパスや寺社の参道に匹敵します。

この1年、江戸時代に各藩の大名が造営した「回遊式庭園」をいくつか歩きました。

大名庭園に匹敵する規模の「回遊式庭園」としては、横浜の三渓園が有名です(こちらも同時代に製糸業で財を得た実業家が造園)。それに比べて、荻窪の大田黒公園は池の規模は小ぶりですが、「個人の屋敷」としてぎりぎりリアリティーの範囲内です。
(三渓園はほぼ大名庭園なみ)

鯉の餌を買うことができるようです

公園の中に大田黒元雄さんの家が、洋風・和風のそれぞれの造りで保存されています。

洋館のたたずまい
洋館の1階は公開されています。暖炉のあるリヴィング・ルーム。
こちらはグランド・ピアノが置かれ、庭を一望できる部屋

元雄さんは明治末年にロンドン大学に留学し、経済学を2年間学んだということなので、実業家の父親は、この時点ではひとり息子を跡継ぎにしようと考えていたのでしょう。
でも、彼はイギリスで音楽会や劇場に通い詰めて本場の芸術に触れ、帰国後に音楽評論という、それまで日本になかった道を切り拓く。
でも、違う道に進んで行く息子を許容した父親も偉いよね、と思う。お父さんの重五郎さんは、妻がいい息子を育ててくれたから、と評価していたという。

洋館とはうってかわった和風建築
茶室を借りてお茶会を開くこともできるそうです
とにかく広い。

大田黒公園は元雄さんの遺志によって遺族から杉並区に寄贈されたそうです。
庭の管理にかなりお金がかかっていると思うのですが、入場は無料で、とても贅沢な気持ちになりました。

でも、もし自分がこんな広大で見事な庭を持つ屋敷に住んでいたら、やっぱり自分の家族とその来客だけじゃなくって、もっと多くの人に来て見て欲しいと思うだろうな。

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