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カンニングには4種類ある (エッセイ)

空腹の万引きに逆転無罪=「食べなければ死ぬ」―伊最高裁
【ローマAFP=時事】イタリア最高裁(破棄院)は、少額の食料を万引きした疑いで逮捕されたホームレスのウクライナ人男性に逆転無罪判決を言い渡した。

この記事を見た時に、以前読んだ新聞のコラムを想い出した。
その要旨は:

──カンニングには2種類ある。落第をしないためのカンニングと、点数を上げるためのカンニングである。行為は同じでも、本質はまったく異なる。


私は前者(《落カン》、と呼ぼう)に加担したことがある。
高校3年の最後の校内試験で、クラスメイトに頼まれて世界史の答案を交換した。
私大の入試が迫っていた彼は、その試験をまともに受ければかなりの確率で単位を落とし、留年することになる、と前日に頼んできた。
私は、全科目中、世界史を最も得意としていた。

前後の座席に座っていた我々は、試験時間終了と同時に、回収のドタバタに紛れてすり替えた、相手の答案に自分の名前を書いて提出した。
作戦は成功した、と言いたいところだが、教師が本当に気付かなかったのかどうかは謎のまま。いずれにしても、私も彼も、無事卒業した。

大学では、別の光景を見た。
定期試験で大きなサメ(優等生)の周りに席をとった数匹のコバンザメたちが、寛大なサメの答案を覗き見て、その栄養を吸い取ろうとする。前者は本当の鮫のように、コバンザメを振り払うでもなく、優雅に泳いでいた。
それはいいのだが(良くないか)、コバンザメたちの多くは、落第の瀬戸際にいるわけでもなく、単に楽して成績を上げようとしているのだった(こちらは、《点カン》、かな)。

《落カン》もあった。
「吹き溜まりナイン、旋風を起こす」に出てくる瀬戸際学生、《オジサン》を救うキャンペーンだ。

彼は、教養2年間を終えるのに、留年を2年、休学を4年、合わせて8年を費やしてようやく工学部の3年に進級したが、そこで引きこもりが再発し、3年でも留年がほぼ決まった頃に学部長杯野球大会があった。
《オジサン》はその後、野球仲間に助けられ、トータルで11年かかったが、無事(?)、卒業した。ちょうど景気が回復したタイミングとも重なり、某企業に就職した。助ける手段は、合法的なものばかりではなかったと記憶している。

カンニングばかりではない。

私が就職したころ、多くの企業には、まだ《タイムカード》なるものがあった。
出退社時にこのカードを打刻機に入れ、毎月人事が遅刻や欠勤などをカウントする。フレックスタイム制度など、まだない時代である。

規則上、必ず自分の手で打刻しなければならないが、稀に、他人に代行を頼む社員がいた。
寝坊して遅刻必至の同僚のカードを提示前に打刻して助けるのである。これは《落カン》の一種だろう。

これとは別に、友人に退社の打刻代行を頼み、残業手当を稼いでいた社員がいた、らしい。こちらは、典型的な《点カン》と言える。


さて、2種類のカンニングが本質的に異なるのは、原因よりむしろ、まさに、その本質にある。

>《落カン》はきゅうした時のみ発生するが、《点カン》は常習化する。
これは、あらゆる不正行為に言えることだろう。

冒頭のニュースは、イタリアの裁判官が、
「生存のための万引きと、節約・蓄財のための万引きとは、本質が異なる
「本件は、《落カン》である」
と判断したのだろう。


カンニングを例とした不正行為のタイプ分けとして、もうひとつ、重要な項目がある。
個人で実行するか複数で行うか、である。
つまり、カンニングは、2×2=4種類ある。

昔、カンニングを主題テーマとした小説を書いたことがある。
その中で、主人公は以下のような理念を持っている。

カンニングは孤独に行うべきものであり、グループで行うのは、責任の所在をあいまいにするだけでなく、他人の力量に自分の運命を託す、極めて危険な行為である。

しかし、この小説を原作としてつくられた映画では、カンニングはチームプレイとして行われる。その方がエンターテインメント映画として盛り上がるのは理解しつつも、上記の「カンニング理念」は結構気に入っていたので、少々悲しかった。

作者と主人公は別人格だが、

>《ズル》に、他人を巻き込んではいけない。

というのは、かなり私自身の信念に近い。
高校3年の世界史試験では巻き込まれたけれど。

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