見出し画像

雅な都ことばを使うオトコはモテる (再勉生活 X 家で★深読み)

留学先の研究室担当教授は、もともとイギリス人で、大学院から米国に来たため、彼の母校(学部)から留学してきたイギリス人学生(大学院生)がいた。
この若者は、身長はさほど高くなかったが、金髪で、サッカーのデビッド・ベッカムの鼻を少々《整地》したような顔立ちだった。
このオトコがとにかくアメリカ人女子にモテるのである。

金曜日の夕方に研究室の仲間でプールバー付き居酒屋「Joe's Brewery」に行った時、時折開かれる教授自宅でのパーティーなど、いつも彼の傍らには《その時々の》ガールフレンドがやたらべったりくっついている。

「なぜヤツが女にモテるかって?」
 研究室のアメリカ人も中国人も口をそろえるのは、

「そりゃ、もちろん、ヤツのQueen's Englishさ! あのイングランド風イントネーションや発音に、アメリカ女子はシビレちゃうんだ」

 確かに彼は口をあまり大きく開けないで、単語単語をはっきり話す。そのせいか、《洗練》されている気配が漂っている。彼に比べると、アメリカ人の発音は単語と単語がだらだらくっついているようで、非英語国民の我々にも、なんだか《ガサツ》に聞こえるのだ。

アメリカは国家としては歴史が浅いからなのか、歴史の中にいわゆる《王様・女王様》を持たなかったからなのか、少なくとも白人にはイギリス王室に《憧れ》のようなものを抱いている節があった(私の留学当時は)。
スーパーマーケットのレジ前に必ず置いてあるタブロイド紙は、チャールズ・ダイアナ夫妻のゴシップが載らない日は1日たりとも無かった。
イギリス人学生のガールフレンドになると、《お姫様》になったような《幸福な錯覚》もあるのかもしれない。

********************

そんなことを思い出したのは、「鎌倉殿の13人」を見ていた時です。

頼朝はモテる

伝源頼朝像

もちろん、源氏の御曹司だということもあるでしょう。しかし、当初は《流人》だったにもかかわらず伊東祐親の娘・八重姫、北条時政の娘・政子と続けさまにデキている。特に前者は父親が烈火のごとく怒ったようなので、けっこう《危ない橋》だったのでしょう。

これは、頼朝の使う、

みやびみやこことばが《坂東女子》をシビレさせたのだ

という説を私は唱えたい。

頼朝は1147年に熱田神宮大宮司・藤原季範の娘を母として尾張の国・熱田で生まれますが、主に京都で育ったようで、1158年には、早くも朝廷に役職を得ます。
平治の乱後の1160年に伊豆国に流されますが、13歳まで京都育ちですからね、《京ことば》をQueen's Englishのように話したことでしょう。
ガサツなアメリカ人、じゃなかった、荒々しい坂東武者の《吾妻ことば》ばかり聴いていた《坂東女子》はイチコロだったはずです。

********************

いやいや、と反論する人もいるでしょう。
「戦時中、東京から長野県に疎開したら、『ヘン! 東京モンが! おかしな言葉で気取りやがって!』とそれはそれはいじめられたものです。……あれは、本当に辛かった」

よく聴く話です。
でも、それは、

《雅な都ことば》を使う都会男子に《田舎女子がイチコロになる》のを警戒した田舎男子

が、それゆえに都会男子をいじめていたのではないでしょうか。

《都ことば》に女子がイチコロになる前に、潜在的なライバルをつぶしておく、《未然防止》行為だったのかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?