見出し画像

高梨選手の《謝罪文》を読んで再び「必然性の無い《団体戦》はやめようよ」 (エッセイ)

半年前、東京オリンピックの時に「Wet blanket」と呼ばれるのを覚悟で、《本来は団体競技でなく、個人種目を束ねただけの団体種目》について、
「《オリンピック憲章》を遵守して、こんな種目はもう止めようよ

という記事を書きました。

北京オリンピックでのスキージャンプ男女混合団体戦で、高梨沙羅選手が失格し、日本チームがメダルを逃した、という件に関して、
・高梨選手が謝罪文を公表し、
・国内外から励ましのコメントが寄せられている、

という報道をいくつも見ました。

高梨選手の謝罪文の(誤解にならない範囲で、この記事に関連する)一部を以下に引用します:

今回、私の男女混合団体戦での失格で
日本チーム皆んなのメダルのチャンスを奪ってしまったこと、そして、今までチームを応援してくださった皆様、そこに携わり支えて下さった皆様を深く失望させる結果となってしまった事、誠に申し訳ありませんでした。
私の失格のせいで皆んなの人生を変えてしまったことは変わりようのない事実です。
……

Sara Takanashi / 高梨沙羅 インスタグラムより

彼女の肩にどれほど重いものがのしかかっているのかは、想像するしかありません。
団体戦は《日本チーム》としてポイントを競うわけですから、いわゆる《日の丸を背負っている》責任は、個人戦よりはるかに重いのでしょう。
理由は何であれ構成メンバーのひとりの失格や失敗が、チームの成績という結果に《連帯責任》的に顕れるのは、団体戦における必然です。

彼女を励ましたり慰めたりする声をたくさん聞きます。
「彼女は悪くない」「自分を責めないで」
「他の日本人選手が頑張って4位に着けたのは誇らしい」
私もまったく同感です。

でも、《本来は個人競技》である種目を束ねて《国別対抗の団体競技》に仕立て上げている《本質》についての議論は、残念ながらほとんど聞かれなかった。

もちろん、競技団体側も、「束ねて」日本チームを作れば取れる可能性のあるメダルの数が増えるし、おそらくはオリンピックに向けての「強化費」が増える、といった《大人の事情》もあるのでしょう。

オリンピック競技をTVで見ながら、
「日本チーム頑張れ!」
と応援している人たちにとっては、いやな「Wet blanket野郎」ですよね。
私だって、アイスホッケーやカーリングのように《団体競技であることが本質である競技》では、ビールを手に、
「日本チーム頑張れ!」
と叫びます。

でも、もう一度、前記事の最後の部分を書きます:

***********

オリンピック憲章(最新の2019年版)の憲章6、「オリンピック競技大会(The Olympic Games)」には、

《オリンピック競技大会は,個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない》

オリンピック憲章 〔2019 年 6 月 26 日から有効〕国際オリンピック委員会

と明記されている。

サッカーやバレーボールのように、前者型(注:団体であることが必然の)団体種目を応援している時、我々の心の中の《ナショナリズム》は、かなり《自然に》発揚されていく。

《興業》にかかる費用は、税金とスポンサー企業からもたらされる。
競技が、ある程度、《国家主義》《商業主義》と鼎立せざるをえない現実は、避けられないだろう。

しかし、《国家主義》と《商業主義》以外に《必然性》のない(=合理的に説明できない)《団体種目》をどんどん増やして、結果的にナショナリズムを《不必要に》煽るのはどうだろうか?
どこかで線を引くとしたら、この《2種類》の間ではないだろうか。

もちろん、オリンピック以外で《後者型団体種目》(注:高校対抗の柔道団体戦のように個人戦を束ねた団体戦)を否定するものではない。
私自身も、《母校ナショナリズム》や《地域ナショナリズム》をそこそこ持つ、フツーの人間である。
高校の応援団が声を涸らしている横で、Wet-blancketな発言はしないし、考えもしない。

でも、オリンピックのように大きな金が動き、影響力の大きな《場》だかこそ、《憲章》に記された《建前》をなし崩しに壊していくのはやめて欲しいな、と思うのであーる。

***********

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?