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晴旅雨筆(エッセイ)

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これまでの人生で書き散らしてきたノートの切れ端をちぎれ絵のように張り付けたエッセイ。本を読み、山に登り、酒を呑み、街を歩く。
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#人生

クレオパトラのワイン (試験の時間)

人生は《試験》に満ちている。 受験勉強が科目ごとに《パターン化》され、受験生はそのパターンを憶えることにより、偏差値を上げることができるそうですね。 「考える力を推し量る」のが本来の目的だった《小論文》や「人物を見る」ための《面接試験》ですら例外ではなく、既に《パターン化》されているらしい。 半世紀近く前ですら、《チャート式》と称する、 「ここだけ(=チャート箇所)憶えればいいからね」 的な参考書が既に勢力を拡げつつあり、 「余計なお世話だ! 俺はオレ流でやるぜ!」 とい

面接では《What is your ultimate goal?》と尋ねていた (試験の時間)

新入社員が公務員への転職を公言し、公務員試験勉強に精を出していた、という記事を読みました。 おそらく、「個人」のキャラにも問題があり、同僚として「なんだこいつ」的感情を抱くのは理解できます。 ただ一般論で言えば、仕事さえしてくれれば(そうでなければ昇給・ボーナスなどでそれなりのフィードバックをすればいい)本人の人生計画に沿ってやればいい、とジジイは思ってしまいました ── ライバル会社に行くわけではないし。 こんな風に思うのは、私が少し特殊な企業にいたからかもしれません。

父を語れば [3/3] (エッセイ)

さらにさらに、間があいてしまいました……。 エピソードの取捨選択に迷いがあり……。 [2/3]では、旧満州から復員した父が1年間工業専門学校の土木科で学び、中堅ゼネコンで働き始め、20代半ばで父親(私の祖父)の銭湯での死、長期に渡る闘病生活を経ての結婚について書きました。 昭和30年代、40年代の高度成長期、特に道路、橋、さらには新幹線や高速道路網を必要とした時期にゼネコンで土木技師をしていた父は、経済的には幸運だったかと思います。 しかし、現場勤めで家族と会うのは月に1

「《人格》は高校1年の終わりにはほぼ固まっている」説 (エッセイ)

人は、といっても現代の日本では、という限定条件がつきますが、《人格》がある程度固まるのはいつでしょうか。 60代noter《がんち父》さんの記事「馬が合うとか合わぬとか」で、著者は、高校時代から気の合う間柄だったメンバーそれぞれが持つ "風味" は今も変わらない、と書いています。 もちろん個人差はあるでしょうが、 「高校までで "人格形成" は概ね完了」 に異議ありません。 ── では、《概ね完了》するのは、高校3年間のいつ頃でしょうか? 高校のクラス会は卒業クラスの

「その間の逸失利益です」と人事係長は小銭をジャラジャラ出してきた (エッセイ)

社員の慶弔に際して少額の祝い金や弔慰金を出す会社は多い。 私は既婚者として新卒入社したので、当然、結婚祝金はもらっていない。 最初の子供が生まれたのは入社後2年ほど経った後だったが、そもそもそういう《ルール》があることを知らなかった ── 出産日に特別休暇を取ってもいい、ということは勤務規則に書いてあったので、仕事を休んでビールをたらふく飲んでいたけれど。 それから2年後に2人目が生まれ、さらに1年ほど経ったある日、ヒラ社員だった私は、人事の係長から会議室に呼び出された。

「本社・工場」ってどこ?──大きく見せる (エッセイ)

学生結婚前後の話を、断片的に書いたことがあります。 ➀ 独身時代に愛用していた《キリンベッド》を、結婚で手放さねばならなかったこと、それに、 ➁ 大学院研究室の教授に頼まれて、息子さんに《将棋とキャッチボールの家庭教師》をしていたこと。 その時代に、もうひとり、書き留めるべき人物がいます。 妻は結婚前の1年間、北九州で教師をしていました。学年末の3月31日に入籍し、4月1日に結婚することになったため、退職し、東京で仕事を探すことになりました。 なお、入籍が結婚の前日なのは