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宇多田ヒカル「Laughter in the dark」体験のこと

昔、トルコ周遊でコンヤという街にいったときのこと。

メヴラーナ博物館という有名なイスラムの教団の創始者の霊廟の前に立った時、なんか得体のしれないものを感じてしまったんです。
私は霊感みたいなものはまったくないし、パワースポット信者でもないですが「うわー、なんかここはすごい空気がちがうわー。やばい、なんかここはやばい。」と思いまして、ふと隣にいた姉(こちらもまったくそういう能力はない)を見たら、同じように私を見返して、お互い「だよね?」と。

で、そこには、花だったか多くの捧げものが置いてあって、
あぁ、神聖な空気って、そこにある物体が本来もつ神聖さというよりも、長い年月をかけてそこに祈りをささげてきた人々の強い想いみたいなもの積み重なっていって作られていくものなのか」と。

「いや、宗教というものってそういうものじゃん?」みたいな当たり前のことなのかもしれないのですが、私にとってはすごくそれを身体で実感して理解したという瞬間だったんです。

で、おいおい宇多田ヒカルのライブの話じゃないんかい!となるわけですが…

今回のライブ、参加した人がみんな絶賛していて、わたしも本当にすごい体験をしたな~って思うんですけど、「なにがそんなによかったんですか?」と聞かれたときに、「えっと、セトリが最高で」とか「演出もすごくシンプルでうんぬん」とか「生歌のコンディションが…」とか色々言ってみるんですけど、「いや、なんか違うんだよなー」っていうもやもやを抱えていました。
そこに立ち会ったものとして、ちゃんと伝えきれてない…と凹むのです。

でも、なんとかあの場で感じたことを残したいと、いろいろ考えてみて、でてきた答えのうち、ひとつが、さっきの話です。

今回、参加した人のTwitterでもいくつか見たけど、Hikkiがすごく神聖なオーラをまとっていたんですね。存在自体がその名の通り、光っていたんです。太陽みたいなんじゃなくて、月みたいなかんじで神聖で優しい光を放ってた。月って、太陽みたいにまぶしくなくて、眺めているとどこかほっとする、でも欠けたりしてどこか寂しいかんじがあったりして好きなんですが、まさににそんなかんじでした。

ライブ直後は、やっぱり彼女自身の発するオーラがすごいんだわーとしか思ってなかったのですが、よくよく考えると、その半分はライブに集まった観客のたくさんの祈りが生み出して、反射したものだったのかもしれないと思いました。

彼女の登場を待つ間、BGMがまったくなかったのですが、静けさのなかで、観客の皆さんの緊張感がひしひしと伝わってきました。それは、「期待!わくわく!」というよりも、祈りに近いものだった気がします。

20年の新旧おりまぜたセットリストを聞いていて、本当に自分は人生のいろんなシーンで彼女の歌に救われてきたということを再確認しました。おなじように、あそこにいた数万人が、その時、そしてそれまでの時間、彼女の歌を聴いてきた想いの積み重ねみたいなものが、すーっと集まって、Hikkiをより神聖に光らせていたように思うのです。

なんなら、来てない多くの人の想いもね。

えっと、なんかやばい人みたいになってきたのですが、あと2つあります。たぶん段々まともにはなってくるはず。

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2つ目は、、、
なんだかHikkiがとても心地よさそうだったのです。

「そりゃライブで歌うのって気持ちいんじゃね?」って突っ込まれそうですが、これまでHikkiにとって自身のライブってなんだかちょっと居心地悪いんじゃないかな?って思ってたわけです、ファンとしては。どこか照れくさそうで、なんか窮屈そうで、「えっと、どうすればいいんだっけ?」「ライブだからこういうこと期待されてるかな?」みたいな。

そういうのから解き放たれたのが分かったので、(いや相変わらずトークは天然でマイペースなのですがw)、こちらもすごく居心地がよくて…

ライブ翌日くらいにふと「あー、宇多田ヒカル自身が音楽にみえたなー」って思ったんだけど、要は音楽と一体化して見えたんですね。

きっとクリエイター気質だから、これまでパフォーマンスということとの距離感があったのかもしれないけれど、ダンサーさんとのコラボとか、自らシンセ触るとか、なんかすごく自然で、かっこよかったのです。

かくいう私も、めっちゃファンのくせに、ライブは2回目。
毎度、彼女の新曲を聞くとき、特にアルバムを初めて聴くときこそがファンとして最も最高の瞬間だったし、それこそ日々の生活でイヤホンで聞き続けることが価値だったので、ライブに足を運ぼうという強い意志がなかった
(なので、「活動休止します」って言われて慌てて休止前のコンサートで会いにいったという。)
でも、このライブは、ファン歴のなかで最高の体験だった。だから、純粋に、「またライブやるね!」って言ってくれたのが嬉しすぎたし、絶対また行きたい!ってなりました。

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3つ目は、愛。静かなる愛。

さんざん考えて、結局、愛かよっていう結論なんですが…

Hikkiはトークでこんなこと言いました。
「なんか私ってファンサービスとかあんまりないじゃん?ライブも少ないし、ファンクラブもないし...」

そうなんだけど、そうじゃないんです。

今回の絶賛された転売対策のための顔認証やグッズ予約受け取りといったスマート運営も、託児サービスも、新旧おりまぜたセットリストも、オリジナルなアレンジも、サプライズ系の演出も、撮影OKなのも、なんかもう全部全部、ファンのことを考えてくれてるじゃん!と。

分かりやすく大きな声で叫ぶ愛ではなく、静かなる、でも確実な愛を感じました。 ありがとう。

一曲目に歌った『あなた』という歌は、子供への強いゆるがない愛を歌った歌なんだけど、「愛してる」っていう歌詞はないんだけど、母音では【ai】っていう音がこれでもかっていうくらいに繰り返されるんですが、

あなた以なんにもいらない
の問は取るに足らない
多くは望まない 神様お願い
わり映えしない 明日をください

まさに、こんなかんじ。表面にはでてこないけど、底に流れる確かな愛

そして、逆もなんですが、ファンからのHikkiへの静かな愛にも包まれていました。決して、叫ぶわけでもなく、静かに暖かく見守るファン。なんの事前打ち合わせもなく自然とスマホの光を集めて、ありがとうを伝えたファン。それに静かに感動しているように見えたHikki。

『どっかの部屋でひとりヘッドホンで聴いてる誰かに向けて歌い続けてきた』と言った彼女が、埼玉スーパーアリーナという場所をなんだか巨大な開いてるのにパーソナルな空間に変えてしまって…そこにすっぽり入った私は、やっぱり泣いてしまいました。

またしても長文になってしまいましたが、音楽やパフォーマンスが素晴らしいのはもちろん、でも、わたしは音楽評論家でもなんでもないので、1ファンとしてなんであんなに感動したんだろうって、あれはなんだったんだろうって自分なりに考えてみました。

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さいごに。
Laughter in the dark 
身体も精神もまじでどん底だったとき、真っ暗だっとき。そんなとき、救いになったのは、映画や小説でもなく、家族の励ましでもなく、音楽そして、もうひとつはお笑いだったという経験がありました。ちょっと凹んだとかちょっと現実逃避したいときには小説や映画が効くんだけどね。まじでやばいときはそんなに集中力も体力も続かないから、ショートに気分を変えれるものが必要だったのかも。
あのときね、「お笑い芸人ってすごいな!」って思ったんです。すごい高尚な仕事だー!この闇を向けたら、お礼を言いに行こう!とか思った。なので、又吉さんと宇多田ヒカルの並びは本当にしっくりきた。

今週末スカパーでやるらしいので、加入されてる方は、ぜひ観てください♪

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※ちなみに、私の超個人的なハイライトは、自分の席に近いセンターステージにいきなり現れたのち、「真夏の通り雨」と「花束を君に」を歌ったとき。以前、この2曲は切っても切れない対になっているという結論にいたった話をnote(↓)に書いたので、2曲続きで歌ったことや、鼓動や呼吸音が目立つ演出になっていたことに気づいて、ぐっときてしまいました。


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