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金木犀のにおいが連れてくるのは

早朝、窓を開ける。ひんやりとした風がカーテンを揺らす。秋の風だ。しんとした、まっすぐな空気。あまいにおいがまじる。

まだ九月も上旬である。例年、金木犀のにおいに気が付くのは十月の足音が聞こえる頃ではなかったか。そう思いながら、そのにおいを深呼吸する。そうすると、必ず思い出す風景がある。

高校の、クラブハウス、というと聞こえはいいが、実際には古ぼけた木造の部室棟、は二階建てだった。一階の最も校庭に近い、端の部屋が生徒会室。建物のきわに植えられた金木犀が、秋になると香った。私は部活動には参加していなかったけれど、生徒会役員ということを理由にして、その辺りをうろうろしていた。本当のところは、片思いの相手が部室を利用するために通りかかるのを、虎視眈々(?)と狙っていたわけだ。

季節は秋。日が暮れるのが早くなる。活動を終えた部員らがわらわらと部室棟に戻ってくる頃には、ずいぶん暗くなっていた。言い訳を作って生徒会室に居残っていた私(たとえば英検の勉強をする、とか)も帰る準備をして外に出る。空気は、昼間の活気が嘘のように静かで、地面の熱だけが点線になってのぼっていく。白いシャツが、ぼんやり灯るように浮かんで見えた。ねえ、だれ?と声をかけ、近づいてくすくす笑いあう。

金木犀が咲き始める頃から秋祭が終わるまでのあいだの、街のそわそわした雰囲気が好きだった。昼間のきらきらした陽の光と放課後の冷たい風のギャップに、理由もなく寂しい気持ちになった。薄暗いなか、季節外れのホタルみたいだな、と見送った白いシャツの友人の背中。好きなひとを待つために、居残りをしていた私。

校舎は建て替えられたし、制服も変わってしまった。たぶん、今は本物のクラブハウスが建っているのだろうと思う。祭のために帰省することもなくなった。それでも、秋のこの空気を深呼吸すると、たちどころにあの頃の私が現れて、そわそわしてしまうのだ。



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