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才能

現在、W.B.Cが開催されている。
大谷翔平を始め日本代表の活躍が、tlを賑わせている。フォロワーの殆どが麻雀関係者の筈なのに、だ。
Mリーグはレギュラーシーズンも佳境を迎え、今シーズン、チームの解散危機である雷電とドリブンズはボーダー争いをしている。風林火山は抜けたか。
そんなときに才能という言葉を耳にして、引っ掛かった。
「大谷選手は才能に恵まれた選手」
確かに、身体的に海外の選手と引けを取らないフィジカルは、ある意味才能なのかな、なんてアリキタリな感想を抱く。
一体、才能とは何だろうか。
漠然としたイメージは有るが、言葉で説明し辛いモヤモヤが残って、検索した。
wikipediaに、才能の見出しは存在しない。
有るのは天才等、別の言葉である。
俺の理解している限りの「才能」を完結に言葉にするとしたら、「潜在的なものを含む、個が持っている能力」だろうか。
天才とは、その力が他より抜きん出ており、具現化させている状態ではないかと思う。
天才として紹介されていた一人、エジソンの言葉を紹介したい。
「天才とは、1%のひらめきと99%の努力である」
この言葉は、努力が必要なんだな!と理解されている筈だ。
だが、残酷なことに殆どの凡夫は1%のひらめきに一生出会わないまま生涯を終えるのである。
そして、俺は才能という言葉についての考察を続ける。
現代において、必要な才能とは何だろうか。
広すぎる。
今後、俺達が麻雀を打っていく意味とは何だろうか。
かつては、強さこそが全てだった時代が有る。原始時代からほんの最近まではそうだった。
今や、人間はそもそも弱い生き物だ、ということに漸く気付いた様だ。パスカルの言葉を借りると、人間は考える葦だ。
そして、考えを共有する様になった。共感したり、しなかったりする様になった。
共感を多く得る者は多数派となり、少数派の中でも支持を得る者の周りには人が集まる。
麻雀も、人が打ち、それを人が見たければ集まってくるものだ。
四人だけで打つ卓も、そこには共感が存在する。
それを麻雀打ちは自覚しなければならないときが来たのだ。
俺達は共有し、共感していくのだ。
それがこれから未来へ向けての麻雀である。
それが、麻雀打ちにとって、必要不可欠な才能だ。

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