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今のうちに

1月1日。

ここ数年、「生き方」について考える時間が格段に増えた。

そして同時に、何においてもいとも簡単に「終わってしまう」ということも目の当たりにしてきた。

これはけっこう真面目に、前向きなニュアンスで書き記すのだけど……
今年は、「死ぬ準備」として片付け・整理整頓を、時間をかけてやっていこうと思っている。

ほんとに、大げさでもなく、ネガティブなニュアンスでもなくて。

誰かがSNSに書いていたのだけど、「死ぬ準備」だと思うと断捨離がはかどるのだそうだ。

それって、なんでなんだろうね。


『光の跡』を聴きながら

まだ言葉が追いついていないのだけど、昨年末から源さんの『光の跡』に浸っている。

表題の「今のうちに」というのは、源さんの言葉を借りている。

今のうちに
旅をしよう 僕らは
悲しみにひらひらと手を振る
窓を開けて 風に笑み
意味なく生きては
陽射しを浴びている

星野源『光の跡』

そんな折に聴いた、先日の源さんのオールナイトニッポンが、とても、とってもよかった。

その中で「今のうちに」という歌詞に込められている考えを話されていて、それに深く共鳴した。

それで、今年は「今のうちに」やれることをやってみようと思ったのだった。

ただそれが、旅をすることよりも、新たに出会うことよりも、わたしにとっては片付けとか整理とかだって話で。

念のため書いておくが、生きるのを諦めるとかではなく、むしろ生きるために、だ。


推しは推せるうちに推しとけ

なかなか記事の主題にできなかったのだけど、最近これについてもよく考える。

久しぶりに夢中になれてる人がいるので。

「推しは推せるうちに〜」のニュアンスとして、
・推しが推せるところにいる間に
・時間とかお金とか都合がつく時に
・無理なくたのしめる範囲で
……とかいろいろあるけど最近、
「自分のきもちが熱いうちに」
ってのも含まれてることを認めざるを得ない。

好きなきもちが炎だとしたら、薪をくべ続けたり、追い焚きしたりしないと、熱いままではいられない、下手したら消えてしまう。

刻一刻と姿かたちも温度も色も変わってしまう、掴まえておけない儚いものだなと、思うのだ。

だから、ちゃんと熱い今のうちに、と。

脆いもので、夢中になればなるほど、そこから覚める瞬間がくるのが、熱を失うことが、どんどん怖くなっていく。

わたしはもう経験則から、いつか終わりがくることを当たり前のこととして、知ってしまっている。

その悲しさも、寂しさも、どうしようもなさも。

だから、今のうちに。

これは決意表明だ。


そんなことを書いていたら、スマホからこの曲が流れてきた。

まさにここに書いてきたことが歌われているようでビックリしている。


そんな今日、大きめの地震と津波の警報が鳴った。

あの日がフラッシュバックした。

SNSを開けば、遠くの国の悲惨な現実も流れてくる。


何においても、「今」は当たり前じゃない。

だから、今のうちに。


2024年は、できるだけ穏やかにいよう。

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