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「何もないまち」ってなんだ?【インスタ日記を振り返るvol.1】

大学時代、日記を書いていた。

大学に入学した2016年、私はInstagramを使いはじめた。

はじめたの目的は、「母への生存報告」。初めて娘を独り立ちさせることになる母のために、毎晩晩ごはんを撮って投稿することにしたのだ。ただ、それだけではつまらないので一緒にその日あったことをコメントして投稿するようになって、いつのまにやら「日記」として成立してしまった。

最初はとりとめのない日常を綴るだけだったのだが、大学2年で覚醒(?)してからは、「こいつ、なかなかなことを言いよるな…」と今でもふと思うようなことを書き留めていたりする。

自分の原体験を整理し、持論として落とし込むことはきっとこれからに役に立つ。そんな気がしたので、noteで書き溜めていくことにした。

まあ、いつまで続くか知りませんけども。

2018年3月21日。九州は福岡県那珂川町へ

2018年3月21日。その頃、私は福岡県・長崎県を回る一人旅をしていた。

この旅の発端は、いわゆる"ダーツの旅"みたいなもの。「一度も名前を聞いたことのないまちに行ってみる」という乱暴な企画をたて、あみだくじで決まったのが「福岡県那珂川町」というところだった。そう、メイン企画が那珂川町に行くこと、という旅なのだ。とはいえ、生まれて初めての九州行きということもあり、足を延ばして長崎市と福岡市の博多のあたりも回った。そういえば、今ではすっかり使い慣れたゲストハウスのドミトリーを使い始めたのはこの旅が最初だ。

はてさてなぜそんなことをしたのかというと、「この世に面白くないまちなんかない」ということを証明したかったからだ。当時、私は千葉大学がある西千葉を拠点に活動するまちづくり団体、NPO法人Dropsに所属していた。大学2年の秋にこの団体と出会ったのだが、出会って以来まちの見え方がまるで違うものになった。何の変哲もない通りが、一度清掃活動に参加しただけでワクワクする場所に変わった、というのがその最たるものである。


初めての新幹線に乗り那珂川町へ。しかし…

博多駅から九州新幹線に乗って一駅、博多南駅に着いた。ここが那珂川町だ(現在は那珂川"市")。

—余談だが、これが私が生れてはじめて乗った新幹線だ。北海道で生まれ育ったがために、本州に出てくるまで新幹線は見たこともなかった。何なら架空の乗り物だと思っていた。…でも、何せ一駅。普通列車と同じ速度での走行だった。なので私はこれを「新幹線に乗った経験」にカウントしないことにしている。

その日はあいにくの雨。靴をびしゃびしゃにしながら町歩きをはじめた。が、ここで大きな壁にぶつかった。

行けども行けども何もない!

正確に言えば何もないわけではない。いわゆる"国道沿いの風景"というものなのか、全国チェーンのコンビニやレストランがあり、あとは新しい住宅があるだけ。きっと暮らすうえでは買い物に困らない場所だろう。ただ、びしょ濡れの旅人には、なかなか厳しかった。

それでも、本当に何もなかったわけではない。遺跡群があることや周遊コースを示すサインをまちなかで見ることができた。それから、雨宿りがてら立ち寄った地禄神社もなかなか気になるスポットだった。舞台があるので、神楽か何かを奉納したりする文化があるのだろうか。その周辺には趣深い瓦屋根の住宅が多かったようで、当時の私はInstagramにこう書き記している。

何もないという宣告を受けていて、確かになにもないように思いかけたのですが、すごく風情のある家が建ち並んでいる場所もあって、私には面白いところだと感じられました。

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「何もなさ」とは、何だったのか。

あれから2年。今の私が見れば、那珂川町の見え方も違うかもしれない。それを動機として再び訪れるということはあるのか…正直自信がない。

確かに、そもそもが観光に特化した町というわけではない。福岡市に隣接していて人口が増えているベットタウンという立ち位置だ。そして、あくまで歩ける範囲を歩いただけの旅ではあった。それは置いておいて、そもそも「何もない」と感じてしまった原因は何だったのか。当時の私は、こう考えた。

「何もない」と感じさせるのは、どこにでもあるものが揃っていることなのではないでしょうか。見たことのあるレストラン、見たことのあるコンビニ、見たことのある服屋。那珂川町はこの傾向が顕著に見られ、そういうものが、特別感を奪っている気がしました。どこにでもあるメジャーなお店が揃っている町は、住みやすいはずですが、果たして面白いでしょうか…。

便利な暮らしが、まちの個性を殺す。那珂川町だってじっくり見れば、その先人たちが積み上げてきた歴史、足跡もたくさん残っているに違いない。なのに「何もない」と感じたのはそういうことなのだろう。

それに、「人との出会い」もない旅だった。お店に入って接客をされたくらいでしか人と話していない。今考えれば、ここも結構大きい。

2020年1月、大学の卒業論文を提出した直後に鹿児島県での一人旅をしたのだが、その時は霧島市の温泉の湯船でご婦人と話したり、鹿児島市のラーメン屋のおじさんがやたらと親切にしてくれたり、出会った人の思い出もたくさんできた。「また会いたいな」と思える人がいることは、リピーターになる要素としてはかなり強い。本当に、すぐにでも鹿児島に飛んでいきたい。

どんなに良い風景とも、どんなにおいしい特産品とも、「また来ます」の約束はできない。結局は人間との出会いがあってこそ、だ。

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妄想タイム!「何もない」を解決するのは…「シェア」する文化?

私がもし那珂川町の人間で、「突然ずぶぬれの旅人がやってきてもいい町にしてください。しかも別に観光客のためのまちづくりはしません」というミッションを与えられたらどうするか?

ない頭をひねって妄想してみることにする。

1.傘があればよかった
まず、しっかりした傘が欲しかった。折りたたみ傘では厳しい旅だった。そこで、例えば駅やその他スポットで"シェア傘"が置かれていたらどうだろう?すでに「アイカサ」というサービスがある。
SDGsという言葉を各所で見聞きするようになった今日この頃。持続可能な社会を目指すなら、突然の雨にみんながコンビニ傘を買う社会っていかがなものか。環境を守るための取り組みは「町の規模が小さければ関係ない」という話ではないだろう。欲を言えば、長靴も欲しいなぁ…

2.人に会いたかった
道を歩いていても、まあ誰もいない。車はたくさん通るのだけれど、誰ともすれ違うことがなかった。「人間の姿が見える」というだけでもかなり印象は違っただろう。今更ながら"ウォーカブルシティ"というのは都会だけの話ではないと実感。
それから、もしも「地域のお茶の間」みたいな場所があって、入って誰かとお話ができた、という体験があったらどうだったろう。もう確実に惚れ込んでいたと思う。それはカフェでも、レストランでも、図書館でもいいかもしれない。今回のケースを考えれば屋内の想定だ。冷暖房で消費される電力を減らすためのクール/ウォームシェアにもなるし、人のコミュニティができることで各年代の悩み(勉強、子育て、老化防止)を解消することにもなる。で、急に訪れた出張中のサラリーマンが仕事をしたり、私のようなずぶぬれの旅人が飛び込んできたりすることもできる。体験的には、千葉県木更津市のみらいラボというところに近いかもしれない。

…ない頭をひねっただけなので、出てくるのはこれくらい。とにかく、ものや場所のシェアができることは住民にも旅人にも良いのではないかと思っている。都市のシェアサービスの拡充は進むだろうが、「田舎には関係のない話」と思わないことは大切だ。きっと。

「何もないから」といって油断なきよう。

「別に観光客を受け入れるような町じゃないからいいよね」なんて思っていたらいけない、私のような突然の旅人が来ることだってあり得る。そんな旅人をがっかりさせないための整備は、「観光用の整備」でなくて、「住民と観光客のための整備」であるべきではないだろうか。だって、「もしも」レベルでしか観光客が来ないのだから。

観光客用に道の駅やトイレを新設するのではなくて、トイレを観光客に貸してくれる地域のお店を開拓して、トイレがどこにあるのかわかるマップをつくった方が地域の経済が廻るかもしれない。トイレを借りに入ったお店で素敵な出会いがあるかもしれない。なんて。

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