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生きて、生きて、生きる。

生きろ。寿命で勝て。イヤホンから聞こえる声がそう叫んでいる。
ああ確かにその通りだな、などと思いながら夜道を一人歩く。

突発的な衝動は薄れたものの、時間を持て余していると余計なことを考えてしまう日々。
「来る期日」までは療養メインとはいえ、これでいいのかと自問し続けてしまうから、自分を許す術の一つとして勉強を始めてみた。

趣味の漢検、今後必要になる色彩検定、社労士。健康保険法の傷病手当金の項目などあまりにタイムリーというか、現在の境遇にピッタリすぎて笑ってしまいたくなる。いや笑えんけど。

社労士の勉強は大学時代から始めていたけれど、あの頃は学習内容が自分に「そういった意味で」大いに関係してくるとは思っていなかった。
描いていた人生設計図とは大きく外れたルートを歩んでいる現状を若かりし頃の私に見せたら、きっとその場で卒倒するに違いない。でもそういうこともある。仕方ない。

睡眠薬と安定剤を飲み、唐突に失神するように眠り、昼前に起床する。
気が向けば自己満足の絵を描き、集中力が持続する限り…とはいえMax1時間半程度勉強する。
洗濯物を片付け、夕飯を作って彼氏の帰りを待つ。夕飯が終われば友人とPCゲームに勤しむ彼を傍目に皿を洗い、求められれば身体を委ねる。

本来の──社会で働くことより遥かに、いや比較対象にならない程に難易度が低い生活を送っているのは理解している。働かずして暖かい部屋で三食ご飯が食べられて、自由気ままに…とは実は言いたくないのだが、まあ好きなように一日を使えるのだから。

ただ、これでいいのか。またそこに回帰する。
男に頼るな、経済の自立なくして精神の自立なし、と母親に口酸っぱく叩き込まれて育った所為もあるだろうが、皿を洗っている最中やシャワーを浴びている瞬間、得も言われぬ絶望感と焦燥感に襲われるのだ。

そんな時、AirPods Proを取り出して冒頭の曲を大音量で聴く。生きろ。胸に強く言い聞かせる。これでもいい。これは逃げじゃない。諦めている訳でもない。認めてあげられるのは結局自分だけだ。

この病気を完治させるためには時間が必要で、今は羽ばたくための事前準備をしている。
とにかく生きる。生きる。いつの日か「これでよかった」と笑うために。

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