【掌編小説】生きることは食べること

縁側の掃除を終え、柱に寄りかかって目を閉じていると、すうぅ、と背中から体の中に水が差しこまれるような感覚がした。

「こらまたなんだら」と怪しむが、指一つ動かせない。そうこうするうちに、魂が肉体から離れるような感覚がして、気が付くと、ううたた寝する自分を上から眺める格好になっていた。

焦りは不思議と湧いてこなかった。どうやらこれが私の最期らしい、と静かに思った。

死ぬ前に走馬灯のように今までの思い出が蘇ると聞いていたが、本当だった。折りたたまれていた過去が、怒涛のように展開されていく。

幼いころの私は、食が細くて茶碗に盛られた白飯も、よう食べきれんかった。ある時、母がやけくそのように、いかの煮汁を飯にかけた。米の一粒一粒が妖しく光った。私はそれを、飲むように食べた。甘辛の汁に磯の香とイカの旨味がしみ込んだ飯は、最高のご馳走だと思った。

結婚相手は食べることの好きな男だった。とりわけ肉が好きだったが、なにせ当時はお金がなかった。

夫は安い肉を買ってきて、フォークで刺したり、ヨーグルトに漬けたりして、柔らかくなるように試行を重ねた。私はニンジンをオレンジジュースで煮たり、インゲンをマーガリンで炒めたりして付け合わせを作った。

ちゃぶ台を挟んで向き合って、いただきますと手を合わせると、ひだまりが心に差したような気持ちになったもんだ。

それにしても、私が肉好きになったのは、完全に夫の影響だわ。

ほどなく子が生まれた。

子が五か月になった頃、十倍粥を作ってみた。親指の先ほどしかない口に恐る恐る匙を入れる。

赤子に食べさすのはみやすくないで、と母から聞いていたのに、我が子は用意した分をぺろりと食べ切り、一人前のげっぷまでした。

安堵とともに、子に食べさせる苦労をせずすむ予感に、どこか申し訳なさも感じたんだっけ。

子が独り立ちすると、孫も生まれた。

孫が五歳の頃、家族総出で宮崎へ旅行した。

名物のチキン南蛮は、箸でほぐれる柔らかさだった。

「この味を再現するず」夫は息まいた。なのに、半年もせぬ間に、ぽくりと逝ってしまった。正直、こっちがびっくりした。嘘つき、と詰ったところで、どうしようもなかった。

とはいえ、振り返ってみると、総じていい人生ではないか。

なあんの悔いもない。

おや、いつの間にか、私は自分の肉体から離れて、天井近くまで上昇している。

その時、背後から、ちいさな足音が忍び寄ってきた。死神だろうか。それとも、夫が迎えに来てくれた?

透けた頭で振り向くと、小学校に入ったばかりの孫娘だ。魂の抜けた私の腕をとり、話しかけている。

「今晩は焼肉バイキングに行くって! ばあばも行くでしょ?」

胃が、くうぅと鳴ったのがわかった。その瞬間、猛烈な勢いで魂が肉体に吸い戻された。


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