思うがままに書いてみる

いつもnoteを書くときは何かしらテーマを決めて書くのですが、今回はあえてテーマを1つに決めず、書きながら思いついたことを文字にしてみることにします。

最近の調子

最近、気分が良いときと悪いときで差が激しいです。気分が良いときは、自分の身の回りのあらゆる人・物への感謝の気持ちが湧いてくるのですが、悪いときは、今生きていることの全てに対して嫌な気持ちが湧いてきます。それぐらい差がありますね… その大きな波の中で生きていると、これが人生かとも思いつつ、やっぱり自分の気分を安定させたいな、ということをよく考えてしまいます。

最近思うのは、よく寝るのって大事だな、ということです。どれだけ気分が沈んでいても、質の良い睡眠が取れていれば、ある程度は乗り切れることに気付きました。頭と心と身体って、昔は切り分けて考えていたところがあったのですが、そうではなくて、繋がっているんだなと思います。いや、もっと正確に言えば、頭も心も身体の一部なんじゃないかなと思っています。

人間というのは、所詮は物質の塊で、それが環境と作用しあいながら、思考や運動を形成する。物質の動きが活性化すれば、スムーズに動くし、物質の動きが鈍っていれば、動きも鈍くなる。これは体の動きだけではなくて、思考の動きや感性の動きも同じではないでしょうか。

とすれば、大事にすべきは自分の身体であり、身体が今何を求めているかを考えながら、自分の行動を決めていくのが良いのかな、と思うようにしています。今こうやって文章が書けているのも、身体がそれを許容しているからであって、身体が疲れていてはそういう気力も湧きません。それに今は、文章を書いてそれを人に読んでもらうことの喜びを身体が欲していたため、文章を書いています。いま思いつくままに文章を書いているのも、身体の思うがままに任せているといった感覚です。(理性には、校閲の役割を任せています笑)

他者と生きることについて

最近、他者と共存することについて考えることがよくあります。ちょっと前までは、障害とかマイノリティとかについて考える機会が多かったので、誰でも許容されるような世の中になってほしいし、自分自身もそういう世の中にふさわしい、寛容な人間であらねばならない、ということを意識していました。

もちろん、これは今でも意識している事ではあるのですが、これを徹底させるのはかなり難しいし、完璧を目指すとなるとほぼ不可能だな、と今は考えています。それに、自分だけ寛容になろうとしてても、単なる独りよがりに終わることにもなりかねないし、何よりその負担感で自分もしんどくなってしまいます。

また、これは良くないな、と思っているのですが、寛容を意識しすぎると、深い沼にハマってしまって、あらゆる他者が不寛容に見えてきてしまう、という感覚に陥ります。僕も実際、そういう感覚になっていたようにも思います。世の中にはいろんな悪意がある一方で、それなりに善意もあるし、というかほとんどの人は、たとえ表面的であれ、なんらかの気遣いを持って他者と接しているかと思います。そういう気遣いの良し悪しを批判的に見ようと思えばいくらでもできるし、逆にあえて不問にすることもできる、そういうもんじゃないかな、と思っています。

僕は今、この「あえて不問にする」というのが結構大事なんじゃないかな、と思っています。もちろん、限度はありますが、人間は多かれ少なかれ間違うものだし、間違いの一つ一つを必要以上に悪く捉えられては、生きづらくなりそうだなと思います。だから、なんかちょっと嫌だな、と思うようなことがあっても、それが「まあそんなこともあるか」ぐらいで流せる感じなら、あえて深く考えようとはしないようにしようかなと思っています。

その一方で、他者との関わりで深く傷ついて、それが自分の生活に支障が出るほどのことがあったときは、ちゃんとそれを相手なり別の誰かに伝えられるようになりたいなとも思っています。

そうしていると、ちょっとだけ自分に対する縛りも薄れてきたように思います。ただ、自分の場合、「他者にちょっとは寄り添えたかな」と思えたときに、幸せな気分になるので、あくまで寛容でありたい、という意識は変わっていません。自分を労わりながら、なりたい自分を目指すのが大事なのかな、と思います。

時間が経つのが怖い

これは昔からですが、時間が過ぎていくのにものすごく恐怖心があるんですよね。特に自分には没頭癖があるので、何かに没頭していたらすぐに時間が経ってしまい、絶望感に苛まれることがあります。

そのため、時間をあまり進めたくないな、と思ったときは、極力何もしないようにしています。そうしていると、時間がゆっくり進んでいくので、安心感があります。でも逆に、「何もしていない」ことが時間を無駄遣いしているような気がしてしまって、今度はそっちの意味で後悔することもあります。どちらに転んでも絶望ですね笑 どうやったら対処できるのでしょうか。

時間を進めたくない理由をずっと考えているのですが、これがなかなか分からないんですよね。
今は、「仕事に行きたくない」という極めて分かりやすい理由がありますが、根本的な理由はもう少し深い所にありそうです。

それが何なのかはまだはっきりと言葉にはできませんが、やっぱり時間を常に意識しながら生活していることに、何らかの窮屈さを感じているのではないかな、と思っています。時間に縛られず、自分の好きなように過ごしたいけど、世の中なかなかそれを許してくれないし、そもそもそれが許されてる世の中がどんなものなのか、想像もつきません。

これについては上手く折り合いをつけていきたいと思っていますが、なかなか難しいですね…そもそもこの悩みは中学生の頃ぐらいからずっと抱えていますので、自分にとってはなかなか根深いです。


今回はこんなところにしておきます。
今まで文章書くときってめっちゃ考えて書いてたんですが、今回はそれほど頭を疲れさせずに書くことが出来ました。
また気が向いたら書きたいと思います。

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