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おじいちゃんっ子は、心配で

重役出社に慣れてしまったらどうすんだ。

わたしの買い出しついでに、軽自動車の助手席に乗った夫は「重役出社だなぁ~♪」
我が家の自称 重役は、ルンルン、ご機嫌で職場へ向かった。


 その夫を、送り届けた後、スーパーへ到着。いつもどおりハザードを点灯させて、慎重にバックで駐車する。実は、初心者運転を卒業してまだ4ヶ月。対向車とすれ違う時、どぎまぎする。


 店内に入り、メモ帳の買うものリストを見ながら、買い物カゴへとお目当ての品を、ぽいぽい入れていく。今日は調子がいい。

 レジへ着くと、長蛇の列で目の前がクラクラした。真夏日なのに、朝ごはんも食べずに来てしまった。我が家の自称 重役を、時間通り送り出すために。

 全長、10メートル以上あるとみられる行列は、なかなか進まない。

 辛抱強く待ち、レジへ辿り着いた。店員が矢継早に商品をスキャンする姿に見惚れていたら、財布と駐車券をだすタイミングが遅れた。

支払いを済ませ、商品をエコバックに詰める。

「お客様~、確かにピッタシ510円あるのですが、この小銭の枚数では、お会計は出来ません。」

わたしのひとつ後ろに並んでいたであろう、老人がレジで止められている。

店員さんがいるレジでは、一般的に各金額の硬貨が20枚以上になると清算が出来なくなるという。硬貨全部合わせて20枚ではなく、五百円、百円、五十円、十円、五円、一円それぞれが20枚以下だそう。

おそらく、この上記の件で、お会計が出来なくなっている様子。


 老人の腰は、上半身が床と水平になるような、曲線を描いていた。おじぎの途中で止めてしまったような体勢は今にも、頭から倒れてしまいそうだった。

ふわりとした白髪に、きぬごし豆腐のような、やさしい肌質の顔だち

その風貌は、弱々しさを感じさせながらも、老人の人柄でもあるやさしさもにじみ出ている。

やさしそうな老人は、”おじいちゃん”と呼ぶに相応しい。

 レジでの、やりとりを見ていると、おじいちゃんは小銭しか持っていないようだった。

店員は、おじいちゃんに何度も何度も その小銭の枚数 では会計できないことを丁重に謝っていた。おじいちゃんも理解に苦しんでいるのか、顔がゆがんでいる。

それも、無理はない。


 今日は、今年になって二日目の真夏日。10メートルほどある行列に並び、510円分の商品を身体いっぱい使って持ち続け、やっとの想いでレジ辿り着いたんだ。

帰りの道のことを考えても、心配になる。

おじいちゃんの悲しそうな顔を見ていられなかった。

 「合計金額はちゃんとある、商品を何回かに分けてお会計すればいいじゃないか、硬貨の枚数くらいなんとか出来ないのか!!」(わたしのこころの声)

おじいちゃんに買わせてあげて!!!(こころの声、爆破。)


わたしの、おじいちゃん、おばあちゃんっ子ぷりが、爆発した。わたしのおじいちゃん”じじ”は、去年の8月にホスピスで息を引き取った。それから、わたしには健在する祖父母の存在が、いなくなった。


もう亡き、祖父母への想いが蘇る。

じじ、ばば。

この、おじいちゃんに、祖父母に似た感情を抱いた。


おじいちゃんが、うしろにいたこと。

カゴひとつ持つのも一苦労であること。

わたしでさえ、長いと思った行列に、おじいちゃんも並んでいたということ。

思い出せ。気付けたか。考えたことあったか。

自分に自分で、問うてみる。


おじいちゃん。

家についてから、寝るまで、ずっとこのことで頭を悩ませた。自分が不甲斐ない。


おじいちゃんが商品を買って無事帰れたのか、胸騒ぎがした。


お読みいただき、ありがとうございました😊😊



むぎあじ。








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