民主主義への提言「Democracy 2.0」〜Z・ミレニアル世代が問い直す日本と政治のいま〜
一般社団法人Public Meets Innovation(パブリックミーツイノベーション、以下PMI)(東京都 渋谷区・代表理事 石山アンジュ)は、Z・ミレニアル世代による提言書「Democracy2.0 ~Z・ミレニアル世代が問い直す日本と政治のいま~」を公表します。
1. なぜ今「政治」か?
7月7日に投票日を迎えた2024年の都知事選挙。最終的に現職が3回目の当選を果たしたが、過去最多の56人が立候補したこと、60.62%と平成以降で2番目に高い投票率を記録したこと、選挙ポスターのジャックが行われたこと、AIを活用した新たな民主主義のかたちを提示する候補者やSNSを駆使して若者層を中心に広く知名度を高めた候補者が現れたことなど、様々な観点から私たちに「民主主義とは何か」の再考を促す選挙となった。
一方で、国政においては裏金問題を始めとして、政治とカネに関する疑惑が立て続けに浮上している。岸田内閣に関する支持率は低迷しているものの、岸田内閣に限らず、近年は就任後数年で支持率は急落することが多い。政治をこのまま放置しておいていいとは思えない、けど、どうしたらいいのか分からない。そうした声も多いだろう。
政治への関心がかつてないほど高まっている今、私たちは政治の理想的なすがたをどのように描いていくべきなのか、今の政治をどのように変革していくべきなのか。
Z・ミレニアル世代がルールメイキングの知識や実践スキルを学び、政策を議論する場を創る一般社団法人Public Meets Innovation(以下PMI)は、2023年12月から2024年1月にかけて、政治参加に関する意識調査を実施した※。
PMIは、民主主義がより良くなることを信じている。しかし、そのためには、不満を抱くだけに終始せず、一人ひとりが政治やルールを変えられると感じられる土壌や、選挙だけでなく多様な形で政治と関わっていくことができるような選択肢を創っていくことが不可欠である。
本ペーパーは、民主主義のあり方を再考していく第一歩として、国民一人ひとりが政治や日本に対してどのような考えを抱いているか、どこに政治との接点を妨げる要因があるのかを特定することを目的としている。政治の分析や改善には様々な切り口やアプローチがあるが、本調査では、アンケート結果等から明らかになった事実を基礎に置きつつ、特に、これからの時代の当事者となる若者の観点に立ちながら、新たな日本の民主主義を確立していくうえで必要な視点を提示したいと考えた。
もちろん、視点はあくまで視点であり、それをどう生かすかは、政治・行政という仕組みを担っている人々だけでなく、私たちひとりひとりがどう行動し、どう声を上げていくかである。本レポートが、現在の政治状況を理解する一助になると同時に、政治に関する議論を促し、人びとと政治との距離を少しでも近づける一助になることを期待したい。
2. 政治は遠い存在?
これらは、PMIが実施した「政治に関する意向調査」の中で寄せられた、人びとの声である。
「政治との物理的・精神的な距離を感じる」、「一部の既得権益のための政治になってしまっている」、「選択肢がない」、「イデオロギーに囚われてしまっている」、「政治を通じて社会が変わると思えない」など様々な意見が寄せられているが、多くの人が、今の政治に対して何らかの限界を感じていること、政治とより密接な関わりを持ちたいと思っているがどうすればよいか分からないこと、政治をよりオープンで開かれたものにしていきたいと思っていることは事実のようだ。
2.1. 政治に社会は変えられない
それでは、人びとは政治に対してどのように感じているのだろうか。1,000名を対象としたアンケート調査をひも解きながら、上で紹介した具体的な声の内実を確認していきたい。
まずは上のグラフを見てみよう。「自分が政治を通して社会を変えられるかと思うか?」という質問に対して「あまりそう思わない」47.2%、「まったくそう思わない」26.2%と、回答した人のうち約7割が「そう思わない」と回答している。特に、「まったくそう思わない」と回答した人は全体の約1/4。社会を変える手段としての政治への期待の低さが現れている。
一方で、「今後も日本の社会は安定していると思いますか?」という質問に対して、8割近くの人々は「あまりそう思わない」「まったくそう思わない」と回答している。
これからの日本に一定の危機感を感じてはいるが、それを打破していく存在として、政治に強い期待を寄られているわけでもない。それが多くの人の現状のようだ。
とはいえ、さまざまなサービスが政府によって提供されており、それによって私たちの日常生活が回っていることも事実である。それを国民はどのように感じているのだろうか?
以下のグラフを見ていただきたい。「あなたは、税金で払っている金額以上のサービスを、国や地方自治体が提供してくれていると思いますか?」という問いに対する答えである。
「あまりそう思わない」が45.5%、「まったくそう思わない」が29.3%とあわせてその数は75%以上にのぼる。
20代~70代を対象としたこれらの調査からは、国民の全体的傾向として、未来への不安感はあるけれども、それを変えていく手段として「政治」に強い期待を抱けていないこと、むしろ、自分たちは十分な恩恵を受け取れていないのではないか、という不信感を感じていることが明らかになる。
2.2. 世代によって異なる、政治の果たす役割
しかし、より細かくみていけば、若い世代とそうでない世代の感覚のあいだには、顕著な差異が存在していることが明らかになってくる。以下のグラフをご覧いただきたい。
これは、「あなたは、自分の生命や財産にとって政治の果たす役割が重要だと思いますか?」という設問に対する年代別の回答割合である。青色系統が「とてもそう思う」「そう思う」と回答した層、逆に赤色系統が、「あまりそう思わない」「まったくそう思わない」と回答した層になる。
ご覧いただくと、世代間で回答の傾向に違いがあるのがお分かりいただけるかと思う。たとえば、20代のうち、「とてもそう思う」と答えた人は13.2%、「そう思う」と答えた人は35.9%、あわせて約48%と過半数に届かないのに対し、70代以上では、「とてもそう思う」と答えた人は22.2%、「そう思う」と答えた人は50.3%と、7割近くが政治の果たす役割が重要だと考えている。特に政治の重要性に関しては、20代~40代と、それ以上の世代とのあいだでは、大きく認識の乖離があるようだ。
あくまで「生命や財産」に対する政治の認識を伺った質問であり、年金や介護などの恩恵を受けやすい高齢者ほどその重要性を認識している可能性は高い。一方、世代に応じてなだらかなグラデーションを描いていることからは、政治の捉え方には世代間で一定の差異がある可能性が示唆される。
2.3. タコつぼ化する政治と若者世代の「無関心」
ほかにも、世代間の政治との距離感の違いを示すデータがある。
これは、政党の支持率をうかがうアンケートの中で、「普段から支持している政党はありますか?」に対する回答の割合を年代別に表したデータである。
特にご覧いただきたいのは一番右側、「特にない」と答えた人の割合(水色着色部分)である。20代から40代にかけて上昇しており、ピークの40代では70%を超えているのに対し、そこから急激に減少し、70代以上では36.3%まで下回る。小選挙区比例代表並立制を採用している日本においては、投票先の選択において政党が一定の役割を果たすことが想定されるが、実態として若者の多くは明確に支持している政党があるわけではない。
それでは、いわゆる「政治信条」はどうなっているのだろうか。何らかの政治信条(例えば、「保守」や「リベラル」など)があるけれどもその適切な受け皿がないだけなのか、そもそも「政治信条」なるものも存在していないのだろうか。
これは「あなたは自分に政治信条があると思いますか?」という問いに対する世代別回答である。あくまで「自己認識」であり、個別の政策に対する考え方を聞いたものではないが、20代から60代というほとんどの世代において「特に政治信条はない」「分からない」という層が過半数を占めている。
このように、多くの若者は「支持政党」を有しておらず、そもそも強い「政治信条」を持っているという自覚もない。「政治信条」とか「リベラル」「保守」と言われても、ピンと来ない人も多いのではないだろうか。実際、「分からない」という回答は、若い世代ほど多くなっている。
こうしたなかで、特定の政党や政治信条、高尚な理念を強く喧伝するだけでは、一部の強い共感者に対して訴求することはできても、広く関心を呼び集めることができず、政治が「タコつぼ化」してしまう可能性がある。
政治がブラックボックスになる一方、身内だけでの盛り上がりや自分たちにはよくわからない基準で相互の批判合戦が展開されている光景を目の当たりにすれば、そこから一歩距離を取りたいと思う若者がいても不思議ではなく、むしろ、そうした枠組み自体を壊そうとするトリックスター(Trickster:ルールや規範に挑戦する存在)に惹かれるようになる。
それ自体は政治に新たな動きを呼び起こすという観点で望ましい側面があることは否定できないが、破壊は本来「創造」とセットである。破壊だけを進めたところで、人びとがその後どういった政治との関わり方をしていきたいか、どういった社会を築いていきたいかをともに考えていく仕組みがなければ、繰り返される「破壊」にもいずれ人びとは徒労を感じてくるだろう。
つまり、破壊だけではなく、そうした願望の根底にある若者の「政治との距離感」を直視し、その構造をひもとくこと、そして原因がどこにあるのかを見つけ出し、「創造」のプロセスを確立していくこともよりよい政治を実現していくうえでは必要なのである。
2.4. 政治は「よくわからないもの」について話し合っている?
それでは、なぜ人々、特に若者は「政治との距離感」を感じているのだろうか。
ここで視点を変えて、ひとりひとりがどういった政策に関心があるか/関心がないかと、そうした人たちがどういった政党を支持しているかがどういった関係にあるかを見てみたい。少し見づらい表だが、ここからはある事実が明らかになる。
これは、「自由民主党」から「(支持政党は)特にない」と答えたそれぞれのグループごとに、「もっとも自分ごととして考えられる」政策分野と、「もっとも自分ごととして考えられない」政策分野を整理したものである。
注目いただきたいのは、個別に多少の差異はあれども、いずれの政党においても関心のある政策分野、関心のない政策分野には相当の重複があるということである。政党にかかわらず、関心のある政策分野として財政・経済・社会保障政策が多く挙げられる一方で、国際協力・文化政策・移民政策といった分野には、支持政党を問わず関心が集まっていない。
国民が多様な関心を有しており、それを拾い上げ、国民の代弁者として国会や議会において政治に届ける役割を政党が果たしているーこれが政党政治の一般的な建前だが、実態は大きく異なっている。むしろ、人々の関心は自分たちの生活実感に身近な部分に集中しており、関心のあるアジェンダは支持する政党によって大きく差はない。「政党間で違いがわからない」という声をよく聞くが、それは対立軸そのものが見えにくくなっているからではないだろうか。
逆にいえば、これまでの時代においては、政党間の差異を示すひとつの分かりやすい軸がイデオロギーだった。それは、今でも場合によっては政党の大きな差別化要因ではあるだろう。しかし、すでに確認したとおり、多くの若者は特定の「政治信条」を持っているわけではない。だからといって、関心のあるアジェンダで政党の支持が分散化しているわけでもない。こうした中で政党という存在が、若者にとっては「よくわからないもの」になっている可能性がある。
むしろ、人々の関心が自分たちの生活実感に身近な部分に終始しているのだとすると、それと政策や政治が結びついていないこと、政治がそもそも「自分たちの悩みごとや関心ごとについて話し合っている」と思えないことに問題の根源があるのではないだろうか。
3. 政治を身近なものにできるか?
3.1. 子育てと政治ー欲しいのは「イデオロギー」ではなく「参画感」
PMIでは、こうした仮説を検証するため、複数回のグループインタビューを行った。10代から30代の若者世代を対象としたインタビューでは、調査協力者(インタビューを受けた人)を取り巻く社会・生活環境や政治への関心度を伺い、その関係性について分析を行った。
さまざまな要因が複合的に絡み合っているものの、見えてきたのは「子育て」という経験がもたらす政治とのつながりである。たとえば、以下は実際にインタビューのなかで得られた語りの一部である。
「子育て」は、現代社会において非常に負荷の高い経験である。保育園や幼稚園、医療など、人によってははじめて行政サービスの恩恵を強く感じる機会でもある。仮に「子育て」という経験に政治と人びとを近づける機能があるとすれば、それは子育てという社会的役割を担うことを通じて初めて、「困りごと」が顕在化され、その「困りごと」に対するサポートが可視化されるからであろう。同様に、高齢になればなるほど政治の重要性を感じることができているのは、政治がもたらす恩恵をより身近に感じる機会に恵まれているからといえるかもしれない。
こうした傾向はPMIの別の調査からも伺える。以下は、「あなたは、自分の世代以外の世代が既得権益を独占していると思いますか?」という問いに対する世代別回答割合である。
他のデータと比較すると穏やかなグラデーションではあるが、高齢世代になるにつれて、自分の世代以外の世代が既得権益を独占しているとは思わなくなっている。いいかえれば、自分たちは比較的恩恵を受けている側だという自覚が生まれている。政治に対する関心も、「守るもの」が多い現役の高齢者ほど高まる傾向にあるのかもしれない。
とはいえ、私たちは生まれてから死ぬまで日々さまざまな行政サービスを享受している。水道、ガス、公共交通機関…いずれも何らかのかたちで行政が関与し、その運営を支えている。しかし、これらはあまりにも「当たり前」で、空気のようになってしまっている。また、幼少期においてそれらの恩恵を感じるのは、子どもというよりむしろ「親」のほうだろう。
結果的に、人びとはさまざまな物事に対して鈍感になる。SNSの向こうに生身の人がいることを忘れてしまうように、生活の向こうに行政サービスがあることを忘れてしまう。もちろん、日々行政サービスの恩恵を感じながら暮らすことが必要とまでは思わないが、仮にそれらの存在への「気づき」が不足しているがゆえに政治に対して鈍感になり、その結果政治への参画の機会が失われてしまっているのだとすると、それを改善させていくなんらかのきっかけも必要だろう。インタビューでは、こうした政治の存在を感じるきっかけとして「子育て」が語られている。
ここまでの話をまとめておこう。データに基づけば、たしかに若者と政治の距離は開いている。投票率が若者ほど低いのはいうまでもないが、そもそも政治の重要性に対する認識も、若い世代ほど薄まっている。これを、単に若者の勉強不足や意識の低さ、投票のハードルの高さに求めているだけでは、根本的な原因に近づくことはできない。もはや若者は、支持する政党もなければ強い政治的な信条も持ち合わせていない。だからといって、自分たちの生活と政治をつなげるきっかけも多くない。そうした数少ない機会として機能していたのが「子育て」である。
子育て世代へのインタビューからは、子育てを通して①「困りごと」が顕在化され、その結果、②政治の重要性を感じるきっかけが生まれてくることがわかった。今の政治は「よく分からないもの」について議論をしている。それをより身近に感じられるようにしていくためには、①②のプロセスを踏みながら、それをきちんと政治と結びつける回路が必要になる。単なる現状打破だけではなく、人びとと政治の距離を建設的なかたちで近づけていくためには、「イデオロギー」や「政党政治」ではなく、政治の「参画感」をつくっていくことが重要なのである。
3.2. 「日本のために」は若者には響かない
こうした「参画感」をどのようにつくっていくべきか。日本政府が高らかに「若者の参画を」や「子育てやすい日本を」などと宣言し、若者向け政策を充実させていけば、若者たちの関心は政治に向くだろうか。おそらくこれだけでは政治を身近に感じたりすることは望めない。そこにはもうひとつの壁が立ちはだかっている。
PMIのアンケートを再度参照したい。以下は、「あなたは、日本を世界に誇るべき国にしていきたいと思いますか?」という質問のうち、「とてもそう思う」、「そう思う」の年代別割合である。
「日本を世界に誇る国にしていきたい」と答えた人は、60代、70代以上では70%を上回っているのに対して、20代では40%を下回っている。ここにも顕著な世代間格差が生じているのである。
同様に、「あなたは、日本人であることに誇りを感じますか」という質問に対する世代別の結果もご覧いただきたい。
日本人であることに誇りを「とても感じる」、「やや感じる」と答えた割合は70代以上では70%なのに対し、20代では30%弱に留まっている。「日本人であることに誇りを感じる」という感覚は、20代では3人に1人しか有していないのである。
最後に、「日本の歴史を積み上げてきた先人たちに対して、感謝や尊敬の念を感じますか?」という質問への回答も見ておこう。
「とても感じる」、「やや感じる」と答えた人を年代別に比較すると、70代以上では60%以上なのに対し、20代では40%以下という結果になった。
これまで類似のデータをいくつか紹介してきたが、本報告書で取り上げている様々なデータの中でも、「国への認識」は、特に世代間のグラデーションが顕著なテーマだ。
ここから見えてくることはなんだろうか。
ひとつには、「国」や「国家」というおおきな主体に対して、そもそも若者世代が強い親近感を感じていないということである。そこには、戦争のような日本を強く感じる機会を経験していないこと、国の恩恵を自ら掴み取る機会が相対的に少なかったことなどさまざまな理由が関係しているだろう。世代として国家に向かい合う集合的な経験が若者にはないのである。
逆にいえば、仮に子育て政策や若者政策を押し出すとしても、それが「国家のために」や「日本のために」というストーリーの上にある以上、若者の心には響かない。「そんなの知らんし」となるだけなのである。
若い世代の政治との距離感を埋めていくためには、「国のため」とは別の、新しいアプローチが必要になってくる。
3.3. 個人個人の権利や幸せを尊重できる社会へ
それでは、その「まったく別の何か新しいアプローチ」とはいったいどういうものが考えられるのだろうか。
PMIが注目しているのは、同じく一連のアンケート調査の中で、上の質問群と同様世代間格差の大きかった「あなたは、社会全体の秩序と個人個人の権利や幸せ、どちらのほうが大事だと思いますか?」という質問に対する回答である。以下をご覧いただきたい。
20代から70代に世代が上がっていくにつれて、「社会全体の秩序のほうが大事だ」と答えた人の割合は右肩上がりとなっている。特に、20代から40代の間では、半数以上が「個人個人の権利や幸せのほうが大事だ」と回答している。
つまり、若い世代にとっては「社会」や「国家」と言われてもピンと来ず、むしろ「個人個人の権利や幸せをどう実現するか」という視点に立った政治の在り方が求められている。これは、冒頭で紹介した「人びとの声」で届けられたニュアンスとも一致する。
「もっと1人1人の声に耳を傾けてほしい」「もっと声を上げやすい仕組みにしたい」「ふつうの市民が日常的に政党や政治家と対話する機会が増えてほしい」「一人一人が主役となる政治になっていってほしい」「一票の影響がいまいち実感できずにいます」「直接政治とつながる手段である選挙制度が機能していない」「政治家が民意を反映しているとはとても思えない」「もっと気軽に政治家と接して、身近な課題について意見を交わせる機会を圧倒的に増やすべき」…これらの声は、すべて政治の結果ではなく、「プロセス」に関する声である。
先ほど、若者を動かすのは「イデオロギー」や「政党政治」ではなく、政治の参画感、具体的には①「困りごと」が顕在化するチャンスと②政治の重要性を感じるきっかけと述べた。これらを積極的に作っていくためにはどうすればよいか。
上で得られたエッセンス、すなわち「国のため」ではなく、「個人個人の権利や幸せをどう実現するか」という観点に立つ必要があること、「結果」だけでなく「プロセス」への関与が重要であることの2点を踏まえると、自分が政治を動かしていると感じられる、政治と自分たちの生活が直接繋がっていると感じられるよう、若者世代にとってより生活実感を感じられる「困りごと」を拾っていき、政策に反映させていくプロセスを整備することが何よりも重要になるのではないだろうか。
4. 提言
ここまでPMIが実施したアンケートやインタビューをもとに、政治と若者の距離を近づけていくために必要な観点を分析し、重要なこととして、若者世代の「困りごと」を政策に反映させていくプロセスの必要性を指摘した。
それでは、これらを達成するために、私たちは、政治は、どう変わっていかなければならないのか。最終章では、そのために採るべきアプローチを模索する。
4.1. Democracy 2.0
人びとの政治との接点は数年に一度の選挙しかなく、政治は政治で「イデオロギー」や「政党」という軸があまりに強く、身内だけで盛り上がり、相容れない相手に対しては批判・排斥し合っている状態が”Democracy1.0”だととすると、これをひとりひとりが異なる政治的な考え方を持ちながらもお互いを尊重し合い、より参画感を持ちつつ政治に参画していくことができる状態、”Democracy2.0”に転換していくことが必要になる。
どうすれば、こうした転換を促していくことができるだろうか。ここでは、大きくシステム(仕組み)とその根底にある思想・価値観に分けて議論を展開してみたい。
4.2. 複雑すぎる社会と「政治疲弊」
第一には仕組みの問題である。
人びとが政治に関心を持ち、自分ごととして問題意識を持って投票や各種行動に動けるようにするためには、これまでさまざまな団体が取り組んできたように、魅力的な政策発信やタウンミーティング、公聴会のような場を積極的に開いていくなど、政治をオープンなものにしていく努力は欠かせない。多様な人々が多様な幸福を表出し、それをすくい上げることによって、当事者性を維持したまま個人と政治がつながっていくモデルを作っていくとするなら、あらゆる面で政治への参画のハードルを下げていくことは極めて重要なステップになるからである。
しかしながら、現実に目を向けると、多くの国民にそうした余裕がないことは明らかである。必ずしも全員が、毎日政治に関するニュースをチェックできるわけではない。特に、日々の生活を維持し、まわしていくことで精いっぱいな人たちにとっては、労働の負荷が大きく、それぞれのイシューに対して明確な意志を持てるほど余裕がないのが実態であろう。
どうすればこの問題を解決できるだろうか。重要なことは、政治にかかわる「コスト」そのものをできる限り低減させること、もうひとつは、人びとの政治にかかわる余力を生み出すことである。
4.2.1. 「政治に関わるってめんどくさい」を打破する
政治について国民が触れる経路は様々である。国会中継、官報など色々あるなかで、多くの人にとって最重要な媒体はおそらくニュースであろう。
しかしながら、若者の政治との接触を切り開くという意味で、既存のニュース媒体が新たな地平を切り開くことは正直期待しがたい。新聞やテレビニュースの多くにおいても、「答えありき」や「批判ありき」の報道や情報の取捨選択が行われており、国民はそれを敏感に感じ取っている。ただでさえイデオロギー的なものに対して忌避感の強い若者にとっては、それだけで「興ざめ」する人も多いだろう。
しかも、現代社会は、情報が氾濫する極めて高度に複雑な社会であり、個々人にその複雑性の縮減コストが課されているのも事実だ。結果、明日や1年後の身の回りの生活に直接的に影響を及ぼさない政治に関するニュースは、若者にとって「どうでもいい」ものとなる。
このことを単に既存メディアにとっての危機と捉えるべきではない。それは、究極的には代議制民主主義の危機に直結する。重要な政治的な決定がなされているのにそれらに対して「不感症」的になり、政治的危機への感度が下がるとすれば、行きつく先は米国や欧州各国で台頭するようなポピュリズム政党の台頭に至りかねない。
つまり、新たなテクノロジーの活用も含めて、政治に接触する「コスト」とをいかに削減することができるかが、第一に必要な視点となる。近年では、様々なスタートアップがいわゆるGovtechやPolitechという領域に進出している。政治や行政をテクノロジーを使ってアップデートしようという試みだ。こうした取組を応援していくことも重要である。
一方、個人に目を向けても、確かに、投票に行ったり、後援会に入って誰か特定の候補者を応援したりという人は限定されている。しかし、人びとは何らかの形で日々「政治的な行為」をしているのも事実ではないだろうか。例えば、SNSで流れてきたあるニュースに対して「いいね」を押したり、コメントをしたりする。例えば、商品を購入するときに、環境にやさしい省パッケージのものを選んだりする。政治的な意思を示すのは、選挙だけではない。私たちの日々の選択は、実は政治的な行為でもあるのである。
だとすると、私たちの活動データから、政治的な意思を読み取ることも可能になってくるのではないだろうか。近年では、「ブロードリスニング」と呼ばれる手法が注目を集めている。AIや統計技術を活用し、数百万人もの人々の意見を集約し主張を抽出することによって、よりスケールの大きい民主的な議論を可能とするものである。明示的に政治に関与していくプロセスを整備することの重要性はすでに述べた通りであるが、どうしてもそこに参画できない人たちの意思を汲み取るためには、政治をより拡張して捉え、日々の行動から意思なるものを吸い上げる取組も増えていく必要があるように思う。
4.2.2. なぜ現代人は忙しいのか?
一方、政治に関わるコストを縮減すると同時に、私たち自身に政治とかかわる余力を生み出していくことも等しく重要である。それでは、なぜ私たちの生活にはそうした余裕がないのだろうか。
デンマーク出身で、福祉国家の研究で著名なエスピン・アンデルセンという社会学者は、現代を『「再商品化」を志向した福祉政策の推進体として福祉国家』と呼んでいる。
小難しい言い方をしているものの、かいつまんで言えば、現在の人々は、自分たちの福祉サービスを獲得するために懸命に働き、貨幣を獲得する必要があるということである。今日盛り上がりを見せる「NISA」なども、まさにそうした資本主義的労働スタイルに拍車をかけている。こうしたトレンドが強まれば強まるほど、「公」への関心は薄らぎ、自分たちの身を自分たちで守らなければならないというプレッシャーが働く。今の勤労世代は、将来の生活への責任を自ら背負っており、直接的に自分の生活との関係を感じることができない「政治」への関心を持つことはさらに少なくなるだろう。
こうした状況を踏まえたとき、国家は、国民の政治からの疎外要因となっている資本主義的労働スタイルから一定程度保護し、健康的に政治に参加できる環境整備を進める必要性が明らかになってくる。福祉国家の充実、特に勤労世代が政治にかかわることのできる余裕・余白・安心感の醸成は、政治と国民の距離を近づけるという観点からも重要なアプローチとなる。
4.3. 「排除しあわない民主主義」へ
ここまで、政治の「仕組み」の問題を述べてきた。最後にもうひとつのアプローチ、「思想・価値観」に踏み込んでいこう。
繰り返しになるが、私たちは、「イデオロギー」や「政党」軸があまりに強く、身内だけで盛り上がり、相容れない相手に対しては批判・排斥し合っている「タコつぼ化」した政治から、「個人個人の権利や幸せをどう実現するか」という視点に立った参画感のある政治への転換を求めている。
一方で、それは決して政府からトップダウン式に「国家像」が描かれ、それに国民が盲目的に従うような社会ではない。また、留意しなければならないのは、「個人個人の権利や幸せをどう実現するか」という視点に立つということは決して「自分の幸福だけを追求する社会」ではなく、同時に「他者の幸福を尊重することができる社会」でもある必要があるということだ。ここでは、こうした状態を「排除しあわない民主主義」と呼ぶ。
「排除しあわない民主主義」においては、異なるものさし(価値観)が互いに排斥しあわずに共存している多元的な政治が実現されている。
しかしながら、これはきわめて困難な挑戦である。財政ひとつ取ってみても、それをどう配分するかで激しい議論の応酬が繰り広げられている。高齢者VS若者、都市VS地方、さまざまな対立軸が顕在化し、そこにさらにSNSによるエコーチェンバーやフィルターバブル、対立陣営間の対話の不在も重なって、著しい民主主義の衰退を引き起こしている。どうすれば、こうした課題を克服することができるのだろうか。
4.3.1. 「排除しあわない民主主義」を実現するために
「排除しあわない民主主義」とは、それぞれの個人がそれぞれの幸福を妨げられることなく追求でき、同時に他者の幸福追求を妨げない社会モデルである。政治は、そうした個人個人の幸福追求を後押しすると同時に、他者の幸福追求を阻害しない制度を国民に提供するものでなければならない。
一方、先に述べたとおり、これを解決することは非常に難しい。どちらかを立てればどちらかが立たなくなり、その調整自体を担っているのが政治である以上、最後の最後、自分の利益と他者の利益が対立するシーンを排斥することはできない。そういう意味では、「排除しあわない民主主義」は、完全に到達することのできない「理念型」なのである。
しかし、「私はこれを信じる」「僕はこうだと思う」のみに立脚し、自分たちのスタンスをぶつけ合っていても、これまでのイデオロギー重視の政治と変わらず、いつまで経っても平行線になってしまう。強い同調圧力によってメンバーの結束を高めながら、その枠組みに入っていない/入らない人びとに対しては徹底的な批判と排斥を行う。SNSによって、エコーチェンバーやフィルターバブルが強化され、ますます自分の信じる世界のなかで閉じこもって生きていく。そこに包摂という概念はなく、これまでの政治は、そうした平行線問題を「多数決」という原理によって解決してきた。
しかし、価値観が多様化した今、こうした「正しいひとつの考え方」を見つけて、それ以外を排斥するアプローチから、多様な価値観が共存する社会へと転換していく必要がある。このために私たちは、「私はこれを信じる」「僕はこうだと思う」を乗り超える、より上位の考え方を共有する必要があるのではないか。ひとりひとり考えていることは違う、しかし、対立したときに向かうべき先を示してくれる大きな理念さえ共有できていれば、突破口は開けるはずだ。
私たちはそうした対立を乗り越える上位理念として、「不正義の是正」を提示したい。
不正義を明確に定義するのは困難であるが、ここでは「不公正」「不平等」など、「(本来享受できるはずの権利や自由が構造的に制約されていて)一部の人たちが不当/アンフェアな境遇に置かれている状態」と定義しておこう。
たとえば、世の中には、たくさんの「不公平」が存在している。たとえば、近年話題の「気候変動」ひとつをとってみても不平等がある。ある立場(例えば、経済成長を何よりも重視する人たち)からすれば、次の世代が自然災害で困ったり、どこか遠くの離島が海に沈んだりすることよりも、今目の前の経済成長が実現されていることを重視するかもしれない。ここでは、経済成長というひとつの<正義>が、<自然災害で困らないこと>や<生まれ育った島で生き続けられること>よりも重視されているということになる。
このように、様々な正義が対立しあい、偏りが生じていると、それは最終的に「格差」につながる。一方、不公平は「他者の幸福を尊重することができる社会」を目指す「排除しあわない民主主義」の実現にとって大きな課題だ。なぜなら、不公平はそもそも人びとが同じスタートラインに立つことを拒否するからである。いいかえれば、「排除しあわない民主主義」の実現と「不正義」は真っ向から対立する。
これは必ずしも気候変動や戦争・紛争、飢餓などグローバルな問題だけではない。地域間格差や都市と地方の関係性、ジェンダー、人種差別など、あらゆるところに不正義は潜んでいる。
こうした課題はいずれも「排除しあわない民主主義」を脅かす。「排除しあわない民主主義」を目指すとき、すなわち、個人の幸福追求と他者の幸福の尊重を最優先にする社会を実現していこうとするとき、こうした課題を「解決すべき問題」とし、その不正義の是正を推進することは極めて重要になる。
さらに重要なことは、こうした「不正義」は、今を生きる人たちの間だけではなく、世代を超えても発生している。我々はつい、”今この瞬間”の投票行動や政治的な態度表明を刹那的に感じてしまいがちだ。しかし、多くの政策のインパクトは一世代、二世代、あるいはさらに後ろにも残るのである。環境政策を現役世代がより強い覚悟を持って政策を進めない限り、孫の代の時には桜は春に咲かなくなっているかもしれない。
近年では、遠い先の未来にポジティブな影響を与えることが現在を生きるわたしたちにとって主要な道徳的優先事項だとする、「長期主義」という考え方が注目を集めている。長期主義にとっても、「不正義」は大きな課題だ。今に着目するあまり、長期的な目線が損なわれてしまうと、それは将来世代に大きな負担を残すことになる。
このように考えると、私たちがまず取り組むべきは「不正義をできる限り無くしていくこと」と定義できるのではないだろうか。自分の取ろうとしている、取りたいと思う選択肢は、「不正義」を加担する方向を加速しないか、将来世代や、遠い場所に生きるどこかの誰かに負担や禍根を残すことに繋がらないか。こうした問いかけが、「排除しあわない民主主義」を実現していくうえで重要になってくるのである。
5.さいごに
最後に、ここまでを総括しておきたい。以下の表は、本稿で得られたエッセンスをまとめたものである。こちらを参照にしながら、もう一度全体を振り返っておこう。
PMIが実施したアンケートによると、国民の多くはこれからの日本に対して一定の危機感を抱いているものの、政治に対して強い期待を寄せているわけではなく、むしろ自分たちが十分な恩恵を受けていないのではないかという不信感を持っていることが明らかになった。また、多くの若者は「支持政党」を持たず、特定の「政治信条」も持っていないことが分かった。
それでも、人々が政治との接点を感じる場面は存在する。それは、自分たちの生活に密接に関わるテーマにおいてである。逆に言えば、政治が「自分たちの悩みごとについて話し合っている」と思えない限り、政治への関心を高めることはできない。
そこで重要になるのは、①「困りごと」を顕在化させるチャンスがあり、②政治の重要性を感じるきっかけを作ることだ。若者を動かすのは「イデオロギー」や「政党政治」ではなく、政治と生活が近づくこと、すなわち政治の「参画感」である。
しかし、そうした政策を「国家のために」や「日本のために」というナラティブの下でトップダウン式に決定するだけでは、いつまで経っても政治を身近に感じることはできない。むしろ、「個人個人の権利や幸せをどう実現するか」という視点に立ち、一緒に考えていける「プロセス」を作ることが必要だ。
自分が政治を動かしていると感じられ、政治と自分たちの生活が直接繋がっていると感じられるように、若者世代にとってより生活実感を感じられる「困りごと」を拾い上げ、それを政策に反映させるプロセスを整備することが第一歩となる。
そのためには何が必要か。本論の後半では、政治に関わる「コスト」をできる限り低減させると同時に、特に勤労世代が政治にかかわることのできる余裕・余白・安心感を醸成することの重要性を指摘した。ここでは、新たなテクノロジーの活用も含め、政治に接触する「コスト」をいかに削減するか、そして、福祉国家の充実、特に勤労世代の日々の負担をいかに軽減していけるかが鍵となる。
最後に、こうした社会を実現するための基盤となる理念として、「排除しあわない民主主義」という考え方を提示した。「排除しあわない民主主義」では、異なる価値観が互いに排斥し合わずに共存する多元的な政治が実現される。
そのためには、多数決ではなく、対立を乗り越える上位理念を確立することが必要であるとしたうえで、一例として、「不正義」や「不公平」をできる限り取り除くということ、自分の選択が「不正義」を助長することなく、将来世代や遠い場所に生きる誰かに負担や禍根を残さないかを問いかけることが、「排除しあわない民主主義」を実現するための第一歩となりえることを指摘した。
以上、本稿では、現状の分析から今後の政治のあり方を示した。これらが人びとの間での議論を喚起し、政治をよりよい方向へと向かわせていくきっかけになれば幸いである。
※ アンケート概要
・期間:2023年12月25日(月)~2024年1月5日(金)
・対象:20代~70代の男女約1,000人
・内容:政治への関心度、接点、支持政党、政治的な志向など
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