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良きセカンドライフの為の人生の振り返りから課題を見つける

実は違うタイトルで書き始めたのですが、
違う方向へ文章が流れていって止まらない。

私は、自分の振り返りをしたいのだと気づき、
そういえば人生を振り返って文章にするのは
何だか過去に縛られているみたいで苦しく
なりそうで出来なかった気がする。
でも、今回は別のことを書くつもりで
いつの間にかつらつらと書いてしまったところ
を見ると書くことで整理したい課題があることに
自分自身で気づいていたということだと納得した。

人生のまさかは突然やってくる。

人生のまさかは突然やってくる

30代の後半でシングルマザーとなってから
馬車馬のように働くといった表現がぴったりの毎日を
送っていた私にとって、娘が中学を卒業するのは
とても楽しみでした。

やっと、少しは自分のことを考える余裕が
持てるかもしれない。
今までは断ってきた飲み会にも参加できる
かもしれない。
などど思っていました。

ところが、娘が中学3年の秋に難病になった・・・
難治性ネフローゼ
まさか、自分の子供が難病になるなんて
思ってもみなかった。

最初は難病の恐ろしさもよくわからずにいた私

でも、難病というのはなかなか治らないから難病なんだ
ということは間もなく実感した・・・

これからどうなるのか?
私は一人でこの子を守り切れるのか?
一人になると涙が自然に湧いてくる、
心から笑えない日々が続いた。

薬の副作用の怖さも知った。
苦しんで悩んでいる我が子に何も出来ない無力さや
こんな時、頼れる相手のいない寂しさに
打ちのめされた。

でも、追い込まれた時の私は強かった・・・
仕事で全国トップの成績を残したのもこの頃だった。

この国の医療や保険の有難さも実感した。
高額医療費に助けられ、子供保険に助けられ
経済的にはほとんど痛手はなかった。

心配は高校受験だった。
中学の最期の期末試験を病院のベッドので
受けさせてもらい。
公立高校の試験をあきらめて、私学専願に切り替えて
特別室での受験をお願いした。

合格通知をもらえた時の安堵感は今も忘れない。

家の購入と退職

こんな大変な時に何故こんなに色々なことを決断したのか?
今も自分自身の心理が分からない。

抱え込まなければ、立っていられない・・・

あえて言うならそんな感じだったと思う。
自分の置かれている状況に目を向けるよりも先に視線を
向けたいとかそんな偉そうなもんではなかったように思う。

事実、夜になるとお酒を飲んでは現実逃避をしていた。

家を持つなら会社に勤めている間にと思っていた。
ローンが組めなくならないように・・・
しっかりした自分の城を持っておきたかった。

自分の城を持てたら、
会社を辞めて独立しようと思った。
こんな思考回路はやっぱり変だと今も思うが
難病の一人娘を守るのは会社員を続けることではないと
何となく感じていたみたい・・・
いやそれはかっこよすぎる、私は会社に疲れていたんだ。
何もかもに疲れていたから何かしないと
死にそうだっただけ

起業して必死の毎日

シングルマザーが家を買って会社を辞めるなんて
かなりの冒険

必死になる、兎に角生きるために必死になりたかった。
崩れてしまうわけにいかないように自分を追い込む。
子供を守り、大学にも行かせる!
自分自身もやりがいや生きがいにもなるはず
と思っていた。

やらなければならない崖っぷちが私は好きみたい・・・

文字通り必死な毎日。

でも、娘は何を思っていただろうか?
欲しかったものは別にあったのではなかったか?
私たちはよくぶつかった。

何故、私の必死な努力や思いが伝わらないのか?
思いやりのある言葉や態度がないのか?

私の強がりは娘に伝染して
娘は強い子になっただけだった。
病気に負けない、自分の人生を自分で切り
開く力がある子になってくれた。
それは私の誇りでもある。

でも、その分私たちは弱さを認めない親子に
なってしまったように思う。

私は彼女を助けたかった、そして助けてほしかった。
気持ちはすれ違うばかりで今だに重なることはない。

私の得たい感情を彼女から感じることが出来ない。
それが恐らく彼女も一緒だ。

人生をかけたシングルマザーの子育ては
半分成功で半分は・・・

でも、まだ結論が出たわけではないと思っている。
私たち親子の歴史は物語はまだまだ続くはず
あの時代の私には出来なかったことも
これからなら出来るだろう。
娘も人生を知って分かることもあると思う。

お互いに元気ならこれからという時間は
無限に広がるだろう。
大きな期待をするわけではない、
これは母としての残された課題だと
思っている。かなり難しい課題だ。

強がりが限界を超えてしまったみたい

私は50代の後半になり、娘は病気を克服して
大学も卒業し就職も自力で決めた。

そして、私の城から出て行った。
親の作った城なんて子供にとっては牢獄のごとく
鬱陶しいものなのかもしれない。
ホッとできる場所ではないのだろう。

あんなにぶつかり合ったのに
喪失感は津波のごとく私を襲ってきた。
その分、仕事に埋没する日々。

そのころやってきたのがコロナだ。
世界を不安におとしめたコロナ、
しかし私はコロナによって救われた。

仕事はストップしてしまい、
私はしばらく行ってなかった健康診断にいくことになった。
(なんと住居地の保健所から連絡があり
今年は是非受けて下さいと言われた)

そして、見つかったのが癌、乳癌でした。

私の強がりは身体の限界を超えてしまったようだ。
こうして、私は健康だけが取り柄ではなくなり、
乳癌サバイバーとして、
治療をスタートすることになった。

思ったよりも進行していた癌

癌は自分に対する大きなお仕置きだと私は思っている。
いい年をして全く健康に気遣ってこなかったから
かなり苦しい思いをした・・・

抗がん剤は生きる為というには犠牲が大きすぎる。
次はもう無理、選択肢にはないと思っている。
再発したら、その時は寿命だと観念しようと
今は思っている。
実際にそうなったらどうかな?と思うけれど

癌と戦いながら仕事も続けながら生きるというのは
やっぱり大変なことでかなりしんどかったし、
メンタルも崩壊した。

しかしながら、あのままコロナにもならず、健康診断も
先延ばしにしていたら、おそらく今頃はあの世か
あの世にもっと近いところにいたはずだと思うと、
時間をもらったと心から思えるし、感謝している。 

必然的に闇雲に走るのではなく、
やりくりする術を覚えた。
私はやっと生産性の高い人になったのかもしれない。

今、60歳を前にして・・・

今、60歳を前にして・・・
セカンドライフをどのように生きるかを考える日々

昨年の秋に長かった抗がん剤治療が終わった。
副作用の強いものからそうでもないものもあり、
苦しくてギブアップしたり、拒否した治療もあった。

言えることは、治療が終わってどんどん
身体が楽になり思考回路も前向きに明るくなって
いくことを確実に感じられることだ。
薬というものは、本当に恐ろしいのだ。 

もう、無駄に無理はしたくない。
一番は身体の声に耳を貸すことだと思っている。

もちろん、頑張らないとならないことは沢山あるけど
疲れたら休む、さぼる、遊ぶ、好きな友達とだけ会う。
仕事もストレス満載のものはやらない、
断る勇気も持った。

セカンドライフは学びの宝庫なんだと思う。
若い時には見えない、聞こえないことが沢山あるんだ。

これから先の人生は下り坂だ。
どう考えても体力も記憶力もありとあらゆる
能力が下り坂だ。

でも、坂道って上るよりも下るときが大変
だったりするよね。
人生も同じかもしれないと思う。

でも苦労したり、身を削った分これからが
結構楽しみなのは事実だ。
やりたいこと、出来ること盛り沢山だ。

関わってきた住空間への提案や整理収納の学びは
可能性が沢山ある。
コロナ禍で今までよりも住空間への興味や
重要性を感じている人は増えている。

これからが本当の旬なのだとワクワクしている。




















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