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だから、Twitterを辞めました。

先日仕事関連のTwitterアカウントを閉じました。

実は辞める数時間前に捨て台詞のように今のビジネスアカウントの繋がりに対するモヤモヤを吐こうかと思ったのですが、仕事のための大事なプラットフォームとしてTwitterにいる人も知っているためオープンにしませんでした。

このnoteはわたし個人が感じたものを記すものです。生業の場にしている人たちを否定する意は全くありません。

ここは運動を過度に避けるモデルさんの肌のようだ

存在感を絶やさないために「バズる」を追い求め、マーケティングやインサイト分析にもとづいて言葉を紡ぐ。私はもうこの場から逃げたいと耐えられなくなるほど、人間らしくないサイコパスさを感じてしまった。

上に書いたモデルのような傷のない肌の例えはなんとなく頭に浮かんだものですが、私が捉えたいTwitter界隈の核が見えてる言葉だとも思っています。バズる・叩かれない・フォロワーが減らないように、といった見えない視線を恐れて、心から溢れ出る言葉を出す勇気をためらう

誰かの視点からみた「受容されやすい自分」の虚像からtwitter上の自分を編み出し、計画された言葉でその像を補強する。

わたしは怖くなってしまった。
人間であることを否定する世界じゃないか。

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ある意味、個性がキーワード。

個の尊重はそこら中で叫ばれている新時代の正義です。そして私はTwitterにおいても大事なキーワードだと思う。色んな意味で。

ところで最近「欲しい物はなんでも買える時代」のレベルが上がったと感じます。

まずはコロナの影響。お家時間が増え、閉鎖空間にいるがゆえに自然と人々が己の根源にある欲求が見えるようになった。消費者側から「本当はこんな生活がしたい」という声が発信されるので、ものづくり側もアップデートした新たな商品をどんどん売り出した。

そしてシェアリングの概念が広まったこともものの豊かさに影響してるとみます。資源を個人のうちにとどめるのではなく、使っていない余剰時間は他人にシェアするという考えが人間がもつ行動の自由を大いに拡げてくれました。シェアリングサービスによって欲しいものが簡単に手に入るようになった。

ものに溢れかえる世の中で、それでも売れる商品を生み出そうとする会社たち。ブルーオーシャンを探したり、ユーザーの想いに寄り添ったり、個性を磨いて差別化を図ろうとする。

個性あるサービスをつくる「個がない人間たち」

唯一性を生み出すのがミッションともいえる社員たちが、仕事仲間が一同に集うコミュニティーであるTwitterに移動すると「無個性=正」という見えない視線を恐れて己の言葉を制する。アイデンティティーが表れているような心からの声が潰されている。

おかしいなと思います。こんな精神的不衛生な環境にいるよりも、バッシング覚悟で人間らしく羽根を伸ばしたほうが人を惹きつける「おもしろさ」や「強さ」が生まれると思っています。

旧友や信頼するパートナー、尊敬する先輩方と対話している時間のほうが私を活き活きとさせてくれるんです。負け惜しみ的な考えだとも自認していますが、こんなところにいてもつまらないと思ったので辞めました。

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話の〆にともなんですが、最近は他人と向き合える強さが私のテーマです。

メンタルヘルス関連のサービスを作りたいと考えていても、自死に及ぼうとする大事なフォロワーたちを見ていると、まだ彼らを声を受け止めきれるような人としての器が足りないと思っています。

他人を大切にするために、今は自分を大切にする練習をしています。

- - -このnoteを書きながらきいてたBGM - - -


おわり

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