畑の香りとアブラムシ
4月25日(土)
料理をするのは、間借りでカフェを開くくらいには好きだ。でも最近はなかなか時間も取れず、料理とは疎遠になっていた。
在宅になったおかげで、料理をする時間ができた。
せっかく料理を楽しめるようになったので、良いものを使いたいじゃない。
ということで、前に有機農業の研修を受けていた会社の野菜の定期便を頼むことにした。
私の地元平塚を拠点にしている会社で、日本中で炭素循環農法という無肥料無農薬、炭素と窒素のバランスを保つことで健やかな土壌と野菜を育てている人たちの旬の野菜たちが、隔週で届く。
スーパーで買い物をしていると、何が旬で何がおいしい時期なのかがだんだんとわからんくなってくるので、こうして旬のものが送られてくるのはうれしい。
そして段ボールを開けると、ほのかに畑の香りがするのだ。
にんじんたまねぎじゃがいも。どれも土のよい香りがする。
農家の生まれである自分にとって、畑の香りがするというのは当たり前だったのだけれど、そのあたりまえが知らぬ間に特別なことになってしまっていたのだなぁ。と気づく。
春の畑の香りは晴れやかでやさしく、そしてちょっとあまい。
早速届いた野菜を見繕い、ご近所の夫婦のおうちへ届けに行く。こういうときは歩きに限る。ゆっくりと春の朝をかみしめる。
帰ってきたら早速届いた野菜で料理。さあ何にしよう。
スナップエンドウ、小松菜、ミニトマト。
ミニトマトを摘まみ食う。濃くて甘い。夏!というよりまだまだ春のやさしさの味。
スナップエンドウと小松菜をちょっとゆでて、にんにくで香りをだしたオリーブオイルに入れてさっと炒める。ミニトマトを4等分にしてゆでたパスタを入れて絡め、出来上がり。春のパスタ。
菜の花とかあったら赤緑黄色がそろってよい感じだっただろうな。それぞれの野菜がおいしくて、ただただ満足。
午後、おとなりに行って、アブラムシが大量についたレタスの話をする。
その後はZoomで府中の人々やいろんな人とざっくばらんに話す。
環境に慣れるのが早いもんで、もうすでにオンラインでこうして会えることに違和感よりは、えもさを感じ始めている。
基本的に自分は何があっても受け入れる、というスタンスでいる。
旅もシェアハウスも地域や世界でのかかわりも、大体そんなスタンスがあってここまでやってきたと思うが、そんな時に思い出すのは実家の食卓の光景だ。
うちの味噌汁にはうちでできる旬の野菜が入っていて、春のほうれん草の時期には、大抵アブラムシが浮いている。母親はゴマだと言い張るが、目の良い子どもにはちゃんと足がついているのが見えてしまう。(そもそも味噌汁にゴマが入る隙があるだろうか?)
アブラムシが入ってる!と騒ぐと、おじいちゃんは「アブラムシには栄養があるんだ。」と言ってむしゃむしゃと食べていた。そんなもんかと思い、しょうがなく味噌汁をすする。足があろうとなかろうと、食べてしまえばこっちのもんだ。アブラムシの栄養がどんなものかは知らないが、少しは自分の糧になるだろう。
そんな感じで?目の前にどんなものが出されようと、食べてしまえば自分の糧になるという感覚は様々に応用できる。
ここで寝るしかないとなればどこでも寝るし、モルモットを食べろといわれりゃ食べる。
自宅に居ろといわれりゃいるし、その体験がどんな栄養を含んでいるかは知らないが、その中で面白みを見つけていくことが出来さえすれば自分の糧になる。
まあ、そんなこんなで楽しく生きていきましょう。
夜は大根がおいしかった。野菜をいとしく思えたのはいつぶりだろう。
やっぱり土とつながりながら生きていきたいね。
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