春琴抄

♯2_ 信じる?信じない?観念世界を極めた男のラブストーリー--『春琴抄』(谷崎潤一郎)のパーフェクトラブ

※作品の「ネタバレ」が含まれる可能性があります、ご注意ください。また、個人的な作品の一解釈になりますことご了承下さい。

博士:今回は、文豪・谷崎潤一郎氏の代表作『春琴抄』からパーフェクトラブ(以下、PL)をお持ちしました。

夫人:ネットで検索したら「純愛」、「献身」、「SM」というキーワードが出てきましたけど、そういう話ですの?

博士:確かに、これからご説明するあらすじから、そういった印象を受けるかもしれませんが、本当にそうなのか、検証していきましょう。まずはあらすじをご説明します。

「鵙屋春琴伝」という本を手にした「私」が、この本に書かれている春琴と佐助のお話を語ります。それによりますと、春琴は高飛車な盲目の美女であり、三味線の名手。一方、佐助は春琴の身の回りの世話を任され、献身的に仕える丁稚。ある時、佐助は春琴に憧れ三味線を独学で始めますが、それが春琴の知れるところとなり、正式に春琴の弟子となります。春琴が佐助に施す稽古は厳しく、折檻の体をなすときもありましたが、佐助は受け入れます。また、こんなこともありました。春琴が佐助によく似た赤子を産んだのです。が、二人ともその真相に関しては一切口を閉ざし、子供を育てる気もなく里子に出してしまうのです。二人の関係は一体何なのか、周りも不思議に思っているのでした。そんな二人に大きな事件が起こります。高飛車な春琴が何者かの反感を買い、熱湯を浴びせられ顔に火傷を負うのです。春琴はこの顔を佐助に見られたくないと思います。佐助もそんな春琴の姿を見まいと、なんと自ら目を針で突き春琴と同じ盲目の世界に入ってゆくのです。

夫人:相手の変貌を見ないために、自ら目を突くって…なかなか出来る事ではありませんわよね。ここに至った佐助の心境ってどんなものなのかしら。

博士︰それはもう、春琴への“完璧な愛”を守るためですよ。

夫人:もう少し詳しく教えて頂けるかしら。

博士:春琴が火傷をする前までの2人は、いわゆる「SM」的な関係性として完璧でした。美しく、高飛車な春琴と、そんな春琴を神のように扱い「献身」的に仕える佐助。ただの主従関係かと思いきや、明らかに2人の子供としかいいようがない子が生まれる。つまり、2人は男女の仲であった、彼らなりの恋愛関係がそこにあったわけです。

夫人:そうね、一般的には理解しがたいけれど、男女のことはその二人にしか分からないものよね。じゃあ、顔に火傷を負った自分を見られたくない、という、愛する春琴の願望を叶えてあげるために、佐助は自らすすんで盲目になってあげた。そういうことかしら?

博士:そう考えればまさに「純愛」と考えられるかもしれません。けれど、そう単純なものでもなさそうなのです。例えば、この記述。『佐助は彼女の笑う顔を見るのが厭だったという けだし盲人が笑う時は間が抜けて哀れに見える 佐助の感情ではそれが耐えられなかったのであろう』春琴が火傷を負う前の部分なんですが、これについて夫人はどう思われます?

夫人:…第1回目のPLから私たちが学んだことを思い出すと、PLはナチュラルに湧き起こってくるもの。その中に、躓き、違和感が存在するということは許されない。佐助にとって、見た目が美しくない春琴というのは、彼のPLの躓きとなる、許せない障害だった、ということかしら。

博士:そうですね。笑顔に関しては、春琴がすました顔に戻れば、何事もなかったかのように佐助にとっての完璧を取り戻せます。これに対して、顔の火傷は一時的なことではなく、佐助の前に時間軸を以って立ちはだかる大きな躓きです。

夫人︰これを克服するために、佐助は盲目になったというわけね。火傷のある春琴では今までのような愛情を持てない、でも今までのように愛していきたい。そこで辿り着いた解決策が、見ない、なんて…なんだかモヤモヤしますわ。

博士︰盲目になった後の佐助は、心の眼で春琴を見ている…というと聞こえはいいですが、要は目の前の実存の春琴ではなく、自分で創り上げた観念の春琴を見ているんですよ。『佐助は現実に眼を閉じ永劫不変の観念境へ飛躍したのである 彼の視野には過去の記憶の世界だけがあるもし春琴が災禍のため性格を変えてしまったとしたらそう云う人間はもう春琴ではない 彼はどこまでも過去の驕慢な春琴を考える そうでなければ今も彼が見ているところの美貌の春琴が破壊される』現に、年老いて弱気になった春琴を佐助は受け入れず、高飛車なままの春琴がいいと言っていたそうです。

夫人︰そうやって、春琴が生きている間は触覚で感じる春琴を媒介に、春琴亡き後は、春琴の作った曲を演奏しては聴覚を媒介に、観念の春琴を呼び起こしていたのね。

博士︰佐助の春琴という対象へ向けられた愛の大きさがハンパないことはわかりますし、これが「純愛」、「献身」と言われる所以なんでしょうけど、これってどうなんでしょう。私たちが収集しているPLなんでしょうか。わからなくなってきました。

夫人︰確かに、愛する人のありのままを受け入れられないなんて、昨今の流れとしては炎上ものかもしれないわね。ありのままの相手を愛することが重要なのか、愛するという行為自体が重要なのか…どちらにせよ、盲目になった後の佐助の愛し方を、PLだ、と断言するのはむずかしいわね。それに春琴がその愛をどんな風に受け止めていたのかもよく分からないし。

博士︰そうすると、やはり春琴抄におけるPLは、あの一瞬でしかありえないということですね。

夫人︰えぇ。佐助が春琴に、自ら目を突いて、盲目の世界に足を踏み入れたと告げた瞬間ね。『佐助それはほんとうかい と云った(春琴の)短い一語が佐助の耳には喜びに慄えているように聞えた。そして無言で相対しつつある間に盲人のみが持つ第六感の働きが佐助の官能に芽生えて来てただ感謝の一念より外何物もない春琴の胸の中を自ずと会得することが出来た 今まで肉体の交渉はありながら師弟の差別に隔てられていた心と心とが始めてひしと抱き合い一つに流れて行くのを感じた』そして佐助は、かろうじてぼやぁと見えた光の内に仏のような春琴の姿を見るのよ。

博士︰これは、まさに春琴と佐助の心身の一致の瞬間ですね。二人で盲目の世界に身を置き、心の眼によって直接お互いの心に触れるという神秘体験的PLです。佐助にのみフォーカスを当てても、実存と観念の春琴が一致しているといえます。全てが合っている、本当に完璧な瞬間です!

夫人︰『今こそ外界の眼を失った代りに内界の眼が開けたのを知りああこれが本当にお師匠様の住んでいらっしゃる世界なのだこれでようようお師匠様と同じ世界に住むことができた』なんてマゾヒストらしからぬことを言って、春琴をただの女にしてあげた一瞬でもあるわね。
 
博士︰本当に同じ世界にいたのはこの時だけですけどね。

夫人︰その後、対等な関係の仲睦まじい夫婦として二人で生活していくこともできたのに、再び春琴は高みに上り、佐助はそれに奉仕するという関係性に戻ってしまうのよね。『佐助は現実の春琴をもって観念の春琴を呼び起こす媒介にしていたのであるから対等の関係になるのを避けて主従の礼儀を守った』だから、この後春琴が佐助の子を3人生んでも、佐助は春琴との結婚を拒否する…。

博士︰少なくとも佐助の方は、主従関係のままでいることを強く望んでいたでしょうね。佐助はマゾヒストとしての欲求に正直な男です。佐助は、そういう利己的なやつなんですよ!!

夫人︰博士、どうしたの?急に佐助への当たりが強くなってますわよ…。

博士︰佐助は、「純愛」だの「献身」だの言われてますけど、これまでの話を纏めるとジャンプ的ダークヒーローだとしか思えません!

夫人︰唐突になにを…どういうことですの?

博士︰昔、幕末の動乱期、大阪に佐助と呼ばれる一人の修行者がおったそうな。

夫人:壮大なストーリーの始まりのようですわね…。

博士:佐助は、高飛車だが美しい春琴という女師匠の元で、PLを会得するための修行を積んでおった。佐助は春琴を愛していたのだが、あるとき敵の手にかかった春琴が醜い姿に変えられてしまう。
 過去に例を見ない危機が佐助を襲う!!佐助の運命やいかに!!

夫人︰い、いかに?!

博士︰佐助はこの危機を乗り切るために自らの目を潰すことにした。するとどうだろう、とてつもなく強大なPLに包み込まれたではないか。ここに佐助の修行は完成を見たのであった。誰もが世界に平和が訪れたと思った。
 しかしその一方で佐助は、PLによって新たに手に入れた特殊能力・心眼を持て余していた。「この力いかようにすべきか」。そこでなんと佐助は、心眼によって裏世界を創造し、春琴までも召喚してしまう。目の前の春琴は、もはや心眼の餌食でしかなかったが、強大な力を手に入れた佐助にとってそんなことは些細なことでしかなかった。

夫人:佐助、やりたい放題じゃないの!まるでエスタークかデスタムーア※よ!(※いずれもドラクエシリーズのラスボス)

博士:さらに佐助は、侍女に「百舌屋春琴伝」という裏世界の冒険の書も記させ、現実世界は塗り替えられてしまったのだ!

夫人︰ダーク佐助、怖すぎる!!はて心眼、どこかで聞いたことがあるわねぇ?

博士︰『るろうに剣心』十本刀の宇水です。

夫人︰ジャンプ!!

博士︰それはさておき、この『春琴抄』、「百舌屋春琴伝」をもとに語られていましたよね?『春琴抄』を手にしたときから、私達も知らず知らずのうちに心眼が創り出した裏世界、つまり佐助が極めた観念世界に取り込まれていたのですよ…。

夫人︰だから、佐助、怖すぎますわよ!!もう何が真実かわからないわ。

博士︰そんな佐助のPLのお話、信じるか信じないかはあなた次第です。

参考文献︰『春琴抄』谷崎潤一郎著(新潮文庫)

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