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台湾代表を経てたどり着いたボストン大学。各国を渡り歩いたサッカー人生で気づいたこと

日本、台湾、アメリカの3カ国を渡り歩いた人生。桐光学園サッカー部出身で、台湾代表に選ばれた堀川祥哲さんにインタビューをしました。

喘息で苦しんだ高校時代や、高校卒業後からアメリカの大学に行くまで、さらに今の現状もお話ししていただきました。

諦めずに続ければ、結果は必ずついてくる

やめたくなるほど苦しんだ高校時代や、大学進学をせず台湾代表遠征を選ぶびアメリカの大学に進学するなど、人にはない険しい道を歩んだ堀川さんだからこそ説得力のある言葉だと感じました。

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Player!では、今年ラストシーズンを迎える学生の新たな挑戦を応援する「Be Player! PROJECT」を行っています。
プロジェクトの一環として、いろんな背景を持ちながらスポーツに関わる大学生たちに、「大学生から高校生へのメッセージ」をテーマにインタビューを行いました。聞き手もPlayer!でインターンをする大学生です。

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3カ国を渡り歩いた人生、自分の意志で編入したボストン大学

ー スポーツは今まで何をしてきましたか?

堀川:小学校1年生からずっとサッカーをやっています。

ー 今迄の経歴を教えて下さい

堀川:小1から小3が台湾で、小4から小6がアメリカのアラスカ、中1から中3で台湾に戻って、中3の後半から日本にいます。そこから高校卒業まで日本にいて、卒業後1年間はギャップイヤーと言って、私は学校に行かずサッカーと英語の勉強をしました。

ー 高校卒業後の状況を詳しく教えて下さい

堀川:塾で英語の勉強をしたり、サッカーは台湾代表としてインドネシアなどいろいろなところに遠征をしていました。高校卒業後すぐに大学進学しなかったのはこの代表遠征があり、学校と両立できないと思ったからです。

ー 今はどういう状況ですか?

堀川:今年の5月まではアメリカのメリランド大学に所属していたんですけど、今年の9月からボストン大学に転校することになりました。

ー 桐光学園卒業後、日本の大学に進学することは考えませんでしたか?

堀川:もともと日本の大学進学は考えていました。指定校推薦も考えていたのですが、自分の選んだコースが理系だったので理系で進学すると部活が厳しくなると思い、受からないと思いつつも文系で受験をしました。

ー その後アメリカの大学進学を決めたのはどのような経緯だったんですか?

堀川:もう1年待って再受験をするか、そのままギャップイヤーにして1月からアメリカの大学に行くか親と相談しました。アメリカは授業料が高いので悩んだのですが、スポーツで奨学金をもらえることがわかり、お金の面の問題も解決できたのでアメリカの大学進学を決めました。

ー メリランド大学選んだ理由は何ですか?

堀川:50校近く一気にメールを送ってその中で返信のあった学校を見て、勉強の面とサッカーの面を加味した上で交渉をし、アメリカで一番上のリーグであるディビジョン1に所属するメリランド大学を選びました。

ー 交渉というのは自分でやったのですか?

堀川:そうですね、私の場合は台湾代表監督にも手助けしていただいたんですけど、殆ど自分でやりました。人によってはエージェントを入れて交渉する人もいます。

ー アメリカ受験の勉強は大変でしたか?

堀川:最低のTOEFLスコアがあるんですけどそこはもともとクリアしていたので問題なかったです。しかし遠征もありSATやACTの勉強がちょっと大変でした。

ー 大学進学をせずギャップイヤーを選ぶということに対して不安や抵抗感はなかったんですか?

堀川:正直周りの同級生が大学に行っているのを見て不安や焦りはありました。けれど今となってみればよい選択をしたと思っています。

ー 次はボストン大学に編入した経緯を教えて下さい

堀川:自分が初めに入学したメリランド大学は私が入る前の2018年に全国1位になった強豪で、私はまだ1年生なのもあり、あまり出場機会がもらえませんでした。もちろん学年が上がれば出場機会はもらえるのですが、1年のうちから試合経験を積みたいと思い編入を決意しました。

ー アメリカの編入ってどういう感じなんですか?

堀川:アメリカにはトランスファーポータルというのがあり、転校を希望する選手がそこに登録しておくと、様々な大学のコーチたちからオファーが来るという風になっています。

私の場合はいくつかの大学からオファーがあったのですが、交渉の結果お金の面や監督の意気込みを聞いてボストン大学に決めました。

ー 将来はどうするか考えていますか?

堀川 将来プロになれればなりたいです。けどなれなければ、日本の会社に就職するつもりです。


本当にきつかったけど楽しかった高校時代

ー 一番きつかった時期はいつですか?

堀川:圧倒的に高校です(笑)。日本の高校の練習、走り込みは本当にきついです。他の学校はわからないですけど、今アメリカの大学でも走り込みをやっていますが、高校の方が断然きついです。

ー 今振り返ってみて桐光学園を選んでよかったと思いますか?

堀川:良かったと思います。クラスメイトが良かったのもあり毎日授業も楽しかったですし、サッカーも1年から3年まで喘息で苦しんだ時期もあったけれどその経験があって今があると思います。

ー 高校の時喘息でサッカーができない時期があったと思うのですが。やめようと思ったときはなかったんですか?

堀川:ドクターストップがかかった時、本当に苦しくてやめたいと思いました。しかし、中学のクラブチームの監督に相談をしたら続けた方がいいといわれ、お母さんにも治療しながら続けようと説得され続けました。

ー 高校の一番記憶に残っていることは何ですか?

堀川:1年の時の秋合宿ですね。本当に走り込みと食事がきつかったです(笑)。1日3部練習で、朝早く起きてご飯食べて走っての繰り返しでした。でも今思えば、練習はきつかったけどチームメイトと過ごした時間は楽しかったです。

諦めずに続けることが大事

ー 大学でも競技を続けるか迷っている高校生アスリートたちへ

堀川:自分はサッカーをやっていて本当に良かったと思うし、サッカーが無ければ今の人生はないと思います。なので私は部活に入れる環境にあるなら入った方がいいと思います。

部活に入れば目標ができるし部活の仲間は一生の仲間だと思うからです。おすすめはします。でも勉強も大事だと思うので勉強もおろそかにせず部活もがんばって欲しいと思います。


ー 最後の大会がなくなってしまった高校生たちへメッセージ

堀川:大会がなくなってしったり、なかなか部活ができない状況かもしれないけど、あきらめずに、次のステージに向けて自分ができることをして欲しいと思います。

今休むというのもいいと思うんですけど、今のうちに準備することが大事だと思います。諦めずに続ければ結果は必ずついてくると思うので諦めずにがんばって欲しいと思います。

ー ありがとうございました!

堀川祥哲さん
Twitter:@horikawa99hiro

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