人生のスタートラインに立てないということ【2015年】
貧しい人たちに対し、努力不足だと糾弾する人たちがいる。
生活保護を受けることや自己破産することを犯罪だと言う人たちまでいる。自己破産した人達を晒そうとホームページまで作った人もいる。
あるいは知性や発達に障害がある人達を圧力的に責め立て、何度も何度も謝罪させては追いつめるような人もいる。
どうしてそういうことをするのか分からないが、彼らはとにかく弱者は努力が足りないのだと言って人生のスタートラインに立てない人たちをバカにする。
そうやって攻撃する彼らは一様にこれといって驚くような成功はしていない。自分だって社会全体では弱い立場にいるのに、なぜ自分よりも弱い人を叩くのだろう。
見ていて悲しくなってしまう。
底辺育ちの俺もまた、かつて「努力」というスタートラインにすら立てなかった。努力という言葉の意味は何となく分かるけれど、それがどのように未来と繋がるか全く想像つかなかったからだ。
学校の勉強ひとつとってもそう。
勉強を毎日何時間もすることで、自分が将来どうなるのか教えてくれる人がいなかった。勉強を強制的にやらせるような親もいなかった。知能が低かったらしいが時代的に特別のケアはなく、学校ではイジメられ、家では虐待され、一日中誰とも話せない。
当然学力がない。俺は小学校の高学年まで九九が言えなかった。
俺の周りにもそういう子供が少なくなかった。
ある男の子のことを思い出す。
同級生に飲み屋で働く母親と2人で暮らしている子がいた。母親が日中は寝てばかりいるので、いつも1人で食事の支度をしていたんだが、ある日沸騰したお湯をかぶって大やけどを負った。小学3年生だというのに顔にひどい火傷を負った。
皮が引きつって醜い顔になった。でも母親はその子の心のケアもする気もなく適当に治療させて放置したまま。相変わらず子供に無関心だから、勉強なんて出来っこない。見た目の醜さから同級生の中には露骨に馬鹿にするやつがいた。
その数年後、いつものように母親が仕事に行った夜。
母親は客との色情のもつれからナイフで刺され死んでしまった。自分が家で一人眠っている間に、親は死んでしまったのだ。
その後、その子は転校していき25年以上も行方が分からなかった。
偶然というのはあるもので、そんな彼と大人になって夜の街で再会した。
もちろん外見では分からなかったが、違う同級生を通して、あの時のあいつだよと教えられた。
そうか、顔の大きな傷はあれかと。
彼はつまらない犯罪を繰り返し何度も服役するクズになっていた。盗みに、傷害に。きっと母親の親戚をたらい回されて育ったのだろう。
きっとスタートラインが何かすら今も分からないまま。
誰がこの男に知性や人の情を教えてやれるのだろう。そんなこと出来るわけがない。動物並に育ったのだから。
そして40歳を越えた今もまともな職業に就くこともなく、飲み屋の女の家に転がり込んで、女に嘘をついては金をせびる男になっているわけで。ガキの頃の火傷が目立つ貧相な顔をして。恨み言を抱え、しけた面をして。
火傷した顔を目深に被ったキャップで隠し、人目につかないように夜の闇の中で孤独に生きて、みんなに忘れられて、家の片隅で動物のように食事するだけ。かつては深く愛してくれた女がいたかもしれないけど、その価値も知らずに暴力をふるっては去られてしまったかもしれない。
まるで病的なまでに。孤独を自分に強いるように、自傷のように人を傷つけて。
俺もそうだった。
日本人はみんな最低限の文化的な生活してると思ったら大間違いだ。動物並みの生活をしてるいやつは、この現代だっている。
それでも他人を非難する厳しい人たちは言うだろう。そんなのは甘えだと。自分は違うと。自分は自分の力で這い上がったんだと。そう強がるだろうね。
でも、自分の力で本当にやってこれたのか。
スタートラインに立たせてくれる親や友達がいたからそんな偉そうなことが言えるのではないか。
俺もまた、自分の人生が自分の手に負えず毎日悲しい気持ちになって暮らしている。結局のところ、スタートラインに立ったことすらない。
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