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あなたの子供はギフテッドではない(2016年)

※2023.11に加筆修正


ギフテッドとは?

「ギフテッド」という言葉を知ってるだろうか。

Googleで検索をすると、こんな意味として出てくる。

「先天的に平均よりも顕著に高い能力を持っている人のこと、またその能力を指す。 その人物における高能力の傾向は誕生時から生涯にかけて見られる。 外部に対する世間的な成功を収めることではなく、内的な学び方の素質・生まれつきの学習能力を持つことを指す」

分かるような、分からないような、やっぱり分からない。曖昧な言葉だ。

実はこの「ギフテッド」という言葉は医学用語ではなく、メルヘンの用語だ。引き寄せの法則とかアレ系の言葉だろう。

文脈の中での意味は、高知能・高能力の先天的な障害者というニュアンスにで使われる。
この「障害者」という部分が重要で弊害も大きいのだが、この点については後述します。

ギフテッドの特徴(と言われているもの)


このギフテッド、特徴は次のように言われている。(どれも根拠は全くないので注意)

「高い道徳水準(あくまでも個人の正義)」

他人が不当な扱いやイジメを受けているのを見るのが耐えられない。抗議の行動に出やすい。しかし一方でSNSで正義の棍棒を振りかざす正義マンにもなりやすい。

「過集中」

寝ないで取り組む、自分を追い詰めるように努力する、集中力が数年に渡って持続する。

「権威に無関心」

相手の社会的ポジションも、自分のステイタスにも興味がない。昇進や肩書、賛辞に無関心。言い方を変えると無責任でもあり、自分の世界に執着する。

「敏感」

五感や感情への刺激に反応しやすい。匂い、温度、湿度、場の空気に敏感。度を過ぎた神経質とも言える。

「情熱を注ぎ込む対象が常に必要」

何もしないのは病気になるほど退屈になる。多動。

「思考力、想像力が磨かれている」

感心のある分野について深く広く考えている。ただしそれが偏見や思い込みであることもかなり多い。一部で知的であると評価されていても、専門家から見たら勉強不足が著しいため批判されやすい。

「表現する手段を持っている」

情熱的に取り組む表現手段を持っている。表現というと語弊があり、単なる趣味であることが多い。

「世の中の多くの人が興味を持つことに興味を持てない」

みんながそうしているから、というだけでは興味を持つことができない。言い方を変えると、みんなが関心を持って取り組まなければならない時に、歩調を合わせることができないとも言える。

「興味があることには著しく早く成長をする」

興味があることしかやらない無責任体質であるため、多くの時間を費やせるとも言える。よって他人よりも早く成長しているように見える。一方で興味がないことは一切の努力と責任を放棄するため、全く成長しない。

「マーベリック(一匹狼)」

言い方を変えると、協調性がない。独自のプロセス(自分勝手なやり方)でアプローチするため、集団での取り組みが著しく苦手。自分のノウハウを他人に教え、他人の成長(心・技)に貢献するという価値観がない。

「本質を見ようとする」

無責任さと無神経さを棚に上げて、自分勝手な意見を本質として発することが好き。他人は馬鹿、自分は本質を見抜いていると信じ込んでいる。権威に反発すると言えば聞こえはいいが、他人の気持ちを尊重して発言できない。

「社会的に孤立している」

当然のことながら、好かれていない。しかし周囲が大人になってくれるため、暴力を受けることはない。

「アンダーアチーバー」

知的能力や才能には恵まれていても、学力が低い。学校生活になじめない。

とまあ、こんな感じ。

それって発達障害なのでは。


医学上はこのような定義はない。メルヘンの言葉だ。

これらの特徴を呼んで気づく人も多いと思うが、何らかの発達障害やパーソナリティ障害で言いかえることが簡単にできるだろう。ADHDしかりASDしかり、自己愛性パーソナリティ障害しかりで。

生きづらい個性を持つ子供に対して母親が、上記の特徴に少し当てはまっているからと言って「うちの子供はギフテッドかもしれない」と思いたがるかもしれない。発達障害などで学校生活になじめない子のことをギフテッドと呼ぶことで、親は現実逃避が出来るだろうから。

残念ながらその子はギフテッドではない。才能があるように見えて才能ではないし、知性が高いように見えて無神経なだけだったりする。

発達障害で配慮が必要な子供に親が「才能」を期待したら、子供はみじめになるだけだ。
またギフテッドという甘い言葉は危うさも併せ持つ。

IQが200あるギフテッドとされた女性が、ブロックチェーンと紐づかない暗号通貨をネットワークビジネスとして売り、最終的にFBIから指名手配される騒動にもなったことがある。
本来の個性が持つ危うさを、ギフテッドという言葉で持ち上げ問題を放置すれば、子供自身がいずれ犯罪者となりかねない。
単なる詐欺師としてのギフテッド(天才)になってしまう。

ギフテッドが本当にいるとしたら

ギフテッドなるものが本当にいるとしたら、親はそれをどう扱うべきなのか。

そもそもギフテッドとして才能を開花させるためには、「親の配慮」など不要だ。親が我が子に「ギフテッド」であることを期待して勝手にレールを敷こうとしても、本当のギフテッドは凡人が敷いたレールなどお構いなしに自分の才能を爆発させる。コントロール不能なのだ。

制服を着ているから子供の創造性が発揮されない、学校が個性を重視しないから生きづらい、などと主張する大人が結構いるが、才能のある子どもは大人の管理など関係なく突き抜けていくだろう。

前述のように良くも悪くもだ。

ギフテッドとしか呼べない子供は、稀ではあるが確かに存在する。特に俺が生きている底辺社会、はっきり言うとポルノの世界では時々出現する。何をやっても上手くいかかった子が、ポルノの仕事では猛スピードで成長したりする。挫折は一度もなく、前年対比で売り負けたことが一度もなく何十年も成長し続ける。

彼らは子供の頃から劣悪な環境で育っている。いじめ、貧困、虐待の中で育っている。そのせいもあって「普通の」感受性をはぐくむことが出来ず、愛着障害などの心理的な障害も抱えていることが多い。発達障害の特徴も見受けられるが当然診断はされていないし、本人も診断を受けようなど思ってもいない。

彼らは思考や想像力を駆使してサバイバルしていて、ひどい飢餓感から「成り上がり願望」を持っていることもある。しかしその生き方は孤独そのものだ。
不良であっても権威に反発するタイプ(というか気配りや仲間との信頼関係の醸成ができない)なので不良グループで群れることもできない。

彼らは子供の頃から突出した才能の片鱗を見せている。
異常なほどの記憶力、クリエイティブな才能、言語能力、身体能力、思考力、モテること、高すぎるコミュニケーション能力、口頭表現力、などなど。
もっと言えば、その才能は親が望むものではないことが多い。 
親は障害のある子供にギフテッドとして、音楽家とかアカデミックな職業などに就かせたがるかもしれないが、本当のギフテッドはまるで変なところから飛び出す。
俺の周りに定期的に現れるのは、エロの才能が豊かな人間たちだ。自分の性欲を換金できる、エロをマネタイズする男女だ。

誰にも教えられたり大切に指導されたりしないのに、才能が勝手に爆発している。むしろ才能を制御できず、周囲への無神経な態度が災いして、いじめられたり、素行不良の子どもとして教師から目を付けられたり、友達が出来なかったりする。
彼らの才能は、青年期までに潰れていく。刑務所にぶち込まれた奴らも珍しくない。

ギフテッドが生き延びていくためには


ギフテッドがいるとしたら、凡人の親が制御できるものでは絶対ない。

そして多くは才能があっても、経済的に困窮したまま大人になってしまい、才能など捨てて細々と暮らすことになる。

それは自分を制御して論理的に成功に向かうことが困難だからだ。たとえば沢山の写真を生み出し続ける、明らかに才能のある男がいたとする。でも内面を表現し作品を作る才能があっても、それを「他人にプレゼンテーション」する能力がなければ一生、才能を換金することはできない。貧乏のまま終わる。

身近に自分の内面の才能を「交通整理」したり、「言語化」して理解を促してくれたりする知的なパートナーがいなければ、才能が毎日の生活の中にもぐり込んでしまって一生金銭的に成功できない。

ギフテッドの多くは社会性の欠如から、プレゼンテーションやセールスの能力が乏しいし、知的なパートナーがいても人間関係を壊してしまい協力を得られなくなっていることもある。

もし自分の子どもが、風俗店経営者としてのギフテッドだとしたら、親はそれに協力できるだろうか。難しいのではないか。ギフテッドというのは親が望む分野の才能とは限らないのだ。

ギフテッドではなく、障害のある子として


ギフテッドの養殖は無理だ。稚魚を社会に放流して、将来、川に戻って来たのがギフテッドと呼べる。それ以外はギフテッドじゃない。才能があるのかもしれないが、ギフテッドと認知してくれる人がいなければ、ただの潰れていった才能ある変人だ。
元からある才能が、感性や知性と共に磨かれていく環境がなければ、ギフテッドはギフテッドにはなれない。

多くのギフテッドなる人は成功しない。

引きこもりの息子がいつもPCにかじりついているからといって、「この子に将来IT起業させたい」とか言う母親もいるよね。それは無理ってもので。今何も生み出してないのにギフテッドを期待するのは、子供に酷ってものだ。社会的能力が低い子供に十分な支援を与えず、勝手にギフテッドを期待される風潮が一部であって、ちょっと怖いなと思っている。

多くのギフテッドは別に才能のある子供ではなく、発達障害や人格障害で配慮が必要な存在であるだけだ。ギフテッドという素敵なメルヘン言葉ではなく、障害というもっと現実的な言葉で配慮をしてあげる方がよっぽど優しいことだと思う。

必要なのは才能を期待することではなく、普通に社会生活を送れるスキルを身に着けること。自分でカレーライスが作れる、自分でsuicaにチャージをして遠くまで電車で行って帰ってこられる、挨拶ができる、人と仲良く話ができる、そういうことのほうがよっぽど幸せであって。

才能のようなものを潰してやることも必要


あるいは・・・本当にギフテッドだったとしても、時にはその才能を潰すことも本人のためなのかもしれない。風俗嬢として天賦の才能があってもね、正直言ってろくな将来はない。才能があってもその場所で変な人間関係を作ってしまい、将来悲惨なことになるくらいなら、才能を潰してやった方がいい。
ビッグマウスと高い知能によって大物の詐欺師となって、刑務所で青年期を過ごすことになるのなら、才能などない方がいい。

ギフテッドという言葉の持つ危うさ。
そこに親がしがみつくことで、子供をもっと悲惨な人生に導いてしまうかもしれない。

あなたの子どもはギフテッドではない。
そういう冷静な目線が必要だと思うよ。


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