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口伝えを語るということ その1

4月の初めに、阪急百貨店の北海道展のイベントとして
アイヌの昔話朗読劇を3日間行いました。
2018年にある企画で大阪大学のラボカフェにて
アイヌの昔話を朗読劇で上演したご縁がきっかけです。
その時にはじめて出会ったアイヌの物語は
私がよく知っている日本の昔話にはない野生的な魅力がありました。

その時に上演したお話の一部と要約をご紹介すると…
・「コタンカラカムイの人創り」…天地を創造したコタンカラカムイ(国造りの神・村の守り神)に頼まれて夜の神様が足もとの土をすくって柳の枝を背骨に、ハコベの葉を植えたところを頭にして人間の形を作った。そこでそのからだに「眠たい」とか「食べたい」とか、12の欲の玉を入れ込んだ。夜の神様がつくったのは全員男で、昼の神様がつくったものはみんな女だったので人間がだんだん増えるようになった。(要約)
・「あわて者の村長」…ふんどしを忘れたために、自分のモノの影に惑わされ、おばけと思った村長が棍棒でそれを殴りつけると、股間が痺れるように痛んでようやく自分のモノの影だったことに気づいた。(要約)
・「顔の取り違え」…狼神の子孫の女が神の子に嫁ぐ際、昔から世話をしてくれたおばあさんに途中、顔を取り違えられ、自分はおばあさんの顔になって二人で神の家に出向く。神の子はおばあさんと寝室に入ってはじめて娘ではないことがわかり、逃げ出したお婆さんを東に6回西に6回追い回したのちに首を切り、地獄へ蹴飛ばす。娘は顔を無事に取り戻し、二人は幸せに暮らす。(要約)

カムイや人が同じように悩んだり、悪戯したり、失敗しながら生きているお話は本当に興味深い面白いものでした。
ユカラの語り口は、「わたしは〜です」と名乗るところから一人称で語られ、
最後に、「と、狼神の子孫であるご婦人が自分の生涯についてユーカラしたのでした。」と三人称で終わるところも不思議な感覚でした。

今回の阪急の会場は大きな広場の吹き抜けのような場所でした。
後ろではソフトクリームが売られ、観客は出入り自由で北海道展で買ったものを食べながら気楽に見る、まるでストリートパフォーマンスのような場所です。

下見に来た時の会場の様子
北海道展では、この数十倍の人で埋まることはまだ知らない。


ここは言葉が抜けていきやすいために、あまりに複雑に込み入ったお話には向かない場所です。
何を語ればいいのかわからず、色々なアイヌのお話を読みすぎて疲れていました。
そんな中、アイヌ文化の研究者である中川裕先生の言葉に出会いました。

【アイヌのお話は語られることによってその都度完成していく】

これはテキストを読むことで育ってきた本好きな私にとっては大きな衝撃でした。
テキストがある以上は、それによって言葉が展開されるため、それに沿っていないことはまちがいとなります。けれどもアイヌのお話は口伝えのために、大まかなストーリーだけが決まっていて、あとは語るものがその場で完成させていくのだというのです。
語られるたびにその都度完成するお話
そう考えると、ステージの作り込み方も少し変わりました。
練習したことを間違わずにやる、ということではなく、その場その場でそれぞれが思いついたことをやれる自由さと、何がきても自分の役割を全うしてお話を進める精神的なタフさが必要でした。

作品は3日間の中の1日目と3日目を知里真志保さんの作品、中の2日目を知里幸恵さんの書かれたものを読むことにしました。
知里真志保さんは北海道の全土を回って採取したお話を、主に土地に言い伝えられているお化けのお話や、あの世とこの世の境目と考えられている洞窟にまつわる言い伝えを中心に、釜ヶ崎に住んでいる朗読に興味があると言ってくれたかずちゃん、しょうゆさん、そして久しぶりに村上さんにもゲストで登場してもらい、語ってもらいました。
しょうゆさんは普段は釜ヶ崎で働きながら時々ノコギリ演奏をいろんなステージでパフォーマンスされます。
かずちゃんは、ダンスが得意であちこちで踊っています。
村上さんは昔役者をしていたので、今や釜ヶ崎のパフォーマンスには欠かせない方です。
かずちゃんは初日から語りながら踊り出したりすることもあり、まさに即興で語りながら場を作って行きました。
しょうゆさんは大きな器でいつもおだやかな安定した声を出して支えてくれました。
そして村上さんは、お話をブレずに進める強さを持っていました。

しょうゆさんとかずちゃん
稽古は一回しかできなかったが、本番はばっちり!
踊りだすかずちゃん
こんなに踊るとはわたしも本番になるまで知らなかった
とても自由でのびやか!
何があっても大丈夫なむらかみさん


2日目の知里幸恵さんは「アイヌ神謡集」から抜粋してまとめてみました。
知里幸恵さんは19歳の若さでこの本を書き上げてから亡くなってしまうのですが、
文字を持たなかったアイヌのお話を19歳の知里幸恵さんが日本語になおして文字で記した意味はとてつもなく大きなものでした。
それは冒頭の「序」に書かれています。
最初はアイヌの自然溢れる風景を讃え、やがてそれらがアイヌだけでは守りきれなくなってきた悔しさや怒りを載せています。
アイヌ民族の人たちが当時背負わされていたものや日本の法律に追い詰められていった背景などを少し調べれば調べるほど背筋が寒くなる思いがします。
この「序」はそんな背景など何も知らなくても声に出して読んでいるだけで、背筋がピンと伸びるようなそんな言霊を持っていました。
これはフレル朗読劇団の女子部全員で読みました。
読みながら幸恵さんの言葉によってどんどん空気が澄んでいく感じがしました。

言葉を発していくとみんなのエネルギーがどんどん増していきました
最後のペナンぺ放屁譚で女子部も踊り始めます
男子部も負けていません
渋い!
つきぬけている!!


わ〜!!!!
きゃ〜!!!!
後ろで見守っているしょうゆさんのお顔もいい!
その場で声に乗って動きがどんどん出てきた!
今までにない声が出たり
表情がどんどん大きくなっていったり
何もない空間に山やコタンの村が出現し始めた!


   こまつシスターズ
「トヌペカランラン」沼貝たちの叫び
『水よ〜!」

最後はすべて共通して知里真志保さんの「パナンぺ放屁譚」で終わりました。
パナンぺが、ある時から小鳥の屁を出せるようになり、殿様の前でもひって評判になり、大金持ちになる、それを羨んだ隣のぺナンペが同じようにするが、失敗して殿様をゲリグソまみれにしてしまい、怒られて殴られたぺナンペは「これからは決して人を羨んではいけないよ」と言い残して死んでしまうお話です。
このパナンペとペナンぺのお話はたくさんあって、パナンペの真似をした悪いペナンペが失敗して最後に死んでしまいます。
ペナンペがお話のたびに何度も死んでは失敗を繰り返しやらかしてしまうところがなんとも人間臭く、3回とも是非ともやりたかったのでした!
くしくも会場はソフトクリーム売り場がたくさんあって、みんなそれを食べながら聞いてくれていた中、屁をひる話や下痢くそのはなしが大丈夫だったのかわかりませんが、皆さんニコニコして聞いてくださっていました。

場内は騒然としていますが、そんなことはもろともせず。やりきってくれました!

アイヌの昔話が持っているおおらかな雰囲気にのって、お客さんと共に即興の場を作っていった、多少言ってることがわからなくても、一生懸命声を出していることが伝わった、それでいい。そんなおおらかさを体験した三日間でした。

最終日は動きがどんどんお化け的に
おヘラヘラしてます
こっちもまけじとおヘラヘラ


相手の言葉をどんなふうに受け止めているか、表情に全て出ています
受け止めて、発する
この繰り返しに滞りがないとこんなにも即興の表現が豊かになる
とにかくやりきりました!

もう2度と同じことは再現できないこその場の力
声をともに合わせていく特別な時間でした。(岩橋由梨)

*写真は今回の企画者の本宮氷さんの撮影によるものです。
(下見と楽屋の写真は岩橋撮影)

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