名曲プレイバック 第7回 プレイバックPART2 前篇

唄: 山口 百恵

作詞: 阿木 燿子  作曲: 宇崎 竜童  編曲: 萩田 光雄

1978年(昭和53年) CBS・ソニー

 紅白歌合戦は今も昔も年末の風物詩である。その第1回(1951年)はラジオ放送で、年始に行われたというのはあまり知られていない。テレビ放送開始(1953年)とともに年末番組と位置づけが変わり、今に続く。長い歴史を持つ紅白歌合戦であるが、各組のトリへの注目もまた毎年熱いものがある。1978年(昭和53年)のトリは珍しく、というか史上初めての「大御所歌手ではないトリ」であった。時代の最先端を行くポップス歌手が務めた。白組は沢田研二、紅組は山口百恵である。この前代未聞の人選に驚く声もあったが、百恵は同時に未だ破られぬ記録を作った。後にも先にもない、10代でのトリである。1959年1月生まれの百恵が紅白のトリを務めたのは19歳と11か月のとき。その時の曲が《プレイバックPART2》であった。

 NHKでの《プレイバックPART2》はある問題があった。それは商標の問題である。公共放送としての役目を持つ以上、原則として商品の宣伝になるようなこと(コマーシャル)を行わないことになっている。料理番組等でラップや調味料のラベルを隠しているのはそのためだ。平野レミはこれにさんざん文句を言っている。現在ではかつてほど厳しくはないものの、やはり注意される。当時は歌の歌詞にまでもその影響があった。最も顕著な例が、かぐや姫の《神田川》である。2番歌詞の中に「クレパス」という言葉があるが、これがサクラクレパスの商標であるがために、紅白で歌う際に「クレヨン」に変更してほしいというものだ。この変更をかぐや姫側は拒否し、結果紅白出場は果たされなかった。百恵の《プレイバックPART2》ではポルシェという言葉が問題になった。百恵がレッツゴーヤングで歌う際は「真っ紅なポルシェ」が「真っ紅なクルマ」に変更された。無論、本来は紅白でもこの変更はされなければならない。しかし、百恵は堂々と「ポルシェ」と歌った。これに関して、百恵について『山口百恵―赤と青とイミテイション・ゴールドと―』(朝日新聞出版、2012年)を著した中川右介氏はその中で「全国をネットワークする放送局とも対等にわたりあった」と評している。

 さて、《プレイバックPART2》について記すには、どうやらこの1回では足りないようである。歌そのものに関しては、後篇に回そう。

(名曲プレイバック 第8回 プレイバックPART2 後篇へ続く)

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