名曲プレイバック 第9回 越冬つばめ
唄: 森 昌子
作詞: 石原 信一 作曲: 藤原 義彦 編曲: 竜崎 孝路
1983年(昭和58年) キャニオン・レコード
ヒュルリ ヒュルリララ
随分キャッチ―なフレーズだ、と思ったのはいつの日か。一時期カップ麺のコマーシャルで「チュルリ チュルリララ」と替え歌にされたのが懐かしい。このような語の近いものをよくぞ見つけたと思ったもんだ。名曲というのは、替え歌としても一級品になる。
さて、冒頭に示したサビの一節。この描写は一体何だろうか。
つばめの声だろうか。いやつばめではないだろう、つばめはこう鳴かない。
風だろうか。冬の冷たく厳しい風。淋しい景色が脳裏に浮かぶ。所謂擬音語なのだろう。
冬を題材にした歌は数あれど、この曲はその中でも圧倒的人気と質の高さで評価が高い。
「娘盛りを無駄にするな」という男に、報われないと知りつつ抱かれる女。つばめはおよそこの男の比喩だろう。冬には南下するつばめだが、はぐれてしまい冬を越す越冬つばめ。ふらりふらりととび行くつばめと女のもとを転々とする男が重なる、ということか。禁断の関係にある男女。その許されぬ愛は、二人にとっては、あるいはその瞬間だけは純愛なのかもしれない。どこかで男を疑い、どこかで男を信じる女。男はそんな苦悩を知らない。むしろ「忘れてしまえ」と言う。男は非情だ。そんな男でも、自らを「ききわけのない女」ということで擁護しようとする。どうしてそこまでできるのか。男と女の恋愛への感覚の違いだろうか。
この歌は不倫の歌。2016年は序盤から芸能界を揺るがす事件が多くあったが、不倫も多く報道された。不思議なもので、不倫となるとこの日本という国、とりわけ芸能界では女を責める。男を誘ったとでもいうのか。たまたま昨今の報道で上がる話題で、より有名なのが女だったからともいえる。でも、おかしい話だ。片や謹慎、片やのうのうと活動。その活動していた男は再びの報道でやっと謹慎になった。「ききわけのない女」と自らを呼び擁護されるだけの男なんざ、男としてどうなのだろうか。人間としてどうなのだろうか。
越冬つばめ。季節を背いたつばめ。そのつばめは世間も女にも背を向けた。それでも女はついていこうとする。疑いながらも。亡骸になるならそれでもいいと覚悟する。それでもつばめは背を向けたまま。
男とはそういうものなのかもしれない。
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