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「恵比寿の根本は下町だ」ービールとまちづくり前編ー

渋谷といえば、スクランブル交差点。そうイメージする人も多いけれど、それだけではない。原宿・表参道・代官山・恵比寿・広尾・代々木・千駄ヶ谷・上原・富ヶ谷・笹塚・幡ヶ谷・初台・本町、これぜんぶが渋谷区なんです。
『#LOOK LOCAL SHIBUYA』は、まちに深く関わり、まちの変化をつくろうとしているローカルヒーローに話を聞いて、まちの素顔に迫る連載です。
 
ササハタハツの次に特集するのは、恵比寿。おしゃれで落ち着いた大人のイメージがある恵比寿ですが、もともとは商店街と祭りとビール工場のある下町情緒の漂うまちでした。今回はサッポロビールの萬谷浩之さん、恵比寿新聞の高橋賢次さんを招いて、これまでとこれからの恵比寿について、愛情たっぷりに語ってもらいました。

恵比寿は渋谷区への帰属意識が低い?

恵比寿新聞・高橋賢次(以下高橋):もともと恵比寿にはサッポロビールの工場があって、工場のまちだったと聞きます。そのビール工場で、ヱビスビールをつくっていたんですよね?
 
サッポロビール株式会社マーケティング本部 萬谷浩之(以下萬谷):はい。恵比寿では最初からヱビスビールをつくっていました。1889年に工場ができて、1890年から漢字のほうの恵比寿ビール、1894年に恵比寿黒ビールをつくりはじめました。
 
渋谷区観光協会・金山淳吾(以下金山):つくっているものが地名になった事例は珍しいですね。
 
萬谷:そうですね。サッポロは逆で、札幌という地名があってそこで作られるビールが後にサッポロビールとなりました。
 
金山:サッポロビール株式会社は、ベンチャーの先駆けだと思うんです。多くの人がビールというものを知らない時代に、ビールで一旗揚げてやろうと立ち上がった会社ですよね。創業時から受け継がれているフロンティアスピリットを感じます。
 
萬谷:恵比寿というまちでヱビスビールが生まれて、札幌でサッポロビールが生まれて、1906年に当時の日本麦酒、札幌麦酒、大阪麦酒3社が合併してできた「大日本麦酒株式会社」が、現在のサッポロビールの前身です。会社の源流で言えば、サッポロビールの歴史は北海道の開拓史と重なります。今でも、「開拓する」というのは社内の一つのキーワードになっていて、社員の全ての行動の基礎に開拓精神があります。

明治30年代のヱビスビール醸造場(写真提供:サッポロビール株式会社)

高橋:恵比寿というまちの開拓にも、サッポロビールの「開拓する」というキーワードが深く関わっていると思います。
 
金山:長谷部(健)区長は、恵比寿ガーデンプレイスは渋谷区内の最高の都市開発成功事例だと話すんです。恵比寿ガーデンプレイスが立ち上がったことで、まちの空気が変わり、まちの価値も変わったと。
でも、開業までには反対運動が起きた話も聞きます。今の僕から見たら、ビール工場のある下町よりも恵比寿ガーデンプレイスのあるまちのほうがハッピーなイメージを持つのですが……。
 
高橋:恵比寿駅東口から恵比寿4丁目エリアの恵成商店会は、もともと恵比寿ガーデンプレイスの開業に反対する商店会でした。恵成商店会には魚屋さん・お肉屋さんなど暮らしに密着した商店があり、恵比寿ガーデンプレイスができることで商圏が奪われるという危機感から、開業反対の座り込みをした歴史があります。
 
歴史の一部として、開発側・地元側のディスコミュニケーションはありましたが、今は融和してきています。近年は、開発側・地元側に関わらず、みんなでまちを盛り上げる立場をとるようになってきました。意識が変わるきっかけは『恵比寿麦酒祭り』(2022年から『YEBISU BEER HOLIDAY』に名称変更)だと思います。恵比寿麦酒祭りは、いわばサッポロビールの感謝祭です。
 
金山:僕は今44歳ですが、僕らの世代は恵比寿ガーデンプレイスがある恵比寿しか知らないんです。だから、恵比寿といえば『住みたい街ランキング』の上位にいて、憧れのまちというイメージがあります。

渋谷区観光協会・金山淳吾

金山:正直に言うと、僕は東京に引っ越すまで恵比寿が渋谷区にあるイメージはありませんでした。原宿もそうですが、多くの人にとって原宿は原宿、恵比寿は恵比寿であって渋谷区の原宿・恵比寿というイメージは持っていないのではないか。萬谷さんは、恵比寿ガーデンプレイスを中心に文化圏が形成されている中で、「自分たちは渋谷区の一員だ」という認識はありますか?
 
萬谷:働いてる私たちの住所に渋谷区とついていますから、渋谷区の中で働いている認識はあります。ただ、何年か働いて渋谷区の一員という認識になってくるのが実感です。「どこで働いているの?」と聞かれた時に、やっぱり恵比寿という言葉は強くて、「恵比寿で働いている」と話すことが多いです。
 
金山:恵比寿で働く人や住んでいる人など、恵比寿に帰属意識を持ってる人たちは、「渋谷にいる」とは言わない気がするんです。渋谷区へのシティプライドと、恵比寿という文化圏へのシティプライドは全く違うだろうと想像しています。
 
萬谷:我々が最初に意識をするのは恵比寿ですね。ビールの名前が地名になった歴史があるし、過去には我々が恵比寿のまちでモノ造りをしてきた事実もあります。そして今も、まちの人たちと一緒に活動していきたいという意識を持っている。
一方で、渋谷区となると規模が大きくて……世界から見る渋谷という感覚があります。渋谷に対しての我々の意識は、「恵比寿」と比べると少し薄いかもしれません。

地価高騰とコロナ禍を経て、
変化の真っ只中にいる恵比寿

金山:渋谷と比べることで恵比寿のまちの理解が深まると思うので対比しますが、渋谷は人生のどこかで「卒業しなきゃ」という気持ちがよぎるんです。大学生から社会人1年目ぐらいまでは渋谷で遊ぶけれど、2年目以降に「そろそろ渋谷は卒業したほうがいいのではないか」と考えはじめる。恵比寿は渋谷から卒業した先にあるまちで、大人の階段の一歩目を踏むまち・扉をノックして背伸びしていくまちのイメージがありました。今は渋谷と恵比寿の境界線は無いのでしょうか?
 
高橋:もともと恵比寿は下町です。まちにいると、脈々と流れている下町気質を感じます。祭りが多くて神輿も盛んで、まちの根幹は下町なんです。恵比寿は下町気質の根底を持ちつつ、上モノがどんどん洗練されて変わっている感覚があります。そして、上モノが変わることで、まちにいる人の年齢層や雰囲気も変わっていく。20年ほど恵比寿のまちを見ていて感じるのは、15年前までは背伸びをして入る店が多かったけれど、今は若い世代が流れてくるまちという印象を持っています。
 
金山:それでも、恵比寿のお店はフラッと入るよりも、きちんと調べて入る飲食店が多い気がします。それに、恵比寿には美味しいお店がたくさんありますよね。僕は、渋谷区の食文化を担保しているのが恵比寿だと思っているんです。でも、「渋谷には美味しい店がない。美味しい店に行くなら港区だ」と言われてしまう。実際には、渋谷駅から恵比寿に向かってグラデーションで美味しいお店が増えていく印象があるのですが……。
 
高橋:たしかに、恵比寿には個人経営の老舗の飲食店がたくさんあります。一方で入れ替わりは激しくて、ステレオタイプに「恵比寿にあるのはこんな店」と言えないほど変動しています。
例えば、東京のトレンドの象徴として渋谷にタピオカの店ができるけど、実は恵比寿にもタピオカ店ができていて、その後にスムージやチャイを出す店に入れ替わっています。恵比寿はテストマーケティングのまちとも言われていて、「恵比寿で一発当てたら全国へ行ける」というジンクスがあります。見方を変えれば、そんなジンクスがあるほど恵比寿は飲食店にとって難しいまちなのかもしれません。
 
金山:恵比寿というまちは食産業を担いながら都市開発をした経緯があるから、良い飲食店を増やそうという戦略があったと思うんです。
 
萬谷:そうですね。ヱビスビールは当初から価格が少し高かったので、「プレミアムなものを届ける」という意識が強かったんです。お店に卸す時も、普段では食べられない料理とビールをセットにする戦略をとっていました。空間も含め、上質なものを届けようというプランでやっていました。
 
金山:少し乱暴ですが、言い切ってしまうと、恵比寿には文化の薫るまちのイメージが定着しています。恵比寿のまちづくりにおいて、文化の薫るまちと言われることは誇らしいけれど、地価がこれだけ上がると大型フランチャイズ店しか参入できない。特にコロナ禍で、年齢層が高めの常連さんが支えているような「いつかは行きたい店」「あの店に行ける自分になりたい」という恵比寿の文化を担っていたような店が減ったのではないでしょうか。最近は、気が付いたらタピオカの店になっていたりする。近年の恵比寿は、どんなふうに変化していますか?
 
高橋:まず、コロナ禍で感染リスクの高い年配の方が減っていきました。恵比寿で働いている人は推定で14万人ほどですが、テレワークがはじまってから恵比寿に出社しなくなっています。そして、最近は客層が若くなっていて、たくさん飲める安いお店が増えています。高価格帯の店舗は、正直なところ厳しい。まちが変化していく渦のど真ん中にいる実感があります。

恵比寿新聞・高橋賢次さん

高橋:歴史的に見ると、以前は恵比寿にサッポロビールの社員寮がたくさんあったそうです。(渋谷区立)加計塚小学校に通う生徒の3分の1はサッポロビール社員のお子さんだった時期もあったそうで、会社と生活と地域が一体になっていた時代がありました。
 
萬谷:当時は工場開放デーといって、まちの皆さんをビール工場にお招きするイベントがありました。大人にはビールを、お子さんにはリボンシトロン(レモン風味の炭酸飲料)をご提供していました。
 
高橋:今は、工場開放デーの想いが『YEBISU BEER HOLIDAY』に引き継がれています。40代後半以降の方たちは、子どもの頃に工場でリボンシトロンを飲んだとか、親父が工場開放デーでドンチャン騒ぎしていたと話されます。当時の住民にとって、サッポロビールはすごく近い存在だったようです。
 
近年は社員寮がなくなり、恵比寿の人たちとサッポロビールが乖離した状態でした。それが最近になって、ヱビスビールと料理のペアリングイベントを開催したりして、徐々に一緒に何かやると面白そうだという雰囲気になってきています。恵比寿というまち側からハッキリ言ってしまえば、サッポロビールや恵比寿ガーデンプレイスは観光資源なんです。

ブルックリンにブルックリンラガーがあり、コペンハーゲンにカールスバーグがあるように、恵比寿にはヱビスビールがある。飲食店の目線で考えれば、ヱビスビールは恵比寿に来てもらうきっかけになりえる。大きなチャンスがあるのだから、今みんなでスクラムを組んで取り組んでいこうとしているところです。

”プレミアム”の価値を捉え直して、
次の恵比寿を考える

金山:萬谷さんは、「プレミアムなものを届ける」をキーワードに動いてきた主体者として、変化をどう感じていますか?
 
萬谷:プレミアムという価値観も含めて変わってきたと思っています。ヱビスビールは、割烹や和食店で出すビールとして成長しました。20年以上経った今も変わらないイメージを持っていただいていますが、お客様の「プレミアム」の捉え方は変化しているように思います。

サッポロビール株式会社マーケティング本部・萬谷浩之さん

萬谷:大きな格の差をプレミアムとするのではなく、暮らしに身近なものを「プレミアム」と捉える感覚に変わってきたように感じます。一緒にいる人や過ごす時間が、「プレミアム」になりえるという感覚です。この状況下で、ヱビスブランドとのギャップが生まれているのではと考え、コロナ禍の前から日常に寄り添った「いつもよりも少し良い時間・幸せな時間」を届けたいと思っていたんです。
そこにコロナ禍がきて、旧世代の持っているプレミアムの価値観が、モノを選ぶスコープから一気に外れた。次の世代のヱビスブランドは、格の差に価値を見出すのではなく、居心地のいいモノや空間で、普段よりも少し良い時間を求めるバランス感覚を大切にしたいと思っています。
 
金山:まちに関してはいかがでしょうか? これまでは、プレミアムなものを愛するまちをつくろうとしてきました。今は時代が変わって、必ずしもプレミアム=高級志向ではなくなってきています。安くて味しいものがプレミアムにもなりえる状況で、次の恵比寿のまちのキーワードはどんな方向に向かっていくのでしょうか?
 
萬谷:不動産事業では、大人のまちとしての上質さは保ちながら、よく生きるという生活を充実させていくことを目指しています。何かに上下をつけるのではなく、インフラを含めて生活しやすく居心地のいいまちを掲げています。
ヱビスブランドが求めていく上質さは、肩肘張ってカッコよくあるという価値観も含まれていいのですが、これからは心の豊かさや安心感といった方向に広げていきたいと考えています。恵比寿というまちにも、そんな空間が増えるといいと思っています。
 
金山:まちのキーワードは、ただカッコいいコピーがドンときても、共感されないと空振りすると思います。例えば、個人的に渋谷の中心エリアがどうなってほしいかというと、何が飛び出てくるかわからないワクワク感を、みんなが感じてくれるといいなと思っています。

シンプルだけど、「もっともっと、このまちでみんなをワクワクさせよう」というコピーに共感性を持たせられたら、チェーンのカフェやレコードショップ、インテリアショップも、わくわくする中身にしようとするはずなんです。渋谷には、この視点が抜けていると思います。

金山:一方で恵比寿は、まち全体がプレミアムというプライドを持っていると思います。良いサービスをする良い店にするなら恵比寿に出店しよう。恵比寿で成功したら、成功事例が品質担保の証になってステップアップができるというまちになっている。
 
そして、次です。プレミアムから次の時代にシフトしていこうとする時に、何を担保するのか。みんなで何を目指すのかということだと思うんです。「幸せを目指す」と言ってもざっくりしすぎていて、横丁文化が残っていることを幸せと思う人もいれば、上質な空間がないと幸せになれない人もいて、幸せを軸に分断してしまう。こう考えていくと、高橋さんが言った恵比寿に来てもらうきっかけのヱビスビールは良いと思うんです。ビールをきっかけにして、まちに様々な人を迎え入れるようなホスピタリティサイドの言葉でキーワード化するのがいいのではないかと思います。
 
高橋:そうですね。ホスピタリティを感じるキーワードをもって、サッポロビールを中心にコミュニティ化していくと面白くなると思います。
 
萬谷:恵比寿というまちは、新しく入ってきた方とずっと暮らしている方がいて、まちが一色に染まっていないと思っています。これをまとめていくキーワードがあるといいですね。そうして、できる限り多くの人たちと一緒に見られるビジョンがあるといいなと思います。
 
金山:一つヒントになりそうな事例を思い出しました。前職で、代々木VILLAGEという商業施設をつくったのですが、立ち上げで注力したのが代々木を感じさせないということでした。

金山:代々木には代々木ゼミナールがあります。代ゼミに行く人たちは受験で悔しい思いをした人たちで、代々木は二度と行きくないまちになっている人がたくさんいます。だから、代々木VILLAGEは森のような空間をつくって、代々木駅周辺にたくさんあるようなフランチャイズではない飲食店を入れて、代々木を感じない施設にしました。

代ゼミに通った人たちも、代々木VILLAGEに入って時間が経つと、代々木にいることを忘れるような場所になったらいいという思いがあったんです。代々木の余白に何を掛け合わせるのかを工夫していけば、代々木のポテンシャルは上がると思っていました。
 
逆に、恵比寿というまちは恵比寿を感じたほうがいいんです。であれば、すでに自分たちが持っているハード・ソフト・ホスピタリティでどんな価値を提供できるのかを考えるといいと思うんです。僕は、まちづくり・都市戦略の話をする時に、まちにいる人の状態が大事だと考えています。人の状態というのは、受動的にまちにいるのか? 能動的にまちにいるのか? ここからは、お二人と恵比寿にいる人の状態についてお話していきたいと思います。
 
>>後編はこちら


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