「恵比寿の根本は下町だ」ービールとまちづくり後編ー
渋谷といえば、スクランブル交差点。そうイメージする人も多いけれど、それだけではない。原宿・表参道・代官山・恵比寿・広尾・代々木・千駄ヶ谷・上原・富ヶ谷・笹塚・幡ヶ谷・初台・本町、これぜんぶが渋谷区なんです。
『#LOOK LOCAL SHIBUYA』は、まちに深く関わり、まちの変化をつくろうとしているローカルヒーローに話を聞いて、まちの素顔に迫る連載です。
ササハタハツの次に特集するのは、恵比寿。おしゃれで落ち着いた大人のイメージがある恵比寿ですが、もともとは商店街と祭りとビール工場のある下町情緒が漂うまちでした。今回はサッポロビールの萬谷浩之さん、恵比寿新聞の高橋賢次さんを招いて、これまでとこれからの恵比寿について、愛情たっぷりに語ってもらいました。
>>前編はこちら
恵比寿には、昼の顔と夜の顔がある
渋谷区観光協会・金山淳吾(以下金山):例えば前職で携わった代々木VILLAGEの例では、代々木というまちを感じさせないことが場のポテンシャルを上げるポイントでした。一方で、恵比寿はまちを感じたほうがいいと思います。僕は、まちづくり・都市戦略の話をする時は、まちにいる人の状態が大事だと考えています。まずは、この状態についてお話させてください。状態というのは、受動的にまちにいるのか? 能動的にまちにいるのか? ということです。
渋谷は多くの電車が乗り入れていて、オフィスが集積しているまちです。要は、受動的に人が集まっているまちなんです。働くため、通学のために必要だから渋谷に来ているし、以前は乗り換えのために渋谷で降りないといけない人が多くて、それが渋谷が発展した大きな要因だと思います。
一方で、恵比寿はどちらかというと能動的に来るまちで、昼の人口よりも夕方以降の人口のほうが多い印象があります。個人的にサラリーマン時代を振り返れば、恵比寿はデートや合コンをするまちだった。
今の恵比寿はどうですか? 人は能動的に恵比寿を訪れているのか? 受動的にまちに来ている人たちが、恵比寿のプレミアム感や下町感にどう関わっているのか? 恵比寿にいる人々の状態とプレミアム・下町の相関があれば知りたいです。
恵比寿新聞・高橋賢次(以下高橋):恵比寿の飲食店は、働いている人たちが食べに行くにしては価格が高い印象です。今の恵比寿で働いている人たちは平均年齢が低くて、東京都の平均年収からマイナス50万円ぐらいだと推定しています。恵比寿で働いている人たちは、夜は家に帰って食事をする。一方で、夜の恵比寿を目がけて来る人たちがいて、夜の恵比寿の顔と昼間の恵比寿の顔は違います。
高橋:もう一つ印象深い話があって、コロナ禍でサッポロビールの皆さんがテレワークになり、恵比寿に来なくなりました。コロナ以前は、店とサッポロビールの社員さんが互いに顔見知りになっていたから、コロナ以降に「あの社員さんが来なくなった」という情報をまちで聞くんです。サッポロビールの社員さんが、まちにお金を落としていたことがわかる印象的な話です。
サッポロビール株式会社マーケティング本部 萬谷浩之(以下萬谷):社員みんなでまちを回ってほしいと思って、前任のエリア担当と一緒にサッポロビール社員のグループLINEをはじめたんです。最初は3人ではじめて、恵比寿の飲食店の情報を上げていたのですが、どんどん人数が増えて今は500人のグループになっています。
金山:ほぼメディアですね(笑)。
萬谷:はい(笑)。グループLINEの人数上限が500人なんです。新しい人が参加できないから、転勤した人に泣く泣く退会してもらって500人です。新しくオープンした店の情報以外に、コロナ禍でランチやテイクアウトをはじめた店や、店長に挨拶したらこんなサービスをしてもらったという情報まで、投稿される内容はさまざまです。一方で、会社名を名乗らずに、飲食だけしてくる奥ゆかしい社員もけっこういます。僕は、それはもったいないと思っていて、ぜひ社名を名乗って縁を深めてほしいと思っています。
高橋:そうなんです! サッポロビールの皆さんは、名刺を置いていくんです。恵比寿らしい風景だし、きっと恵比寿にしかない風習だと思います。
金山:なぜ、そんな風景があるのでしょうか?
高橋:サッポロビールの社員の皆さんは、恵比寿というまちにおける大きな責任を感じているのかなと思います。一方で僕たちも、恵比寿はサッポロビールの城下町だと感じる部分があります。
1889年にビール工場ができて、最初は馬車で荷出しをしていたけれど、出荷するビール樽の量が徐々に増えていった。そのビール樽を運び出すために、恵比寿停車場という駅ができたんです。やがて工場に出入りする人が増えていき、旅客用の恵比寿駅が生まれて、その後に恵比寿という地名になりました。このあたりは今でも昔からの住人がたくさん住んでいますが、馬屋のお子さんが多いんです。おじいちゃんがビールを運ぶための馬を飼っていたと言うんです。
歴史を見れば、サッポロビールの皆さんは脈々と恵比寿というまちに特別な思いを抱いてきたのだと感じます。
恵比寿を愛する人たちを、どう呼ぶか?
金山:企業城下町という言葉があります。例えば、渋谷は東急の城下町と言われることが多いです。東急はフルディベロッパーで商業から文化事業まで手がけていて、これからはDXにアクセルを踏んでいくところです。恵比寿で21世紀型のまちを考えるときに、サッポロビールグループはDX・スマート化・テクノロジーの実装をどう考えていますか?
萬谷:グループとしては、ITを含め新しいビジネスを起こしていきたいという考え方があります。例えば、もともと飲食をやっていた場所を、コワーキングスペースやスタートアップ関連の場所にしています。我々がそのインフラを使って何かをするというよりも、インフラを使いこなすプレーヤーの皆さんをお呼びして新しいものをつくっていこうという動きがあります。
ビールの側面から見ると、これまではお客様との接点が飲食店の中にありましたが、これからはもっと広いコミュニティの場をつくっていく必要があると思っています。年に一度の「YEBISU BEER HOLIDAY」もそうですが、もっと大小さまざまな取り組みをして、我々がハブになってコミュニティが生まれていくかたちが実現できないかと考えています。
金山:コミュニティづくりといえば、高橋さん!
高橋:今は『YEBISU BEER HOLIDAY』というビール祭りがあります。そこから一歩踏み込んで、昔のように恵比寿の住民とサッポロビールの皆さんが一緒になって、お客さんをまちに迎えるような仕組みがあると面白いと思います。
僕がコミュニティづくりで大切にしているのは、「共に汗をかく」ということです。そうすると、境界線が無くなっていく実感があります。一般的には、ビール祭りのような催しはイベント会社に依頼するのだけれど、それを恵比寿のみんなで作り上げてみる。実現できれば、とても大きなコミュニティになると思うんです。
金山:『YEBISU BEER HOLIDAY』はサッポロビールが主体で、まちの人たちはお客さん側にいるのですね?
高橋:そうですね。サッポロビールさんが、まちの人や外からくる人たちに振る舞う構図です。また、恵比寿で行われる盆踊りでは、サッポロビールさんとして出店してもらっています。町会や小学校が出店するように、サッポロビールさんにも一つのパートを担っていただいています。
萬谷:まちの行事の関わりかたで言えば、今の我々はお客さんになっているのでは? と感じています。もともと私たちのビール造りから、恵比寿というまちが発展してきた部分がありましたが、工場を閉鎖して恵比寿ガーデンプレイスができた頃から、恵比寿というまちは自走しはじめました。まちがどんどん先にいって、サッポロビールはその中にある会社になってしまっているのでは、という課題感です。もう一度、我々はお客さんではなく、まちの皆さんとサッポロビールが、フラットな関係で一緒に取り組んでいけるようなパートナーになりたいと思っています。
金山:実現のためには、共通の利益や共通ビジョンがあるといいですね。
高橋:それが、「ようこそ恵比寿へ」とお客さんをまちに迎える共通マインドだと思うんです。実際に、外からのお客さんを出迎えるまでには大きなストロークが必要です。何が必要なのかを、一緒に考える時間をつくらなければいけないと思います。
現在進行形で大きく変わろうしている恵比寿というまちで、様々な課題も認識しつつ、残していきたい良い部分などもサッポロビールさんと共有しながら話していきたい。イベントでもいいのですが、まちの人たちが「ヱビスビールは恵比寿のものだ」という意識を持つことが大切で、その気持ちを醸成する必要があります。そのために、みんなで一緒に汗をかくことは一番近道だと思うんです。
金山:ニューヨークを愛している人たちはニューヨーカー、パリはパリジャン、渋谷なら渋谷系。では、恵比寿を愛する人たちの呼び名はあるのでしょうか?
高橋:呼び名は決まっていないですね。
萬谷:いずれ、その呼び名が立っていくといいですね。
金山:ネーミングが可愛くて、呼ばれることに誇りを持つようなマインドになっていくといいですね。そうすると、外の人たちに「恵比寿ウェルカム」という気持ちで向き合える。
高橋:おそらく、呼び名がバチッとハマった時に、恵比寿というまちが一気に動き出すだろうと感じています。
金山:呼び名があった方がいいというコンセンサスが取れるなら、みんなで考えるところからスタートすればいいんです。その呼び名が、サッポロビールから降りてくるのは違いますよね。
高橋:だからといって、公募するのもナンセンスだと思います。自然発生的に生まれていくといいなあ。
金山:30〜40代の恵比寿ガーデンプレイス世代は、生まれた時から上質な価値観の中で育って、プライドを持って恵比寿に住んでいる人たちだと思います。この世代から一緒に取り組んでいくのはどうでしょうか。それより上の世代は、呼び名が社会的に広がってから一緒にやっていくほうが、全体の動きが早くなりそうです。
高橋:僕は、その対比が面白いと思っているんです。昔ながらの下町先輩と洗練されたアフターガーデンプレイス住人が混在しているところに、恵比寿の面白さがあると感じています。
みんなが車座になって話せるコミュニティが、これから立ち上がっていくと思います。今も点で散らばって立ち上がっているんです。だから、そろそろ点を結んで一つの場になる時がくると思います。恵比寿というまちはハードを持っているのだから、あとは投票制民主主義的にみんなが何をつくればいいのかを決めればいい。「恵比寿ウェルカム」のポリシーで、たくさんの人たちの話し合いが行われるまちになるといいなと思います。
金山:最近、成田悠輔さん(経済学者。単著に『22世紀の民主主義 選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになる』[2022年/SB新書]がある)と話す機会がありました。成田さんは次の新しい民主主義を考えている人で、とても面白い話題が出たので紹介しておきます。残存余命年数でウエイトをかけるという民主主義の話なんです。
日本は年功序列社会で、昔のことをたくさん知っている人が偉いことになっているけれど、状況を変えたいのに昔のことに固執する人たちの票が重いのは逆ではないか、と言うんです。平均余命から考えて、残り余命が5年の人より残り40年の余命の人のほうが変わった後の時代を生きる人たちだから、後者のウエイトを重くするのはどうかと。
この先は僕が思いついたことですが、平均余命を超えたスーパーマン・スーパーウーマンは再びウエイトを重くするのはどうでしょうか。最後の最後、命が終わるときに何を残して終われるかという話にもつながると思います。
高橋:面白いですね。その話を試せるシーンはたくさんありそうです。
今回じっくり話をしてみて、まちの独立性って本当に面白いなと思いました。おそらく、広尾の人は自分たちのまちを恵比寿だと思っていないんです。それぞれにまちのプライドがあって、プライドが一つずつ形になっていくと面白いと感じました。
これからは、まちを形づくっている組織も変わってくると思うので、組織同士がアメーバー状態になって横のつながりを持てるといいですね。その時に、つながりを保つための共通項は何だっけ……と、ずっと議論し続けていくことが必要なのだと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?