心で話す人と付き合う
介護職員のお婆ちゃんがいらして、新人さんが入って来ると必ずいびっている。
私が新人の頃は、ある方法で回避したので、途端に「仲良くしようよ。」としおらしくなっておられたので逆に可愛い人だなと思えていたのだが。
改めて他人様にやっていることを観ているとどうにも気分が悪くなる。
当時は派遣だったが今は責任者なので「あの人がこんなことをして来ます。」とあらゆる人からの苦情が自分に来るようになった。
うーん、まだそんなことしているのか?という話どころではない。新人全員にかなり気分が悪くなるようなことを言ったりやったりしている。
しかし5人1人くらい、私のように例外になる人もいる。つまりはいびられない人。
それはどんな人か?というと、ハッキリと「そりゃ矛盾した話だね。」と言う人や、人に言うほど自分がちゃんとやっていない人は、「自分も出来てませんよね?」というメッセージを貰っても仕方ないだろうという考えを実践する人。こちらも意地悪なのだが、要するに、そういう人のことはいじめない。その代わり、大人しい人、言い返さない人のことは弱いと認識してとことん意地悪をしているわけだ。
意地悪している現場を目にして直後に言いたいと思ったが、私の気配を瞬時に察知するため、なかなか難しかった。
が、年末にきちんと冷静に話をすることが出来た。途端にしおらしく謝って来るのだが、これは多分治らないだろうなあと思った。演技っぽいのが手の取るように分かるし、何しろそのパターンは長年培って来たずるさだろうから。人はそうそう変わらない。
ところで、仲が良かった頃には、キャーキャー騒いでいる声を可愛いと思えていたのだが、今は、自分より下と見なした相手を見つけては即行こき使おうとする。さぼろうとする。それを観に行くとキーキー言って逃げ惑う。まるでハイエナようにしか見えないのが残念。
人の労力、時間、心。それを奪い取るために生きなければならないほど自分を孤独にしたのは自分自身。
奪われないようにして行く。線を引く。こんな小さなことも今年の抱負だ。
信じられない人が居る。それも現実なのでよし。
そして、信じられる人が居るので、それでよし。
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