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察知?

今日はご利用者様のご家族からの電話や直接来訪が多い日だった。
そして、色んな話をした。

そして利用者様も職員も、今日は何故だか皆さん、込み入った話ばかりをして来る。
込み入った話というのは、状況というよりも”気持ち”や”生い立ち”の話など、要するに”感情”の話をして来られるのだ。

特に印象的だったのは、入浴パートさんが寄って来て、涙ながらに最近ご自宅でお看取りなさったというお母さんのお話をしてくれたこと。

私は退職の手続きを既に進めているので、そろそろ皆に「辞めるんだ」という話をしようしようと思うのに、なかなか言い出せない。

けれども無茶ぶりな仕事のLineを目にしたり、何の進歩もない人たちを目の当たりにすると、やはり一日でも早く辞めたいなと思う。もうやり尽くして来たが故に。

もしかしたらあまり多くの人にきちんとした挨拶が出来ないままかも知れない。
そして、「うちの母が亡くなるまでは居て下さいね。」と仰るご家族様の言葉を聞いたとき、確信した。
何だか、皆さん察知しているのだろうと。無意識なのだろうけど。

しかし、お別れしなければなりません。いつまでも関わっていたいというのも本心ではあるけれど。

最低限の自分の心のラインを大事にできなくなった時、人に何かをやろうとしても、それはおかしな現象になる。病的なおせっかいで汚したくないのも、ここで築いて来た関係だから。

一方でもう一つ気が重いと思っているのは、これまでやって来た皆が嫌がる仕事について一手に引き受けて来たものがあるのだが、「これからは誰がやるの?」と責めるような口調で言われることが予想されること。

不思議なもので、人って、やって貰って当たり前が身についちゃうと、やってくれていた人に怒るのよね。まあ、焦るから怒るのだろうけど。

もう、それは自分で考えなさいよと言うしかない。6年もやって来て、あたりまえと思っている長のことなど、もうええじゃろ。

しかし、それでも、これだけ満身創痍やって来ておいて内心色々と後のことを心配している部分がある。この辺はあきらかに病んでいる。治さなければね。

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