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はいでもゲーム

朝からナースの相棒が「これ、どうしましょう?」と言う。

彼女が指さした先に、ショートステイの人の5冊のカルテが置いてある。今日、この5人の方々が入所して来る。初めての方が3人に、お久しぶりの方が2人。

どうしましょう とは?

どうしましょう?と言った意味は分かるのだけど、あえて聞き返しておいて、「この方々が到着したら、やるべきことをやるだけだよ。」と言う。

一日に5人というのは多い方だ。しかも新規の方は到着してからしか分からない情報も多いから。

それで「どうしよう。いったい私は、どの人をどれだけ取れば良いの?もしも、あんな人やこんな人が来たらどうしますか?」と彼女は言っている。そういう気持ちを察して下さい!という気持ちが「どうしましょう?」に込められている。

凄く気持ちは分かるのだけど、進まなければならない。いつものことをキープ、あるいは改善しながら、未知のことにも進まなければならない。

結局彼女も私も頑張って、無我夢中で目の前のことをやった。いつものことだけど、ハプニングもあった。

そうして、なんとかなった。

うちの場合、なるべく定時にあがること!というのがルール。ダラダラやっている人ってのは、どこかで仕事の順番を間違えているし、順番を間違えるということは、この業界では人命に直接関わることだからタブーという理屈だ。

このナースさんご自身も元々「残業はしたくありません。」と仰っていて、「OK。残業はなしです。」ということで受けた方だった。もしもそれで終わらないようだったら原因を考えましょうということで。

妙な話だけど、そんなところも自然に鍛えられるのが、うちの医務課。

ところが、最近、仕事は全て終わるのだけど、30分、1時間と話し込むことが多くなった。

「今日のあれはどうしたら良かったんでしょう?」とか、いっぱい色々考えているようだ。一生懸命だからこそ、とても悩んでいる。正解を探している。

特に私が休みを取る前日になると、いつもこの状態になっているので、「分からなくなったり不安になったら呼んで下さい。」と言った。

「え?でも、お休みなのに。」

呼んで下さい。電話で済むことなら電話でもいいし。

すると「どこからが、お呼びするほどのことなのかが分からないんです。」と、ますます悩んでいらっしゃる。

このまま、”じゃあ、こうしましょう”と私ばかりが提案していても、「でも、でも、」と言い返して来られるのは目に見えていた。

これは、”はいでもゲーム”と呼ばれる無意識の言動で、「どうしても私は悩むのだ。あなたが何と言っても悩むのだ。」ということを選択している人に起こる現象。

普通に答えても終わるはずないので、違う角度の話をする。

「私だったら、ほんとに困ったら、あなたを呼びますよ。もしくは、あなたに電話します。その時は助けて下さいね。」

嘘を言っているわけじゃない。

「嘘ですよね。困ることなんて無いですよね。」

いや、毎日困ったり不安になることがありますよ。だから、どうしてもダメだというときは、あなたに連絡します。だから、あなたも私に連絡して下さい。と、一語一句ゆっくりと伝えて、「もう二度と言わないよ。」と付け加えた。

これ以上はないというほど狭まっていた眉間の皺が、ふわーっと広がって笑顔になるのを見た。

仕事に限らず、生きること、生活していくこと、人間関係、その他諸々、プライベートなことや将来の夢や希望。

人々の頭の中に浮かぶ不安や恐怖を現実が超えることはない。これは長生きすればするほど実感することなのだけど、恐れることの何%が現実になったのか?というと、40パも50パもない。それどころか、数パーセントもなかったり、中には想像とは真逆の良いことがあったりもする。

だから、不安や恐怖や言い訳に時間を費やすこと、そして、それに人を突き合わせたり巻き込んだりすることほど無駄なことはない。そういう時間の使い方をしている人は、無意味に残業している。そして人にもそれを強いている。

職業柄、そういうよろしくない催眠にかかっている状態の人は顔貌や動きで分かるので名前を呼ぶ。

すると、ハッ!として”今 ここ”に戻って来てくれる。長年の癖なので、すぐ不安という名の催眠にかかるが、何度も何度もあらゆる場面で名前を呼ぶ。

”考え込まない私”や”今 ここを生きる私”は、最初は少し怖いかも知れない。でも、皆、とても良い顔になって行く。

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