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面白くないんですよ

まだコロナ渦に入る前に、とある飲み会で。

日本語をうまく話せないインドネシア出身の職員がいて、上司が、その子の物真似をした。皆がどっと笑った。

ただそれだけのシーンだった。

でも、それは決して親しみを込めた物真似でもなく、明らかに馬鹿にしている様相だった。

本当に、バカ騒ぎだった。

皆が喜ぶものだから、調子に乗って何度も物真似をすると、さらに爆笑の渦になっていた。

その崩れ切った笑顔の面々の中で無表情だったであろう私の顔は、目立つほど浮いていたのだろう。私の顔が目に入った人から順番に、一人二人三人と笑顔が固まって行くのが分かった。やがては、その居酒屋で、私たちの宴席だけが静まり返った。

私は立ち上がってその子の隣に移動してドスン!と座ると『私は面白くない。』と言った。

隣のその子は、涙をポロポロと流した。

私がそんなことしなければ、我慢し切れただろうに。そんな悲しい気持ちでいることは隠したかったかも知れないのに。今思えば申し訳ないことをした。

要するに、私のせいで、場がしらけた。

さらには、もっと昔のことを思い出した。

私がネットを始めた99年頃は、掲示板やチャットでのコミュニケーションが流行っていて、そこで、とある俳優さんの写真が出回った。鬘をつけていたことが露見した場面の写真だった。

文字のコミュニケーションではあるが、皆、文字や顔文字で爆笑していることを表現していた。

当時は、とかく表現を抑えがちで言いたいことを言えない医療従事者のために掲示板を開き管理していたのだが、そんな掲示板を開いておきながら、私はその書き込みに『私は面白くない』と書いた。皆が『やーい、鬘だ、鬘だ!』と盛り上がっているのに。

掲示板の書き込みはピタリと止まった。

今思えば、変な話だ。きっと多くの人に『そんなに怒らなくても。』と思われたことだろう。

本当に面白いと感じなかったから、『面白くない』と表現したというのもあるが、その実、自分の中で、”最も恐ろしい”と思う何かに対して怒っていた。

私は普段、決して固い人間でもない。それどころか、人一倍ふざけるし、くだらないことばかり言って人を笑わせている。仕事仲間や果ては認知症の人に至るまで、しょっちゅう『ぶぶっ!』と吹き出して笑われるほどだ。

でも、ふざけている人間がしでかす事の恐ろしさも知っている。

そんなことを思い出したのは、昨日ウィル・スミスさんのビンタ事件の記事を読んだからだ。

ふざけている人は、相手がどんなに怒っていても意に介さない。平気なのだ。どんなに相手が傷ついていても。

しかも、それが、大勢を巻き込んで、全ての人が意に介さず大笑いしているのだとしたら。そこに居るたった一人の心を除いて。

私も先の例で『ブラックジョークが分からないの?』と言われたことすらあるが、『そちらが分かっていないんだよ。』と真顔で返したくなるくらいだ。クスリとも笑えないものはブラックジョークでも何でもない。そんな方法取るなんて、ほんと、センスないよ。

暴力は決してよろしくない。もちろんいけないことだ。

でも、私は良い人ではないので、やっぱり面白くないことは面白くないと表現するだろうし、もしかしたらだけど、友人や恋人の病気を弄られたら公衆の面前で同じことをしたかも知れない。

神様が居たとして『同じ場面に時を巻き戻してあげるから、もう一度やり直しなさい。』と言われても、大事な人の傷をネタにされたら、やっぱり心身が反応して同じことを繰り返すかも知れない。

ただ、世の中の暴力というのは、何も拳や平手や蹴りばかりではない。全員がふざけていて、全員が同意していたとしても、それが例え、大勢に非難されるようなことだったとしても、譲れないことってあるのかも知れない。

ウィル・スミス氏と、大笑いしていた群衆と、どちらが恐ろしいか?

私は何故だか、ウィル・スミス氏に親しみを覚えてしまう。良くないのかも知れないけれど、人として。

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