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深刻になり過ぎずすべきことをする

昨日、あまりネガティブな面を観ないようにしようと口を閉ざしていた。

でも、帰宅してから胸の中がモヤモヤしたりイライラしたり。
とあることに、非常に腹を立てていることを自覚した。

ある人が利用者さんにしたことに対してどうにも許せない気持ちが湧いていた。怒ることは好きじゃない。でも、あきらかに怒っていた。

それは介護とか看護とか以前の問題だった。

例えば、なかなか治らない症状に苦しんでいる人の前で「ねえ、この人、もう治らないんだよね?」と言った言葉。

しかも色んな人が通りかかる往来で。

その人は看護師である私に質問をしただけのつもりだろう。しかし、認知症があっても心がある。

あまりにショックで誰にも言えなかった。そして、その心無いことを言う人物は何度も何度も同じように無神経なことをしでかしていて過去にも色んな人に怒られている。しかし、何十年も居るベテランだから容易に切ることが出来ないらしい。

施設長のこれまでの話を聴いていてそれを嫌と言うほど思い知らされていた。

注意して治る問題ではないのだ。もし治るならとっくに事の重大性を理解して変化している。もしかしたら純粋に分からないのかも知れない。しかし、自分の痛みには敏感でプライドが高い人。

だからあきらめていた。

ところが、毎日蓋を開けてみなければ分からないもので、今朝医務室について朝ご飯を食べつつ電子カルテを読んでいると施設長がカーテンの向こうから飛び込んで来た。

実は彼女も昨日同じ人物の言動にショックを受けていたのだと話してくれたあ。「いつもだったらOhzaさんに言いに来ていたのに、昨日はもうその気力もなく帰ったの。」と打ち明けてくれた。

そこで私も「実は昨日。。。」と酷似したエピソードを打ち明けた。

近日、彼を相手に面談することとなった。少なくとも利用者さんと関わる仕事の責任者としては据えられない。そのことを話すことにした。

向き合うのは正直凄く嫌だけど、実際に高齢者が悲しい思いをするのだ。動くしかない。話すしかない。

どうしたことか、少し今日はホッとしている。

おそらくは、こんなふうに体裁ばかりを大切する世の中で、企業という箱の中で、本気で利用者さんのことを考え(・・・まあ、本当はそうでないといけないのだけど)共感してくれる人が居た。そしてそれを正そうとしてくれている人が居るという安堵感なのだろう。

さて、どうなるのか。日々は蓋を開けてみなければ分からないが、あきらかに一つの流れが出来ているような気がしている。

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