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ゲーム分析(がらんどうの目)

コロナが収束して2日経った。しかし、未だ抜けないこの疲労。職員の中にはPTSD的な状態になっている子たちも多いと思う。

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地方から出て来た、かつての新卒の子が『あのう~・・・』と首を傾げながら話しかけて来る。ちなみにこの人はPTSDなんかにならない。ならないのだけど、自分はそうなりやすいの!という風体を装っている。

この1年半もの間、何度もライブだの食事だのに誘ってくれたのだけど、何度言えば分かるの。コロナが落ち着いてからだってば。

Kちゃんとは同居しているから多少のお出かけはするけれど、色んな人とは出かけられないんだよ。ましてやライブだなんて。

野球やライブに誘って来るときはチケットをちらつかせ、『良い席なんですよ。高かったんですよ。』と、また謎の首を傾げた上目使い。『今度こそって思ったのに、冷たいですね。』

いやいや、買う前に訊くよね、普通。

でも、それらの謎の行動は別に良いのよね。どんな人が居たって良い。

ところが仕事上でも、全くの同じノリで『あのう、ちょっと見て頂けます?』と言うので行ってみれば、仰臥位になってはいけない高齢者の方が、思い切り仰臥位。舌根沈下しているので、内心『ぎゃああああ!』と思いながら慌てて側臥位にする。クッションを挟みながら『どうして今の状態で傍を離れたの?!苦しいでしょ?死んじゃうでしょ?』と場所を変えて言う。

すると、さめざめ泣く。

最初の頃は、一生懸命学ぼうとして、それでも出来ないから泣いているんだと思って、教えながら励まして来たのだけど。

一年半経った今も、彼女は同じことをする。誰も自分を見てないと思っている時には、むせこんでいる人の口に、さらに食べ物を入れようとしていたので激怒。

そしてまた、さめざめと泣く。しまいには『あの人、怖いです。』と自分の上司に言う。

時折、思うことがあった。

なんか、変な顔しているよなあ?何だろう?この違和感とずっと思って来たのだけど、忙しさに紛れてあまり考えて来なかった。

か細い女の子を装った彼女が、ケアした後の高齢者の方を見てみると、口の中に食べ物がいっぱい残っていたり、カラカラに乾いていたり。ベッドの上ではありえない態勢で寝ていたり。

ある時、長い付き合いのご利用者様がお亡くなりになったとき、泣きながらその人のお身体を拭いていたのだが。

彼女が笑っていた。けたたましく笑っていた。お亡くなりになった方のご家族様が居るので、雑談は小さな声でして!と言いに行くと、泣きべそをかく。

違和感のわけが分かった。

自分のためには、いくらでも泣くけれど、人のために泣く涙は無い人なんだ。そして、この手の人は、決して少なくない。

親御さんがお金持ちだそうで、関心がある人の話をすると『じゃあ、これでその人を誘いなさい。』と小遣いを与えられるそうだ。あるいはコネで手に入るチケットとか。

彼女はそれを学んで来た。人は、モノや金で釣るものだと。そうして自分に関心が得られるのだと。

でも、それで20数年も人間やっていると、人は離れて行く。『おかしいな。同じやり方なのに、どうして可愛がって貰えないんだろう?』と焦る。

やがては、マイナスのストロークでも欲しいと思うようになり、『あのう~・・』と自分の出来なさ加減を見て怒って貰いたがる。そうして泣くと、少なくともその間だけはしばらく、人と関わっている感が得られるというゲーム。

ゲームというのは不毛なものなので、同じことの繰り返し。だから、成長しない。『可愛がってください。可愛いと思って下さい。』

とは言うものの、仕事なので、これはどうにかしなければならない。私は彼女と職種が違うし。何が起こっているか?を話しても分かる人に相談して、マンツーマンで介護技術とか心構えとか、それら全てをやり直し。

ゲームしている暇があるのなら、きっと出来るだろう。

最近思うのだけど、介護をやらない人は介護を辞めた方が良い。看護をやる気がない人は看護を辞めた方が良い。それもなるだけ早く。

廊下の向こうから私を見つけた彼女が『あ!あのう~』と近づいて来ようとしたその時、その後ろから『終わったの?』と止める声。渋々仕事に戻っていた。

これでダメだったらダメなんだ。

でも、残虐性って、いくら何かを習っても治りはしないんじゃないか?と思う。

共感能力ゼロの人ほど、人に何も与えない人ほど、多くの時間、多くの心を他人から奪おうとし続ける。

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