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誰なんすか?(あなたは)

職場に人のことを根掘り葉掘り訊いて来る人が居るというのは、よくあることで。
それは、少しでも親しくなったり少しでも共感し合いたいという自然な思いがあるのかも知れない。

しかし、その中でも度が超えているな!という人が居ると非常に困る。何故だか、全てを知りたがる人というのは女性に多い。いや、分からない。口に出さないだけで男性にも多いのかも知れない。・・・。いや、男性はどちらかと言うと、ちょっとだけ聴いては勝手に「なるほど、これこれしかじかな人だな。」と自分自身の経験にあてはめて思い込む人が多いような気がする。下手するとそのまま頼んでいないアドバイスや説教が始まる。

話しは逸れたが、度が過ぎる知りたがりの方が、ぽろっと仰ったことによると「私は人と人とを繋ぎたいし、それが使命なんだよね。そんなわけでOhzaさんみたいなタイプの人に会って貰いたい人が何人か居るの。」とのこと。

何の悪気もない。多分ポジティブなことなのかもしれない。
でも、頼むから放っておいてくださいな。

と言っても話が終わらず『私のおかげで良い出会いをした仲間が沢山いるの。あと、Ohzaさんも私に紹介したい友達が居たら遠慮せずに教えてね。』とのこと。

普通なのかも知れない。悪気はないのだろう。が、私は物凄く気持ち悪いんだな、こういうの。

友達は自分で選ぶし、そんな死ぬほど大勢の人間と毎日会いたいと思わないような人間もここに存在する。(そう思っていても毎日何十人もの人々と会って話さなければならないんだから。)

確かに、仕事上で嫌でも多くの人に会うと間違いなくそれは良いことだなと思う。一人の脳では気が付けなかったことに沢山気が付くし。
色んな失敗をしたり良いお手本になる人を見つけたり、確かに出会いとはドラマだ。

が、『繋げてあげる』と言われると、頼むから勘弁して下さい。あっち行ってと言いたくなる。自分で会いたい人に会うし、自分で選ぶから。

さらにもっと変なのかも知れないが、よくブログのプロフィールとかで「これを読んで一人でも多くの人に癒されて欲しい。」とか『感動を与えたい。』とか言っている人。もちろん悪いことではないのだが、『読み手に任せて下さい。放っておいて下さい。』と思って敬遠してしまうのだ。
手放して下さいなと。

特に先の人が『私に会わせたいOhzaさんの友達が居たら遠慮なく言って。』と言った時には一人も居ないな!と思った。よく人の背後越しに誰かを探しているような人と接すると非常に疲れるのは、多分、その人自身の話がゼロだからなのだろう。引きこもり過ぎも良くないが、人ばかり気になるのも一種の病気のように思う。おまけに反応まで支配したがるなんて。

その支配欲の強さが勝手な『絶望した!』という感情を生む。頼むから自分のことも他人のことも時にはそっとしておいて欲しいと思う今日この頃。

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