あなたの日々のために
ご家族様の希望があってのことだが、お看取りの方に点滴をすることがあるが、その最終ステージでの日々は穏やかで健やか。
病院時代から数えると35年。もう数えきれない人々の生死に携わって来たものの、とあることに気が付く。病院では輸液はもちろんのこと、痛み止めも充実している。苦痛の緩和対策が万全なのに施設のそれと比べると、皆さん穏やかとは言えない。
多分これは『その人らしく過ごせているか?』が関わっている。
おまえにその人らしさが分かるのか?とよく自問自答するが、少なくとも、衣食住が事足りるだけでなく、縛られないこと、自分の話が出来て好きと嫌いが表現できること、要望にこたえ続ける人間が居るか?少なくともこういったことが満たされているか否か?ということが深く関わっている。
安全なだけじゃダメなのだ。縛り付けられて安全だとか言っている体制には、その人らしさは無い。
話が逸れてしまいそうだが、施設に居る方々がまるでドラマのように眠るように穏やかにその時を迎える可能性がべらぼうに高いのは、そこに人間関係があり、家族がある人には、その面会に一切制限をかけないところに由縁する。
脱水の苦しみを取るのが輸液。
ただ、介護職員にも医師にも『いやあ、そんなこと止めてカラカラに乾いても太く短く苦しんで逝くのが自然じゃないの?その人のためじゃないの?』と言う人も居る。
『もう年なんだからそんなことをする必要ないよ。』と家族に言えてしまう医師やスタッフ。
昔からある固定観念は根深いものの、それを決めるのは決して医師を含むスタッフではない。ご本人もしくは家族だ。
想像力を持って欲しいと思う。固定観念ではなく。
口からも輸液からも水分が取れない脱水がどんな状態なのか?ということを。全速力で何キロも走って喉がくっつきそうで、心拍も異常にあがる。苦しいのだ。でも、その瞬間には誰にもそれを表現できないのだ。
そんな折、これは稀有な例だけど、とある医師が『点滴がしょっちゅう漏れて刺し換えるのも苦痛だから、ご希望ならcvを入れましょうか?』と言って下さった。
さっそくご家族に医師からの提案を伝えたので、現在施設にはcvの方が二名いらっしゃる。
特養ではなかなか無いことだ。
よくお話をされるようになった。食べたくもないのに、毎日食事を勧められることもなくなったので、その表情も穏やか。
ご希望に添って出来ることをしていく。(主に心の)
これが我が施設と病院との大きな違いの一つ。
昨日は、かつてフラダンスが好きあったという方に、ハワイアンのBGM集をプレゼントして枕元で流している。CDプレイヤーが足りないとのことで、うちであまり使っていないプレイヤーを運び入れた。
これには本人もご家族様も物凄く喜んで下さった。
空間の波長も変わった。
穏やかに寝息を立てている。
他に何か?他に何か?といつも考えている。
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