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部分的神経症、部分的完璧主義の落としどころ

今回、今勤めている施設でコロナ陽性者が発生。とある病院に入院していて退院直後の発症だった。

すぐさま隔離対応したが、退院した日にその方のところへ行って談話していたショートステイの人が発症。隔離部屋が二つになったが、二日前、療養期間が終了し、二部屋とも解除。

つまりは2名のみで終息することが出来た。

これについて職員の皆さんのもっとお礼を言いたかったのだが、割とあっさりと告げてしまい、後になってから、もっと熱烈にお礼を言えば良かった!と思った。

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100歳超えのお婆ちゃんは昨年の暮れに感染して、入院して帰って来たところ、背部の褥瘡が悲惨なことになっていたそうだ。
(病院は治療する場所なので、食事摂取困難な人に食べさせることが出来ないという現状がある。)

私が派遣として入職した頃が退院直後だった。

世の中は病院に入院すれば安心という信仰がまだまだ強く、退院後もやはり病院の皮膚科に連れて行ってイソジンゲルやイソジンシュガーパスタなどのイソジン製剤が塗られていた。

その前に居た有料老人ホームでも同じくイソジン製剤が使われていて、最悪なことに、そこは、毎週主治医がやって来て、不良肉芽(上がって来た正常ではない皮膚)をガリガリと落とすという作業が成されていた。
止めろ。イソジンのせいだよ。毎週同じことを繰り返して痛みを与えるな。

痛みというのは、傷や病気の治癒を遅らせる最大限のストレスだ。

今回の施設ではある人が理解を示してくれて湿潤療法を開始することが出来た。
そして徐々に褥瘡が縮小していく様を皆が観てくれて、喜んで下さっているのが現状だ。。

これも、もっと熱烈にお礼を言いたいわけだが、言い損ねている。

プロペトでしっかり保湿して来たせいもある。でも、やはり勤務がコロコロ変わる最中、皆が絶え間なくご飯を食べさせて来てくれたせいでもある。

これからはそれを皆にしっかり、絶え間なく伝えて行こうと思う。皆さんが成してくれたことを分かって欲しい。

看護や介護に携わっている人たちは、時折自分たちが成していることを忘れて辛いことで心がいっぱいになるからだ。

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絶対がつくと何事も辛いことに感じるが、それが出来ない日があっても、ポツリポツリ・・・という感じでも、続けられれば、それは『継続』。

私はプライベートでは、だらしなくビール飲んでは『ははははー!』と笑って過ごしているいい加減なおばちゃんなのだが、仕事となると変な完璧主義が出る。そこだけ神経症的になる。
思い通りにならないと「ふん!全然ダメ。ぜーんぜんダメ!」となってしまうのが完璧主義の悪いところ。

連続は出来ないけれど継続すれば良いんだ。

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